感動する話。 【感動する画像】涙なしでは見れない世界の泣ける話・感動する画像集

感動する話って英語でなんて言うの?

感動する話

親父とは小さい頃に離婚しててまともに会話すらした事がなく思い出もない。 借金背おって自分の事しか考えず家族はそっちのけ。 とにかく自分本位でおふくろはいつも愚痴ばかり溢してた。 ただ、そんな親父の小さい頃の話しを聞くと母親に捨てられ施設で育ったらしい。 愛情に欠けて生きてきたから仕方ないのかと思った時もあった。 お祖父さんは帰化申請をした朝鮮人。 小さい頃から 「朝鮮人はあっちいけ」 とバカにされてたらしい。 自分も親になって少しは親父の気持ちも分かり始めた時であった。 最後に会ったのは3年前、 子供と一緒に飯を食いに。 相変わらず何一つ喋らず、 黙々と食べ終わって帰ったっけな。 糖尿病で病院に行く金もなく、 インスリンを半年も打たず部屋にはチョコとかコーラが大量だった。 座椅子に座ったまま苦しんだ形跡もなく、 10日後に発見。 新年迎える前日だったらしい。 台所には甘口のカレーの作りかけの後があった。 ちゃんと作っておいてやったよ… ちゃんと食ってやったよ… 涙が止まらなかった。 なんで言ってくれなかった! 最後の最後まで迷惑かけやがって! 一緒に酒飲みたかったなー、 温泉行きたかったなー。 親父らしい最後だったのかもしれないな… 私が高校生の冬でした。 家で飼ってる猫が赤ちゃんを産みました。 しかも電気毛布た私の布団で。 5匹いたのですが、次々と飼い主が決まりとうとう1匹だけになりました。 その猫を「ゆめ」と言う名前にしました。 毎日一緒で、私が怖がりなのを知ってか知らずか、お風呂に入ればマットの上で私がお風呂を上がるのをじーっと待っていてくれるこでした 私が帰ると玄関でちょこんと座って待っていてくれるんです。 悲しいことがあるとなぐさめてくれるかのようにずっと隣にいてくれました。 ゆめは私のたからものなんです。 私が20歳をすぎると、初めて彼氏ができました。 彼氏もゆめを可愛がってくれて。 すごく嬉しかったのを覚えています。 付き合って2年たち、同棲するようになりました。 ゆめの事が心配で、妹や母にようすを聞いていたのですが、「毎日夕方になると玄関で待ってるよ。 帰ってこないよって教えてもずーっとまってるよ。 」 次の日家に帰るとゆめは待っていてくれました。 玄関でちょこんとお座りして。 同棲から1年、結婚しこどもができました。 11月31日予定日でした。 出産予定日1か月前、実家に帰りました。 こどもを産んだらゆめと一緒に遊びたいなぁなんて考えては1人にやけてました。 ところが、予定日10日前頃からゆめが元気がなくなりました。 いつもいっている病院に連れていったら「この薬を飲んでいれば大丈夫です。 」といわれ飲ませていましたが、2日たっても3日たっても元気になるどころかだんだん衰弱するのがわかりました。 別の病院に連れていくとレントゲンをとりました。 先生がレントゲンを指して「なぜか体の中に膿が大量にあります。 」といわれ即入院。 私が帰るとき、今までなかなかったゆめが「なんでおいてくの?」「私もいく」と言うように精いっぱいなくのです。 これが私の聞いた最後の声になるとは思いませんでした。 帰り道不安で不安で、泣きながら車を運転しました。 その日の夜中、なんと陣痛が来てしまいました。 母に病院につれていってもらいましたが、なかなか出てきてくれませんでした。 ようやく夕方無事、女の子が産まれました。 入院中もゆめが心配で母にゆめの具合を聞いてました。 そしたら、26日の朝、夢をみたんです。 元気なゆめ。 一緒に遊んでるゆめ。 あとにも先にもゆめの夢はこれ1回きりでした。 あ!きっとゆめは大丈夫なんだ!と思い、その日お見舞いに来た母にいつもと同じに聞いたら少し返事を濁しました。 「まだまだどうなるかわからないけどゆめも頑張ってるよ!」 と。 そして退院しました。 何日か過ぎたある日、母が言わなきゃいけないことがあるんだよ。 と言いました。 実家に帰ると、ゆめが冷たくなっていました。 本当は寝てるんじゃないのって思うくらい寝てるようにしか見えません。 でも抱っこしても、固くて冷たいのです。 母に聞くと、26日の朝に病院から電話が来たそうです。 最後の最後、私はゆめを知らない場所で、一人ぼっちであっちにいかせてしまった。 後悔しか残りませんでした。 母にも辛い嘘をつかせ続けてしまいました。 これを書いている今でも涙が止まりません。 あの時どうすればゆめは今でも生きていてくれたのか。 その事が頭から離れません。 あれから2年。 娘は2歳になりました。 いま、私に似て猫がだいすきです。 ゆめへ 私はゆめにあえてスゴくすごく幸せだったよ。 ゆめは幸せだったかな? 最近娘が、ねこいる!っていうんだよ。 偶然かもしれないけど、わたしはゆめだったらいいなって思うんだよ。 もし会えるなら、夢でもおばけでもいいから会いたいよ。 