船戸 雄大。 背を丸め、小さな声で「船戸雄大です」 起訴内容を概ね認める【目黒5歳児虐待死裁判・父親の公判①】

【虐待】船戸雄大【ズラ】

船戸 雄大

なぜこのような異常な人間が育ってしまったのかを調査するために、その育てられ方、出身地や出身校、学歴などの生い立ちは細かく調べられました。 また、犯行当時の職業や前職なども調べられました。 船戸雄大とは何をした人物なのか、どのように育ってきたのか、職場での仕事ぶりはどうだったのかということや、生い立ちを含めて、まとめています。 船戸雄大とは?結愛ちゃん虐待事件の犯人? 船戸雄大は2018年3月に、東京都目黒区で起きた女児虐待事件の犯人です。 この事件では長い期間に渡って度重なる虐待を受けた、5歳児童が死亡しました。 児童の名前から結愛ちゃん虐待事件とも呼ばれています。 死亡したのは母親の連れ子だった船戸結愛ちゃんです。 結愛ちゃんは母親の船戸優里と元夫との間に生まれました。 船戸優里は離婚した際結愛ちゃんを引き取り、船戸雄大と再婚しました。 結愛ちゃん虐待事件では、船戸雄大の血も涙もない非人道的行為の数々が暴かれ、世間を騒がせました。 また、虐待を隠し通そうとし、行政の介入も拒んだ母親の船戸優里も犯人の1人となっています。 2018年3月2日に死亡した結愛ちゃんへの虐待は少なくとも2016年8月以前から行われていた事が分かっています。 2016年8月に近隣住民の通報によって児童相談所に一時保護され、その時の診断で日常的な虐待を受けていた事が判明しています。 保護解除後も虐待の跡が発見されましたが、母親は否定し保護には至りませんでした。 結愛ちゃんは度重なる虐待で、肉体的にも精神的にもボロボロにされ、死亡しました。 結愛ちゃん自身からも「パパにやられた」という言葉が出ていたにも関わらず、結局誰にも救われることはありませんでした。 船戸雄大の生い立ちは?出身地は?札幌?岡山との噂も? 船戸雄大は事件当時は無職でした。 船戸優里の仕事で生計を立てていたとされています。 香川県の住んでいた頃は仕事をしていたのですが、東京では仕事をしていませんでした。 東京に転居したのは、児童相談所から逃げるためと言われており、次の職を決めないまま当時の仕事を辞め、目黒区に引っ越しています。 帝京大学時代の知人を頼って東京に引っ越したとも言われています。 その後は船戸優里がキャバクラで働き生計を立てていたため、東京に来てからの船戸雄大は、働かず家に居る時間が多かったようです。 船戸雄大の前職は食品会社?味のちぬや?仕事ぶりは? 香川県に住んでいた頃の船戸雄大は、三豊市の冷凍食品会社に勤めていたようです。 パソコンなどを使用し、システム関係の業務に携わっていたようです。 どうやら仕事は出来る方だったようで、短い期間で主任という役職になっています。 評判も明るく社交的な人間だったと言われているようです。 ネット上では、船戸雄大の勤務していた会社は、味のちぬやという所ではないかと言われています。 船戸雄大の人物像や性格は?自宅住所とFacebookが特定された?.

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船戸雄大の現在!嫁の船戸優里など家族・目黒虐待事件とその後まとめ

