世界が君の小さな。 【ネタバレ感想考察】「天気の子」を君の名は。嫌いがみた結果|愛が歌われ尽くした世界で描かれた現代人への応援歌

ゆびつむぎ

世界が君の小さな

子供の頃を綴ったメモワールが好きだ。 気に入ったら何度でも読み返す。 例えば I. シンガーのメモワール。 先の大戦でこの世から消し去られたワルシャワのユダヤ人街の暮らしが、貧しいラビの息子であるイチェーレ君の目線でいきいきと語られる。 そんなお気に入りのメモワールの一冊が翻訳された。 リアド・サトゥフの『未来のアラブ人』だ。 フランスでも大ベストセラーとなり、世界中で広く読まれている。 特にフランスでの反響は凄まじく、サトゥフの作品を読んできたBDファンのみならず、およそBDを手に取りそうにない人々までもが買い求め、このメモワールに夢中になった。 どちらかと言えば地味なジャンルであるメモワールがこれほど人々を惹きつけたのか。 まず、独裁者が君臨していた1980年代のリビアとシリアの普通の人達の日常生活という、「誰もが知りたいとは思ってはいたものの知るすべが全くなかったこと」を教えてくれるからだろうか。 作者サトゥフは1978年にシリア人の父とフランス人の母のもとに生まれた。 ソルボンヌで歴史学のドクターの学位を得た父は、オックスフォード大からの誘いを断りアラブの未来のために役に立ちたいとカダフィのリビアで助教授のポストにつき、しばらく後に故郷シリアで教えることを選んだ。 一家は、父とともに独裁国家を渡り歩くことになる。 物心のついたリアド君ー長いブロンドの髪につぶらな瞳、誰もがチューせずにはいられない天使のような子供ーが見た世界は、その見える世界の狭さも手伝って具体的で視覚的だ。 リビアの家には外からかける鍵がない。 人が中にいない住居には、誰でも扉を開けて移り住むことができる。 だからうっかり外出すると新しい住人に乗っ取られてしまう。 食べ物は配給制で、国の都合によりしばらくバナナだけしかもらえないこともある。 テレビから流れるのはカダフィ大佐を讃えるプロパガンダばかりかと思うとそうでもなく、『大草原の小さな家』や懐かしの和製特撮もの『スペクトルマン』が放映されていたりする。 シリアでの住まいとなった父の故郷の村では、リビアよりぐっとイスラムの教えに従ったくらしがある。 宴席では女たちは別室に集められ、男達から料理が「下げられて」くるのを待たなければならない。 村から最も近い都会ホムスでは、独裁政権を象徴するような刑死した罪人たちがぶらぶら揺れる光景と、モダンライフを満喫するリーゼントスタイルの若者の姿が並存している。 世の中のことを何も知らないリアド君は、彼の周りのあれこれをおろしたてのスポンジのようにそっくり吸い込んでしまった。 おかげで好奇心をそそられるトリビアルな細部までしっかり読者に伝えてくれるわけだけれども、とりわけユニークなのは彼の五感の働きぶりだ。 目に見えるものだけでなく質感、匂い、味覚を総動員し彼の前に現れたものを一つ一つ捉え、「リアド(が感じるところ)の世界」を作ってゆく。 早朝に静寂を破って響き渡る得体の知れない音が、「イスラムの朝のお祈り」というものだと学んでゆくように。 夏の間過ごすフランスの空気は、リビアやシリアの空気と違ってspicyだ。 フランスのおばあちゃんは香水の香り、シリアのおばあちゃんは強い汗の匂いがする。 その汗の匂いの中に、リアド君は自分に寄せられる愛しみの感情を感じ取る。 彼を好いてくれるひとは誰もが感じのいい匂いがするのだ。 みんなに可愛がられてきたおかげで、リアド君にとっては全てがポジティブ、身構えたり怯えたりしない。 また自分がフランス人なのかアラブ人なのか?などと考えるまでには育っていない。 そんなリアド君が無邪気に受け止めた光景や子供の遊び、大人達のやりとりにははっとさせられることが少なくない。 この彼の疑いのない視点が最も生きるのが、パパについての描写だ。 パパはリアド君にとってのヒーロー 、なんでも知っていて何でもやってのける。 おいしい木の実の取り方を教えてくれたり、どんな質問にも答えてくれる万能のパパのしたこと言ったことを、リアド君は見たまま聞いたまま読者に教えてくれる。 しかし大人の読者から見たパパは、たいそう複雑な存在だ。 まず、 西洋とアラブの2つの世界に引き裂かれた人である。 大家族の末っ子として唯一人学校通いを許され、読み書きを身につけたばかりか、故郷を出てフランスで学位まで取った。 西洋文化を書物だけでなく生活面からも十分に吸収した身でもある(ムスリムには禁じられているワインの味も含めて)。 その一方で、アラブ人であることを過剰なまで意識し、その裏返しからか黒人やユダヤ人への暴言を平気で口にする。 アラブの人々が旧植民地に住む無学な民というレッテルから解放され誇りをもって生きることができるよう身を捧げたいと理想に燃える一方で、17年間不在にした故郷に馴染むことができず、「よそ者」扱いされる現実を受け止められない。 また折り紙つきのインテリであるはずなのに、子供の頃植え付けられた魔物や悪魔の呪いといった迷信に未だ囚われていたり、他所の子供に気軽に手を挙げるなど村の男達のマナーに従うことをためらわない。 