国家総動員法 問題点。 バリアのない街 「一億総活躍社会」は現代の「国家総動員法」

国家総動員法が成立すると徴兵制も復活しますか?オリンピックが...

国家総動員法 問題点

そうすると、 田畑で働くのは残された女性や老人が中心となります。 この時代、トラクターや田植え機なんかはありませんよ。 代わりは牛や馬でした。 ぼくが幼かった昭和30年代の終わりごろでも牛が畑仕事に使われており、通学路の上にはよく糞が落ちていました。 西日本は牛が中心でしたが、東日本は馬が中心でした。 ところが日中戦争が始まると、 その馬が軍隊に「召集」されました。 だから、 女性や老人が、クワをふるって耕すしかないのです。 十分に耕すこともできませんでした。 こうして1939年以降、 農業生産高が減っていきます。 せっかくつくっても、1940年以降、供出が義務づけられるようになります。 アメリカなどとの戦争が始まると、外国からの輸入も止まってしまいます。 国内では食糧不足が深刻になりました。 総力戦体制をおしすすめる中心となった法律が、1938 昭和13)年に制定された 国家総動員法です。 この法律は、 政府が自由に国民を戦争に動員してもよいと認めています。 1939(昭和14 年には、此の法律に従って、 国民徴用令が出され、政府は 職業・年齢・性別を問わずに国民を必要な工場などに派遣できるようになりました。 これを 徴用といいます。 最初は特定の技術を持つ人などに限定されていましたが、太平洋戦争の時期になると、未婚女性による 女子挺身隊、生徒・学生を動員する 学徒勤労動員などのように拡大されていきました。 ぼくの父親は中学時代は干拓事業などにかりだされ、大学時代は軍艦の建造などに動員させられました。 母親は軍需工場で飛行機のエンジンの軸受けのやすりかけをやっていました。 朝鮮半島における「強制連行」 ~ある在日コリアンの体験から。 デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金HPより 送られた女性たち、最初は日本から渡った人が多かったのですが、戦争が拡大すると女性が不足します。 国内では、乱暴なやり方で集めるわけにはいきません。 「聖戦」なのですから。 そこで目がつけられたのが 朝鮮半島の女性たちでした。 さまざまな手段が用いられたといいます。 そうした口実のひとつが「 日本国内での『女子挺身隊』として軍需工場で働く事に応募しないか。 給料も高いから」といういい方でした。 そのつもりで応募したところが慰安婦だったという例が非常に多かったので、韓国では「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」が同一視されることが多いのです。 日本から行った人の多くは仕事の内容をある程度分かっていたと思われますが、 朝鮮半島出身者は仕事の内容も知らされず、だまされてつれて行かれた人が多く、年齢が若い人が多かったのです。 awf. html しかも、 日本出身者と朝鮮半島出身者では、相手させられる軍人の身分も人数も、そしてその施設も、置かれた場所も大きくちがっていました。 しかしどちらの人びとも自由を与えられない「 戦時性奴隷」としての立場に置かれていたのです。 中国などでは誘拐同様の手段で連れてこられた 現地出身の慰安婦たちもいました。 こうした人たちは、出身のいかんをとわず 一切補償がなされませんでした。 また、こうした経歴は、どこの国でも 恥ずかしいこと、隠すべき事と考えられていたため、兵士たちの口から語られることはあったものの、当事者の口から語られることはめったにありませんでした。 パーマをかけている人、きれいなファッションに身を包んでいる人は「国防婦人会」のおばさんたちに取り囲まれて、「 兵隊さんが戦っている時にそんなカッコをしているなんて非国民!」といわれ、警告カードが渡されるようになります。 政府は、こうした動きを積極的にすすめていきます。 日中戦争がはじまると近衛政府は、「 国民精神総動員運動」を開始しています。 町中に「 進め一億火の玉だ」「 ほしがりません勝つまでは」といった標語が掲げられ、出征に際しては国防婦人会などを中心とした盛大な行事などをおこない、戦死者がでれば市町村が主催する合同葬儀が行われる。 こうして 戦争ムードを高めていきました。 学校では 神社参拝や 皇宮遙拝といった行事がふえました。 このころになると、飛行機が戦争の中心となってきました。 しかし日本の飛行機は仮想敵国であったアメリカより性能が劣っっていました。 戦争になれば負けてしまう、それが軍部の悩みの種でした。 そのため、優秀な科学者や技術者が集められ、開発されたのが世界最先端の戦闘機ゼロ戦でした。 アメリカとの戦争が始まると、ゼロ戦はアメリカ機を圧倒しました。 