最後1人にぼっちにしてごめんね。 いつも待たせてごめんね。 向こうでも待たせちゃうね。 ごめん。 私のところに来てくれて、本当にありがとう。 だいすきだよ。 俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。 なので料理は基本的に父が作っていた。 でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって 作ってくれていた。 でも、小学校6年の時の遠足で、 見た目が悪い、母さんの弁当、を友達に見られるのが嫌で とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当は いらない!!」 と言ってしまった。 母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくて ごめんねとしか言わなかった・・・・。 時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは 給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。 しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を 作ると言い出した。 遠足の時に作ってくれたものとは 味も見た目もよくなっていた。 不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。 と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。 弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。 母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは 俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を 習いに行っていたらしい。 そして後日、その定食屋に行ってみた。 定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはない けど、やさしそうな人だった。 そして母がよく弁当に入れていたメニュー、 ハンバーグ。 それの定食を頼んだ。 そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと 涙がこぼれてきた。 たった3ヶ月しか食べられなかったけど、 たしかに母さんのハンバーグの味にそっくり なのだ。 腕がまともに動かせないのに、がんばって 作ってくれた、あのハンバーグの味。 形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった あのハンバーグの味。 上野の動物園は、桜の花盛りです。 風にぱっと散る花。 お日様に光り輝いて咲く花。 お花見の人たちがどっと押し寄せて、動物園は、砂埃を巻き上げて混み合っていました。 象の檻の前の広場では、今、2頭の象が、芸当の真っ最中です。 長い鼻を、天に向けて、日の丸の旗を振ったり、カラランランと鈴を振り鳴らしたり、 よたよたと、丸太渡りをしたりして、大勢の見物人を、わあわあと喜ばせています。 その賑やかな広場から、少し離れた所に、一つの石のお墓があります。 あまり気の付く人はありませんが、動物園で氏んだ動物たちを、お祭りしてあるお墓です。 お天気の良い日は、いつも、暖かそうに、お日様の光を浴びています。 ある日。 動物園の人が、その石のお墓をしみじみと撫で回して、 わたくしに、哀しい象の物語を聞かせてくれました。 今、動物園には、三頭の象がいます。 名前を、インデラ、ジャンポー、メナムといいます。 けれども、その前にも、やはり三頭の象がいました。 名前を、ジョン、トンキー、ワンリーといいました。 その頃、日本は、アメリカと戦争をしていました。 戦争がだんだん激しくなって、東京の街には、毎日毎晩、 爆弾が雨のように振り落とされてきました。 その爆弾が、もしも、動物園に落ちたら、どうなることでしょう。 檻が壊されて、恐ろしい動物たちが街へ暴れ出したら、大変なことになります。 そこで、ライオンも、トラも、ヒョウも、クマも大蛇も、 毒を飲ませたのです。 三頭の象も、いよいよ・・・とになりました。 まず第一に、いつも暴れん坊で、言う事を聞かない、 ジョンから始めることに成りました。 ジョンは、ジャガイモが大好きでした。 ですから、毒薬を入れたジャガイモを、 普通のジャガイモに混ぜて、食べさせました。 けれども、利口なジョンは、 毒のジャガイモを口まで持っていくのですが、すぐに長い鼻で、 ポンポンと、遠くへ投げ返してしまうのです。 仕方なく、毒薬を身体へ注射することになりました。 