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10月1日、目黒5歳女児虐待死事件の父親の初公判が開かれました。 東京都目黒区で昨年3月、当時5歳だった船戸結愛 ふなとゆあ ちゃんを虐待し、死なせたとして、 保護責任者遺棄致死や傷害などの罪に問われた父親の船戸雄大被告は、初公判で起訴内容の大筋を認めました。 父親の弁護側は、雄大被告には、理想の家庭があったこと、理想の子どもにしたいと思っていた、 父親になりたいという気持ちがあり、前夫との子が邪魔であるとか、憎たらしいから 虐待したのではない、と主張しました。 しかし、その主張の中からは、むしろ雄大被告が 虐待をエスカレートさせてゆく心理状態にあったことが見えてきます。 父親は虐待をエスカレートさせる心理状態にあった 雄大被告は、理想の家庭像を持ち、結愛ちゃんを理想の子どもにしたかったのだ、 と弁護側は主張していました。 理想の家庭像を持つことは決して悪い事ではありません。 ですが、理想を完璧に実現しようとするのはとても難しいことで、 実現出来ないことこそ、当然なのだと現実の中で受け入れていくことが必要です。 雄大被告には、その受け入れが出来なかったことが、弁護側の言い分から見えてきます。 「理想の子どもにしたい」という思いは、虐待につながるリスク要因です。 子どもが自分の思い通りにならないことが許せない、と感じてしまうからです。 言うことをきちんと聞かない、子どもが悪いのだ、だからもっと厳しくしなくては、とも考えてしまうからです。 雄大被告が結愛ちゃんに対して、そう思っていたのは、結愛ちゃんの反省文から明らかです。 「もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから きょうよりも もっともっと あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします これまでどれだけあほみたいにあそぶって あほみたいだからやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいやくそくします あしたのあさはぜったいにやるんだとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ」 結愛ちゃん反省文より 理想の子どもにしたい。 その親の思いは、エゴであり、押し付けでしかありません。 ですが、その思いが強いと、親は子どもへの暴力を「しつけのため」と考え、 虐待を正当化するようになりリスクがあるのです。 自分はこの子を「良い子」にするためにやっている。 それなのに言うことを聞かないこの子が悪い。 親がそう思うようになり、虐待がエスカレートしてしまうのです。 ですが、親は子どものためにやっている、と思っているので、 自分の行動を正当化し続けます。 雄大被告も、この心理状態にあったと考えられます。 結愛ちゃんの体重をコントロールしようとしたのも、 ひらがなの練習や九九をやらせたのも、運動をさせたのも、 雄大被告は結愛ちゃんのため、と考えていたのでしょう。 だから結愛ちゃんが苦しんでいるのを無視し続けたのです。 自分が正しいと思っていたからです。 最近、知られるようになってきた「教育虐待」の親の心理にも共通しています。 名古屋で、子どもを自分と同じ学校に入れる為に教育虐待をした父親が 子どもを刺殺してしまった事件を記憶されている方もいらっしゃると思います。 親のエゴと「子どものため」という押し付けが、虐待につながるのです。 児童相談所の指導を理解していない また、弁護側の主張の中で、雄大被告は、児童相談所に、 「実の親ではない」と言われ、拒絶反応があった、とありました。 「実の親ではない」と児童相談所は言ったかもしれません。 ですが、児童相談所は、「実の親ではない」という理由だけで子どもを保護することはありません。 雄大被告に一時保護の理由を説明しているはずです。 暴力は虐待である、やってはいけないことだ、と伝えているはずです。 それなのに、雄大被告には「実の親ではない」という言葉しか残っていない。 つまり、それは自分の何が悪くて、何を変えなくてはならないのか、 その指導を理解していない、ということです。 雄大被告は、児童相談所に結愛ちゃんを保護されても、 自分のやっていることが虐待であると理解していなかったということになります。 だから虐待が繰り返されたのではないでしょうか。 雄大被告が自分の行動を正当化していた、 正しい子育てをしている、と思っていたからだと考えられます。 公判はまだ続きます。 今後も公判に合わせて雄大被告の心理状態を分析し続けたいと思います。

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栗原勇一郎と船戸雄大。2人のモンスターでも死刑にならない裁判の現実

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結愛ちゃん虐待死事件が起こった当時、船戸雄大は無職でした。 それに対し当時、船戸優里はキャバクラで働いていたとの噂があります。 また、船戸優里はシングルマザーだったため生活保護にも頼っていました。 就職先を見つけていなかったことから、船戸優里を働かせながら船戸雄大は無職のまま住み着こうと考えていた可能性もあります。 船戸雄大はもともと冷凍食品会社で働いていました。 そこでは主任にまで上り詰めるほど優秀だったといいます。 しかし、結愛ちゃんが虐待されていると児童相談所の目に付けられてしまった為、職を見つける前に目黒区に引っ越して船戸雄大は無職になってしまいました。 そのため結婚相手に船戸優里を選んだのは、お金目当てだったという可能性もあります。 上記で記載したように暴行を加えられていたことが原因で死亡したわけではありません。 普段から食事を十分に与えられていなかったため、衰弱していたようです。 食事を与えなかった理由は、モデル体型にしたかったと話していたと言います。 しかし5歳児の女の子に食事制限は不要で、事件当時の結愛ちゃんの体重は12キロほどしかありませんでした。 過酷な食事制限は徐々に拍車がかかっていき、1日1食しか与えられないこともありました。 結愛ちゃんが死亡する数日前には、ご飯を食べることすらできないと本人の口から話していました。 結愛ちゃんは衰弱しきっていて、もうすでに食事を飲み込むことができなかったのです。 その際結愛ちゃんは、妻の船戸優里に声を振り絞って助けを求めていました。

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