科学・技術を戦争目的で結集し新兵器を作ることも総力戦の一環です。 アメリカはゼロ戦の性能の良さに困ったみたいです。 そこでどうしたか?弱点をみつけることと、ゼロ戦の技術をパクろうとしました。 不時着したゼロ戦を手に入れると、徹底的に分析・研究をおこない、ゼロ戦の技術を取り入れた新しい飛行機を開発しました。 ゼロ戦の弱点である防護能力のなさも改善して。 それを巨大な工業力をフル稼働させ大量生産したのです。 こうしてゼロ戦の優位は奪われました。 パイロットの技術もさることながら、相手を徹底的に研究し、新しいものを素早く開発し、大量に生産する、こういった国家の総合力が勝敗を決するのです。 アメリカの原爆開発に、アメリカのみならず世界の頭脳が結集されたことは、学問や科学・技術を戦争目的に利用したと言えるでしょう。 「青い目の人形」 ~敵視する日本、研究するアメリカ 1921 大正10 年に野口雨情が作詞した歌です。 1927 昭和2 年、日米関係の悪化に心を痛めたアメリカの団体が、日本人の子どもにあげてくださいと12,739体のアメリカ製の人形を贈ってきました。 返礼に、日本からも市松人形などがアメリカに送られました。 贈られた人形はこの童謡にちなんで「 青い目の人形」とよばれ、全国の学校などに贈られ、子どもたちに愛されました。 しかし、戦争が始まると、この人形も・・・捨てられ、最後には竹槍訓練に使われたとこさえありました。 でも、それはひどいと考えた人も多く、天皇の写真を祭る奉安殿の中に隠したり、先生たちが自分の家に持ち帰ったりして大切に保管したことありました。 ちなみに「青い眼の人形」の歌も、敵性音楽に指定されてしまいました。 戦時アメリカのプロパガンダ映画「汝の敵、日本を知れ」(フランク・キュプラ監督 1945 このように、 日本ではヒステリックにアメリカやイギリスの文化を排除していました。 ところがアメリカではどうだったでしょうか。 実は、日本との戦争が始まると、逆に日本研究が盛んになったのです。 日本語を勉強する人ができ、大学には日本研究の講座が開設され、「日本人はなぜこのような戦争を始めたのか」だけではなく、日本文化研究まで盛んになります。 日本敗戦後、アメリカの対日政策がある意味、的確に軍国主義日本の問題点を把握していたのはこのような結果だったのです。 日本は、このような点で、すでにアメリカに敗れていました。 アメリカが日本をどのように見ていたのか、面白い映像があるので、興味のある人は見てください。 ちなみに、アメリカは日本研究は十分に行ないましたが、 朝鮮の研究はなされませんでした。 このことが、朝鮮半島におけるアメリカの不適切な占領政策につながり、朝鮮半島での分裂国家の成立や朝鮮半島南部に成立した韓国での軍事独裁政権などにつながったという指摘もあります。 日中戦争と国家総動員体制~プリントに即して 東京書籍「日本史A」P131 次からが今日やったところです。 「政府が自由に国民を戦争に動員できる体制をつくりました」と書いておきました。 政府が必要と思ったら、人びとを工場に送り込むことも、財産を取り上げることも自由になったのです。 なお、これが「国民徴用法」ではなく「令」であることに注目してください。 もはや議会の承認は不必要となり、このような人権にかかわる命令を政府の一存で出すことが可能になったのです。 その根拠は、さっきの国家総動員法です。 これは、議会で承認されたものです。 これにより 議会はこのように重要な命令すらスルーさせてしまうことになりました。 国家総動員法の可決は、「議会の自殺」という性格を持っていたものです。 1943 昭和18 年、東京・有楽町日劇に掲げられた巨大ポスター 帝国書院「図説日本史通覧」P276 こうした動きに反対する人たちもいるので、 戦争に反対する事が難しくなるような「空気」をつくりだそうとしているのでないか、という言動が行われることもあります。 日中戦争の頃のことを考えてみましょう。 この時期になると、 戦争反対とか、自由を守れということが言いづらくなっていました。 こうした状態は、 かなり早い時期から始まりました。 「戦争反対」が、非現実的だとか、卑怯だとかいわれ、そういう主張をすると「怖い目にあうのではないか」という「自粛」の雰囲気が広がり、ついには「非国民」と仲間はずれにされたり、いじめをうけたり、家族が辛い目にあわされたりするようになり、自分の思いは小さな声で人に聞かれないように話さなければならなくなったのです。 そして、ついには 自分の子どもが戦死しても悲しむさえ許されない社会になっていくのです。 戦争をはじめるためには、 戦争に反対したり、疑問視する人を黙らせようとする所から始まるのです。 人びとが自由に自分の意見を話せない社会、それが総力戦体制の出発点です。