馬に使う、とても大きな注射の道具と、太い注射の針が支度されました。 ところが、象の身体は、大変皮が厚くて、 太い針は、どれもぽきぽきと折れてしまうのでした。 仕方なく食べ物を一つもやらずにいますと、可愛そうに、十七日目に氏にました。 続いて、トンキーと、ワンリーの番です。 この二頭の象は、いつも、可愛い目をじっと見張った、心の優しい象でした。 ですから、動物園の人たちは、この二頭を、何とかして助けたいと考えて、 遠い仙台の動物園へ、送ることに決めました。 けれども、仙台の町に、爆弾が落とされたらどうなるでしょう。 仙台の街へ、象が暴れ出たら、東京の人たちがいくらごめんなさいと謝っても、 もうだめです。 そこで、やはり、上野の動物園で・・・とのことになりました。 毎日、餌をやらない日が続きました。 トンキーも、ワンリーも、 だんだん痩せ細って、元気が無くなっていきました。 時々、見回りに行く人を見ると、よたよたと立ち上がって、 「餌をください。 」 「食べ物をください。 」 と、細い声を出して、せがむのでした。 そのうちに、げっそりと痩せこけた顔に、あの可愛い目が、 ゴムまりのようにぐっと飛び出してきました。 耳ばかりが物凄く大きく見える哀しい姿に変わりました。 今まで、どの象も、自分の子供のように可愛がってきた象係の人は、 「可哀相に。 可愛そうに。 」と、 檻の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。 すると、トンキーと、ワンリーは、ひょろひょろと身体を起して、 象係の前に進み出たのでした。 お互いにぐったりとした身体を、背中で凭れ合って、芸当を始めたのです。 後ろ足で立ち上がりました。 前足を折り曲げました。 鼻を高く上げて、万歳をしました。 萎び切った身体中の力を振り絞って、芸当を見せるのでした。 芸当をすれば、昔のように、餌がもらえると思ったのです。 トンキーも、ワンリーも、よろけながら一生懸命です。 象係の人は、もう我慢できません。 「ああ、ワンリーや、トンキーや。 」 と、餌のある小屋へ飛び込みました。 そこから走り出て、水を運びました。 餌を抱えて、象の脚に抱きすがりました。 動物園の人たちは、みんなこれを見てみないふりをしていました。 園長さんも、唇を噛み締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。 象に餌をやってはいけないのです。 水を飲ませてはならないのです。 どうしても、この二頭の象を生かしてはいけないのです。 けれども、こうして、一日でも長く生かしておけば、戦争も終わって、 助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。 けれども、トンキーも、ワンリーも、ついに動けなくなってしまいました。 じっと身体を横にしたまま、動物園の空に流れる雲を見つめているのがやっとでした。 こうなると、象係の人も、もう胸が張り裂けるほどつらくなって、象を見に行く元気がありません。 他の人も苦しくなって、象の檻から遠く離れていました。 ついに、ワンリーは十幾日目に、トンキーは二十幾日目に、どちらも、 鉄の檻にもたれながら、やせこけた鼻を高く伸ばして、 万歳の芸当をしたまま氏んでしまいました。 「象が氏んだあ。 象が氏んだあ。 」 象係の人が、叫びながら、事務所に飛び込んで飛び込んできました。 拳骨で机を叩いて、泣き伏しました。 動物園の人たちは、象の檻に駆け集まって、みんなどっと檻の中へ転がり込みました。 象の身体にとりすがりました。 象の身体を揺さぶりました。 みんな、おいおいと声をあげて泣き出しました。 その頭の上を、 またも爆弾を積んだ敵の飛行機が、ごうごうと東京の空に攻め寄せてきました。 どの人も、象に抱きついたまま、こぶしを振り上げて叫びました。 「戦争をやめろ。 」 「戦争をやめてくれえ。 やめてくれえ。 」 後で調べますと、盥位もある大きな象の胃袋には、 一滴の水さえも入っていなかったのです。 その三頭の象も、今は、このお墓の下に、静かに眠っているのです。 動物園の人は、目を潤ませて、私にこの話をしてくれました。 そして、吹雪のように、桜の花びらが散り掛かってくる石のお墓を、 いつまでも撫でていました。 血の繋がらない29の男と17の女。 ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。 「あなたはまだ若いんだから」とか、 「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」 とか、散々言われた。 でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。 何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。 俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。 そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。 娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。 当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。 やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。 三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。 部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と 近隣住民から学校に通報された事もある。 それでも2人で暮らして来た。 再婚なんか考えた事もなかった。 それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。 娘に話があると言われた。 「結婚したい人がいる。」と。 でもその前に怪我治せ・・・おい!」 彼女は死んでいた その後のことは良く覚えていない 医者と看護士が慌しく入ってきて死亡判断?のような事をやっているのを眺めていた そして気がついたら彼女は棺桶に入っていた のろのろと病院に来た家族の人たちは冷めた表情だった 葬式も告別式も身全てが事務的だった 悲しんでる人はいなかった 「ああめんどくさい」と愚痴るやつもいたと思う 後日、家族の人に頼まれて彼女の家を整理しに行った 古ぼけたアパートで部屋も狭かった 相当質素な生活をしていただろう 机に日記帳があったので開けてみると下手な字で俺との出来事が書き込まれていた 日付は交通事故の前日で止まっていた 涙が止まらなかった 「ゆう君の大せつなエンターぷラいずをぷラモデルやさんでつくった みせの人にてつだってもらったけどじょうずにできたかな あしたはこれをもってゆう君のいえにゆこう おかゆもそうじもれんしゅうしたから ゆう君は、よろこんでほしいな」 今、彼女の墓は吉祥寺にある もし願い事が一つ叶うなら、この愚かな俺に、もう一度彼女を会わせて欲しい もう10年も前の話 妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。 実際私も、妻の面影を追う毎日であった。 寂しさが家中を包み込んでいるようだった。 そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。 出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。 2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。 そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。 息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。 一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。 隣に座っていた母がこう言った。 あなたがこの間、九州へ行っていた時に、 正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。 そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、 「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」 「本当はパパだってとってもさみしいの、」 「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」 「それはね、パパが男の子だからなんだよ。 まぁも男の子だよね。 」 「だから、だいじょうぶだよね?」 「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。 」 そう言っていたのよ。 何ということだ。 娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。 場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。 10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。 来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい? 君に今、どうしても伝えたいことがある。 支えてくれてありがとう。 