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国家総力戦とは (コッカソウリョクセンとは) [単語記事]

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昭和12年(1937)7月に勃発した日中戦争は、昭和13年(1938)に入って長期戦の様相を呈しはじめる。 戦争は中国全土に拡大し、日本軍は上海、南京などの主要都市を陥落させ、日本は勝っているようにみえた。 しかし、民族解放戦争の性格が強くなり中国側は抵抗を継続、戦線は拡大していった。 日本政府は戦局打開のため、ドイツのトラウトマン大使の斡旋で中国との和平交渉を進めたが、1938年1月15日、この交渉を打ち切った。 翌日、近衛首相は「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」と声明を出したことで、戦争の長期化が予想された。 日本国内では日中戦争勃発後の昭和12年8月24日には、近衛内閣は国民精神総動員運動を開始、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」をスローガンに掲げ、在郷軍人会、愛国婦人会、青壮年団体などを通じて、国民を戦争に協力させる運動を行っていた。 昭和13年には戦争が長期戦の様相を呈し、戦い続けるためには、国家と国民の絶対的な協力が必要となった。 国民精神総動員運動と関連させて強制力をともなう法律が必要と考え、陸軍主導で企画院が立案、1938年2月に国家総動員法が第73帝国議会に提出、紆余曲折はあったが3月16日に総動員法は無修正で可決され、5月5日に施行された。 (1945年9月2日に第二次世界大戦終結で効力を失い、国家総動員法及戦時緊急措置法廃止法律(昭和20年法律第44号)に基づき1946年4月1日に廃止。 ) 国家総動員法は日本の総力を戦争遂行に向け、そのために強力で広範な統制権限を政府に与え、社会、経済、文化などあらゆる領域で、政府が必要と判断すると勅令によって統制を発動できる超法規的な内容である。 勅令によって発動できるので、大日本帝国憲法下においては帝国議会を経ずに統制できた。 つまり総動員法は戦争遂行のために、政府が全面的に統制する権限を白紙一任で受け取るものであり、大日本帝国憲法下の議会主義を否定したものであった。 また国家総動員法は、戦争が総力戦となった時代に対応させようとしたもので、統制法規としては、世界に類例のない徹底したものだった。 その徹底ぶりは、立案した企画院総裁の星野直樹が「この法律で何と何が統制できるかと考えるよりも、この法律で統制できないものがあるなら、それをさがした方がはるかに早いだろう」と述べている。 【国家総動員法の概略】 第1条から第3条は定義で、「国家総動員」、「総動員物資」、「総動員業務」について説明。 第1条は、「本法二於テ国家総動員トハ戦時(戦争二準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之二同ジ)二際シ、国防目的達成ノ為、全力ヲ最モ有効二発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」と定義する。 (口語訳:本法律において国家総動員とは、戦争時 戦争に準ずる事変も含む に際して、国防目的の達成のため国の全力を最も有効に発揮できるよう人的、物的資源を統制し運用することをいう。 ) 第2条は、「総動員物資」とは何かを示し、兵器、艦艇、弾薬、被服、食糧など。 第3条で「総動員業務」について示し、「総動員物資の生産、修理、配給、輸出、輸入又は保管に関する業務」(第1項)をはじめとして、運輸、通信、金融、衛生、救護、教育訓練、試験研究、啓発宣伝、警備その他を指定。 第4条から第20条で、政府に与えられる権限は、戦時にあっては労務、物資、資金、施設、事業、物価、出版などの統制。 第21条から第26条で、平時にあっては職業能力の申告、技能者養成、物資保有、計画の設定演練、試験研究、事業助成の統制。 第32条から第49条は罰則規定で、最高5年以下の懲役、または1万円以下の罰金を課している。