君は最高のママだったよ。 私にとっても、正樹にとっても。 ありがとう。 母が死んで今日で一年とちょっと。 高齢出産だったこともあって、 俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。 俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。 俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて 何も言えなかったから何でもかんでも 母に当たってた。 たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき 母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。 お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。 でも気付いてからは遅いんだよね。 そんな俺も今年で23才になる。 20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って 高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。 それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。 お母さん。 無事に生まれてくれたらいいな。 俺を生んでくれてありがとう。 高齢出産だったから辛かったろう。 でも孫の顔見せてあげたかったな。 抱かせてあげたかったな。 でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。 あの笑い声ももう聞けないんだよね。 でも俺少しは一人前の大人になったよ。 学歴も無いし給料安いけど ついに家庭を持つよ。 こんな幸せなことってなかなか無いよね。 俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。 休みの日は子供といっぱい遊ぶ。 俺が小さい頃のお母さんよりは 動けると思うよ。 なんたってまだ俺若いからね。 お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。 「今日はお風呂入ってもう寝なさい」 あの時寝なきゃ良かったな。 今でも思うよ。 一晩中話しとけば良かったよ。 なんで死んじゃうんだよ。 お母さん。 もっといっぱい甘えとけば良かった。 もっといっぱい話したかった。 旅行に連れて行ってあげたかった。 それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。 次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。 お母さん、天国から俺の事見える? 俺の事もう心配しなくていいからね。 子供の名前何にしようかな。 お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。 最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。 「お母さん、生んでくれてありがとう」 俺の家は貧乏だった。 運動会の日も授業参観の日さえも オカンは働きに行っていた。 そんな家だった。 そんな俺の15歳の誕生日。 オカンが嬉しそうに俺にプレゼントを渡してくれた。 ミチコロンドンのトレーナーだった。 僕はありがとうと言いつつも恥ずかしくて着れないな と内心思っていた。 差し歯を入れるお金もないオカン。 美容院に行くのは最高の贅沢。 手はかさかさで化粧なんて当然していない。 こんなトレーナー買うくらいなら他の事に使えよ……。 そんな事を考えながらもう何年も見ていないアルバムを見たくなった。 若いときのオカンが写っている。 えっ! 俺は目を疑った。 それはまるで別人だった。 綺麗に化粧をし健康的な肌に白い歯を覗かせながら笑ってる。 美人のオカンがいた。 俺は涙が止まらなくなった。 俺を育てる為に女を捨てたオカン。 ミチコロンドンのトレーナーを腕に抱きその夜は眠った記憶がある。 それから少しばかり時は流れ俺は高校卒業後の進路を考えなければいけない時期になっていた。 大学進学はとっくに諦めていた。 学校で三者面談が行われた時オカンが先生に向かって言った。 『大学に行かせるにはいくらお金がかかるのですか?』 俺は耳を疑った。 びっくりしている俺を横目にオカンは通帳を先生に見せて 『これで行けますか?』 と真っ直ぐな眼で先生を見つめた。 それから俺は死に物狂いで勉強し大学に合格することができた。 郷里を離れる際オカンが俺に真っ赤なマフラーを渡してくれた。 学費を稼ぎながらの大学の生活は 苦しくもあったがマフラーを見ると元気がでた。 