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バリアのない街 「一億総活躍社会」は現代の「国家総動員法」

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遙矢当 来る2017年、この国の福祉に希望はあるのでしょうか。 2016年を振り返ると、「相模原障害者施設殺傷事件」(7月)「保育園落ちた日本死ね」(2月)「有料老人ホーム入居者転落事件」(2月)と、障がい、児童、高齢者の三福祉の各分野で痛ましい事件やニュースが飛び交いました。 これらの事件、さらに言えば障がい、児童、高齢者の各福祉の分野で共通するのは、職員の待遇の低さであり、その労働環境の劣悪さにあると言えます。 福祉の劣悪な環境が近い将来改善するのか?と言えば、その道筋は暗く、まず来年(2018年)には医療、介護の各保険制度の「ダブル改定」による給付抑制の総決算が控えます。 職員の待遇改善について言えば、トドメを刺される瞬間が近づいてきました。 さらに言えば、わが国の福祉の基礎制度となる生活保護制度は、2016年12月(=本コラム作成時)時点で、過去最高の受給者数になりました。 これに対し、日本維新の会などにより憲法13条に違反する受給者のギャンブル利用などに受給制限を加えよう、などとする動きが始まっていることは、読者の皆さまの耳朶になお鮮明なことでしょう。 こうしたわが国の福祉の縮小は、「右傾化がさらに進むアベ政治だけが推進しているのでしょうか。 ここで、少し立ち止まって考えたくなりました。 もちろん、安倍政権が予算編成の段階から続出する生活が困窮し続ける国民をすておいて、TPPだ、原発だ、沖縄だ、トランプ次期米大統領だなどと、うつつを抜かしている点は、厳しく断罪されるべきです。 社会が右傾化する中で、福祉の分野から覗いたアベ政治の評価を「ファッショ」だと言うなら、私はそこに疑問を感じ始めています。 安倍首相の祖父、A級戦犯である岸信介が関わった第2次世界大戦における翼賛体制と比しても、現在のアベ政治は、すでに「保守」とも呼べぬ次元の低いものでしょう。 それがさらに劣悪で異質な福祉を築き始めているのでは、と。 たとえば、戦時下の「国家総動員法」とアベ政治が掲げることになった「一億総活躍社会」を、福祉の世界から覗いて比すれば明白です。 国家総動員法で言うなら、政府は国民に対し就労は必ず保障した(=年齢を問わずという条件がある)し、配給という形で、ギリギリの衣食住の提供がありました。 少なくとも、隣組の制度は近隣住民の情報収集を果たし、実情が把握出来ない住民の数は現代より圧倒的に少なかった、とも言えそうです。 ところが、現代の国家総動員法ともいえる「一億総活躍社会」は、政府が国民に就労を提供すること、そして生活に必要な衣食住の提供を行うことそれ自体を放棄している、と言わざるを得ないものです。 また、近隣の住民からは排他的な交流を強いられるか、孤立して地域からの援助が届かない生活を強いられるかの、いずれかの道が待ちます。 今の社会は、働いても憲法25条で保障された最低限(と称される)の生活を確実に目指せないものになってしまいました。 2017年をどう迎えるか 自分以外の人々に対し、無条件に排他的になりつつある断絶した社会で大切なのは、まず、目の前にいる身近な人の存在を認めることではないでしょうか。 自分たちの弱さを隠そうとすることに奔走するアベ政治のような思想では、社会からこぼれ落ちそうな人々を黙過するだけです。 そして、ソーシャルメディアによる「体温」を感じない人との接点の世界を抜け出し、日々どれだけ多くの人との交流が持てるか。 それはとても原始的だし、戦略性のない回答かも知れません。 怖いのは、社会そのものに関心がない人々です。 これは「ファッショ」以上に危険性をはらみます。 とは言え、無理に他人を巻き込むのも間違いです。 それは「ファッショ」と同じ道です。 地に落ちつつあるこの国の福祉を憂える前に、私たちは、今、目の前にいる人の存在を認めるところから始めるべきなのでしょう。 集会・デモ・イベント情報• 【】 2020年5月10日• 【】 2020年5月30日• 【】 2020年6月20日• 【】 2020年7月6日• 【】 2020年7月11日• 【】 2020年7月16日• 【】 2020年7月17日• 【】 2020年7月18日• 【】 2020年7月18日• 【】 2020年7月19日 アーカイブ• 171•

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