それから時は流れ会計士になった俺は来年の春、結婚する。 そして生活を共にする……。 俺と最愛の妻と最愛の母とで。 なんとしても二人を守ってみせる。 色褪せたトレーナーとほつれたマフラーを前にして俺はそう誓った。 旦那の上司の話です。 亡くなったお子さんの話だそうです。 主人の上司のA課長は、病気で子供を失いました。 当時5歳。 幼稚園でいえば、年中さんですね。 原因は分かりません。 不治の病だったそうです。 Aさんも、Aさんの奥さんも絶望の淵に立ったそうです。 奥さんは、突然Aさんに皿を投げつけたりするDV行為を行ったそうです。 ストレス発散だったのでしょうか。 Aさんは事情が理解できていたので、黙って見守っていたそうです。 我が子を失った思いというのは、自分さえ深く深く傷ついている。 ましてや、奥さんは自分が仕事でいない間もずっと一緒だった。 たとえば入院してからも、自分は仕事で病院に行けない日があったのに、奥さんはずっと通っていたわけです。 Aさんも悪いなあと思っていました。 その時点では、いずれ退院したら、どっか連れて行こうか、女房と子供はディズニーが好きだから、連れていけばいいや、と軽く考えていたそうです。 その矢先のお子さまの突然の天界。 Aさんも自分の過ちを気づいたそうです。 その時、その一秒でも子供と、奥さんと共に接していれば、わずかな時間でも共有していれば、たとえ結果は一緒だったけれど、過程は全然異なる。 そう自責の念に駆られたそうです。 子供を失った夫婦というのは、とてつもなく大きな暗い穴が広がるそうです。 我が子はうざいと思う時もありますが、いざ、最初からいないと仮定すると、それは考えられない。 失う、消えるという事態が突然自分の事になるのはとても理解できないと思います。 そういう場面にAさん夫妻は直面したわけです。 その後は毎日が夫婦喧嘩。 一方的に奥さんが罵るわけですが、Aさんも耐えてるんでけども、悪いとは思いながらも、時折言い返してしまう。 メビウスの輪の悪循環。 Aさんと奥さんは精神的にボロボロに崩れ落ちていました。 当時A課長は、私の旦那を送ってきた際に 『きみの子たちは元気だね。 それは結構幸せな事なんだ。 ゼロになるというのは本当に信じられないことなんだ。 気が狂うよ。 』 と言ってました。 涙目で。 後々になって話を聞くと、実際に、備長炭を用意していたそうです。 死ぬ一歩手前。 そんな時な話です。 『ディズニーランドに行ってみようか。 』 そう思ったA課長はその考えを奥さんに言いました。 なぜならその日は生きていれば我が子の誕生日だったからです。 それに、子供は病院で息を引き取る前に、ミッキーのぬいぐるみを抱いていたほどディズニーが大好きだった。 Aさんは、子供が亡くなるまで毎年、ディズニーランドで子供の誕生日を祝っていたのでした。 今年も生きていれば当然ながら行っていた。 自分の家のイベントだった。 それを思い出したんです。 それで一周忌に子供の約束は守ろうかって思ったんですね。 Aさん夫婦はディズニーランドに行きました。 最初は後悔したそうです。 すれ違う親子連れ。 ミッキーの帽子をかぶってじゃれ合う親子連れ。 同い年であろう子供を見るたびに涙がこぼれそうになったそうです。 だって我が子も一緒に来ていれば同じことをしていたわけです。 手の温かさを思い出したそうです。 『パパ、ママ。 』 亡き子供の声を何万回も聞いたそうです。 もし、自分の子供が生きていたら、こんなふうに乗り物に乗っていたんだろうか。 こんなものを一緒に食べて喜んでいたのかなあ。 ディズニーランド内を歩くたびに亡くなった子供の笑顔ばかりが頭に浮かんだそうです。 Aさんは 『来なければよかったよ。 』 と思ったそうです。 奥さんも同じことを考えていたのか、Aさんを睨み付けるばかり。 『帰ろうよ。 』 さらに 『あなたは私に悲しみを与えるばかり。 』 『最悪の夫だよね。 』 とも言われたそうです。 宣告ですね。

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感動する話

弟とトシキ君との出会い 私の弟が小学5年生の時、母が学校に無理を言って普通学級に編入させてもらった時のことです。 私の弟に、トシキ君と言う友達ができました。 家庭に事情のあるトシキ君は、小学5年生で既にゲームセンターに行ったり、タバコを吸ったりするような早熟な不良でした。 そんなトシキ君はどういうわけか、私の弟の面倒だけはとてもよく見てくれていたのです。 子供は残酷なものです。 クラスの中に呼吸器をつけた子には優しくはありませんでした。 私の弟は男の子だけでなく、女の子からも陰湿なことをされました。 しかし、それは弟のそばにトシキ君がいない時だけを狙って起こっていました。 弟が母に言います。 「トシキ君がね、誰か僕をいじめられたらすぐ俺に言え。 お前は俺の弟分だからな!!だって言うんだ。 」 「でも弟分ってなんだろうね。 子分の事かな?」 弟はいつも家に帰ると母と私にそう言っていました。 弟が修学旅行に行く途中、バスの中で弟がおもらしをしてしまった時がありました。 弟の同級生は、その件を少し笑いながら一歩引いて見ていましたが、トシキ君は弟のおもらしの世話をしてくれたのです。 当時6年生の男の子のトシキ君がしてくれたのです。 弟の友達のトシキ君 小学校を卒業した弟が養護学校中等部に入ると、トシキ君くんはより一層気合の入ったヤンキーになっていました。 しかし、トシキ君は弟の養護学校のバザーに来てくれたり、養護学校の生徒たちによるフォークダンスに参加してくれました。 私は、なぜこのように優しい子が不良になるのだろうかと不思議に思っていました。 その後、トシキ君は何をやったのか警察に連れて行かれてしまいました。 少年院に入ったと聞きました。 そしてトシキ君は東京に行ってしまったとも聞きました。 とにかくトシキ君とはそれっきり疎遠になってしまいました。 スポンサーリンク 弟の木箱 弟が死んだ時、28歳という短い生涯を表すかのように、身の回りの持ち物も本当に質素なものでした。 私も両親も、弟に「やっと楽になれたね。 よく28歳まで生きたね。 」と、落ち着いた気持ちで、その事実を受け入れながら弟の所持品を整理していました。 すると、弟が大切にしていたであろう「木箱」を見つけました。 私は母と二人でそっとその木箱の蓋をあけ、中を見た時、私も母も胸が締め付けられる思いになりました。 涙が止まらなくなっていました・・・・。 弟の大切な宝物 木箱の中には、弟の宝物がいくつか入っていました。 それは、「1枚の写真」と「手紙」でした。 手紙は薄紙で包まれるほど、特に大切にしまい込んでありました。 写真は弟の養護学校時代のものでした。 弟の隣には、寄り添って腕を組みカメラにガンを飛ばす金髪少年が写っています。 「そうだったのか。 トシキ君。 私たちが知らない時でも、弟のいる養護学校にわざわざ訪ねて来てくれていたんだね。 」 手紙はどれも便箋1枚に少ない文字のものばかりです。 「おまえはいつでも俺の弟分だ」 とか 「早く元気になれ。 ドライブに連れてってやる」 とか 「寂しくなったらいつでも言え。 すぐ俺がきてやる」 とか ぶっきらぼうに書かれてありますが、弟を強く励ます一行、二行の文章がありました。 母と私はそれらを前にして、涙をこらえることができずにいました。 トシキ君。 今どこにいるのですか。 元気で幸せに暮らしていますか。 私は今すぐ君に会いたい。 会ってすぐにその手を握りしめたい。 心優しきヤンキー君。 君のそのキレイな心は外見では決して計ることはできないです。 そして君に心の底から伝えたい。 ありがとう。 ありがとう。

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本当に泣ける話

感動する話

感動とは、人間の心理を「一定の法則」で刺激することで発生する「科学」にすぎません。 つまり、この科学を用いれば、感動する話はいくらでも量産できます。 実際、ハリウッド映画も、この科学を活用して感動話を作っています。 例えば「ハリウッド式3幕構成」が有名ですが、これも人を感動させる科学です。 第1幕:物語の状況を伝える(コミットメント) 第2幕:問題が発生。 主人公の葛藤(痛みの共感) 第3幕:問題を乗り越えてハッピーエンド(感動する話) 感動する話でほっこりするのは楽しいものですが、私たちは意図的に感動させられているケースもあるということ。 特に、映画は「プロパガンダ(思想扇動)」に利用されてきた歴史があります。 だからこそ、私たちは、いかに感動する話が作られているのか知っておくべきです。 そこで、今から「ニセモノの感動話を量産する7つの技術」をご紹介しましょう。 この記事の目次• 解決が絶望的に難しい「問題」を設定する ここが、感動する話(泣かせる話)を作るためのコアになります。 人間は、自分では解決できない問題に直面したとき「泣く」というメカニズムを備えています。 これは、赤ちゃんや子供に顕著に現れますが、人間の本能的な行動です。 つまり「解決が絶望的に難しい問題」の設定が、泣かせる話を作る条件です。 物語で「人の死」が良く描かれるのも、解決が絶望的な問題として好都合だからです。 しかし「人の死」ばかりでは芸がありません。 そこで、人の死以外で絶望的な問題を設定するために有効なのが「落差」をつける方法です。 日常から問題発生までの触れ幅を大きくするのです。 例えば、主人公が「希望」に満ちているほど、問題が発生したときに落差がつきます。 「愛する人と結婚する希望」から「愛する人と結婚できない問題」が発生するなどがそうです。 主人公の「好感度」が上がる物語にする 主人公が、いくら絶望的な問題に直面しても、主人公に好感度がない場合、人は感情移入できません。 つまり、感動する話として成立しません。 例えば、いじわるで憎たらしい「嫌われ者」が問題に直面したところで、同情するどころか、心地良さすら感じてしまうのが人間の心理です。 つまり「いかに好感度の高い主人公を描くことができるか?」これが、相手が感動する話を作るうえで欠かせないポイントになります。 問題が発生する前の「第1幕(状況設定)」より、主人公の好感度を上げるための描写を心がけましょう。 それ以降も、主人公の好感度が積みあがっていくストーリー構成が理想です。 感動させたいターゲットを絞り「共感度」を上げる 感動する話には、主人公に対する「好感度」に加えて、主人公に対する「共感度」も重要です。 共感度を高める技術としては「感動させたいターゲット層」を絞り、ターゲットの経験と重なるストーリーを設定することです。 それによって深い感情移入を誘うことができます。 また「特定の心理状況」に絞るのも有効です。 例えば、卒業シーズンであれば「別れ」をテーマにしたストーリー設定をするなどです。 この数値が高くなるほど、お涙ちょうだいの感動話を作ることができます。 感動を煽るために、主人公の感情を剥き出しにする 人間の脳には「ミラーニューロン」という共感細胞が存在します。 他人の行動なのに、自分のことのように反応してしまう心理があるのです。 このミラーニューロンを刺激する技術が、主人公の感情表現を大きくする方法です。 主人公の表情や声を駆使し、オーバーに見せるのです。 これは、漫画「ワーンピース」でも頻繁に見られる技術です。 ただし、ストーリーに釣りあわない感情表現は「非共感」の原因となり逆効果です。 主人公が直面する「問題の深刻度」に合った演出に留めましょう。 最後に、今までのテクニックを使って、前述の「ハリウッド式3幕構成」を組み立てていくコツを紹介しておきます。 第1幕:日常生活を描き、物語の基本設定をしっかり伝える まずは第1幕です。 ここでは「物語の基本設定」をしっかり伝えることに注力します。 状況が伝わらなければ感動するどころか、物語に入っていくことができないからです。 第1幕は、問題発生へと向かう「前フリ」です。 相手に状況をしっかり理解させ、さらに予想を裏切るような問題を起こすことで、インパクトのある「オチ」ができます。 これによって、第2幕へと興味をつなげていきます。 第2幕:絶望的な問題発生。 主人公が苦しみ葛藤する 第2幕の「解決が絶望的に難しい問題」がはじまります。 主人公の苦しみや葛藤を、感情をむきだしに表現しましょう。 相手のミラーニューロンを発動させるのです。 加えて、前述した「主人公の好感度と共感度」を高めることにも意識を注ぎましょう。 ここが疎かになると、主人公の苦悩や葛藤、感情表現は空回りします。 解決不可能な問題・主人公への好感度と共感度・むきだしの感情表現を両立させ、人々の感情移入を誘いましょう。 第3幕:人間が大好きな「3つの要素」を使い問題解決する 人生の苦難を懸命に乗り越えようとする人間模様に、人は感動を覚えます。 人生にふりかかる問題の解決に欠かせない要素は、大きく分けて3つ。 この3つの要素をドラマティックに演出することで、感動する話ができあがります。 「情熱や熱意」で問題を解決する 主人公が問題に対して「情熱(熱意)」によって解決しようとする姿です。 人は、苦難から逃げずに立ち向かい、問題を解決していく勇姿に感動します。 主人公の情熱や熱意は、感動する話に良く使われる要素です。 「人間関係」によって問題を解決する 人間は一人で生きられません。 そのため、他者とつがなりたいという感情が強い生き物。 また、他者に良好な関係を築くことは、人生において大きな目的でもあります。 そのため、私たちは、人々が団結して何かを達成するストーリーに感動します。 震災復興の物語などが分かりやすい例でしょう。 発生した問題に向かって、共に情熱を持って一丸となって解決しようとする姿。 または、他人のために無償で奉仕する人間愛。 これらも、感動する話に良く使われる要素です。 「知恵」によって問題を解決する 人間は、考える力に秀でた生き物。 私たちは人生にふりかかってくる数々の問題を解決するために、学ぶことをやめません。 知恵は、人間が生きるための武器だからです。 だからこそ、解決できない難しい問題を、知恵を絞り、試行錯誤を繰り返して解決する姿に、人々は感動します。 発明家や開発者の物語に、私たちが感動するのはこれが理由です。 まとめ 感動する話を作るために必要な要素は全てお話しました。 あとは、これらの要素をいかに「配列」していくかがキーポイントです。 当然、むやみやたらに要素を詰め込んでも、感動する話はできあがりません。 人々に「主人公のあのセリフが感動した」「あのシーンが感動的だった」と思わせるために、あなたの客観性をもとに、絶妙に配置していきましょう。

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