弱気になったときにいつも出る仕草も含めリアド君の無心な眼差しが一挙手一投足をとらえたパパの存在はこのメモワールの核となり、次第に現実に絡め取られ理想から離れてゆくその姿は作品に深みを与えている。 気持ちよく読み進めてしまい忘れがちなのが、作者であるサトゥフの声の不在だ。 激変した2つの国について今を生きる大人の視点からコメントできることは山ほどあるはずだが、注釈すらない。 背景にうとい読者が迷わない程度のフォローはしてくれているが、余計な大人のおしゃべりはゼロ。 サトゥフはほとんど何も参照せず、自分の記憶だけを頼りにこの作品を書き上げたということだが、それにしてもこの寡黙さには驚かされる。 しかし、サトゥフはコマの外で存在感を示している。 自分の見聞きしたことを淡々と語っているようでいて、さりげなく見るべきものに焦点を合わせ、読者の前でどうテンポよく絵的に展開させるかクールにコントロールしている(作者が映像作家としても評価されている人であることもよく判る)。 色使い一つにも、リビア、フランス、シリアでの日々を黄色、ペールブルー、サーモンピンクの異なる色調の背景を使って描きわけ読者の感覚にアピールするなど、緻密に計算している。 とりわけ印象的なのは、主人公をはじめとするメインキャラクターの描き方だ。 サトゥフは大胆に単純化することを選んだ。 太めのはっきりした描線だけで描き、表情のつけ方もシンプル。 リアド君のつぶらな瞳も大抵の場面では黒い点で表現されるだけだ。 ダイナミズムや繊細な線による感情表現をあえて捨てた画は、クールなBDというより『ドラえもん』のような一昔前の日本の小学生向けマンガを思わせる。 そして人物のクローズアップは極力避け、コマの中にほぼ全身が現れるよう画面を構成したー細部をしっかり書き込んだ背景を背にして。 おかげで、リアド君のモノローグで物語が進行する「リアド君を中心とした世界」の中にあっても、読者はリアド君に入り込んで読むことができない。 リアド君もその家族も大きな社会のほんの一部であって、世の動きに翻弄される小さな存在であることを常に意識せざるを得ないのだ。 作品を通して保たれるこのリアド君への「引きの視点」は、リアド君の立ち位置を伝えるのに役立っている。 彼もまた、パパや非イスラムのヨーロッパ人であるママと同じく「よそ者」で、土地の子にはなれない「移動する子供」なのだ。 そんなリアド君の微妙な立場を活かした場面描写が、第1巻の終盤に登場する。 シリアの村での大層ショッキングな出来事で、いつも平常心、『ザ・シンプソンズ』のママ・マージみたいと評されるママが完全に取り乱してしまう場面でもある(個人的に息を呑むほどにつらく、この場面があるから日本では翻訳されないのではないかと勝手に心配してしまったほどだ)。 サトゥフは、シリアの土地の子供でもフランスの子供でもない「よそ者」の子供が、感情を交えることなく一部始終を目撃するという形でそれを描いてみせた。 激怒から訳知り顔の説明まで読者が様々に反応することは百も承知で。 そこにはむき出しの純粋な暴力があり、またそれを受け止めざるをえない人々がいた(壊れたママに寄り添う女達のように)。 僕は見てしまったのだよー大人になったサトゥフの呟きが聞こえてくるようだ。 これに比肩するような出来事を、リアド君はいくつも目撃してゆくことになる。 この作品に取り掛かるまで、サトゥフは中東を巡るもろもろと関わり合いを持たずにきた。 同時多発テロが起きた時は、その数年前に今時の若者の日常をモチーフにした作品をシャルリー・エブドに寄稿していた関係からテロ直後に刊行された追悼号に関わり、パリでのデモにも参加している。 しかし、ひとつの正しいスローガンの下に皆が集うということに違和感を感じずにはおれなかったそうだ(シリアで感じた独裁国家の空気に似たものが見えてしまうのだとか)。 そんなサトゥフに封印してきた中東での子供時代の記憶を引っ張り出させ、多くの人の関心を引き寄せる作品を描く気にさせたのは、2011年のいわゆる「シリアの春」のムーブメントだった。 全てが崩壊する、と直感し、トランス状態でひたすら執筆に没頭したそうだ。 タフな作業であったろうことは想像に難くない。 記憶の断片が意味することも今やよくわかるし、子供だったころとは違うものも見えてくる。 手加減したくなるような情景やエピソードもあっただろう。 だがサトゥフは子供だった自分が五感で感じたもの、匂いや音で捉えたものをそのまま描くことを選んだーポリティカル・コレクトネスや基本ハッピーな異文化交流記に馴染んでいる読者をくらくらさせることになったとしても。 記憶をたどるだけでも大変なのに、それをマンガのスタイルで描くのは相当な葛藤を伴う仕事であったと思う。 例えば、パパがあからさまな差別発言をする場面。 親がそんなことを口にしていたことを公表するだけでもつらいのに、マンガのマナーとして「発言する姿」を絵にしなければならない。 サトゥフは、全く悪びれた風のない若い父の表情をしっかり捉えている。 描きつつ身悶えする姿が見えるようだ。 しかし煩悶しつつも子供時代をマンガにすることに魅了されているサトゥフもこの作品にはいるように思う。 ページをめくる読者と同じくらい新鮮な気持ちで自分の中に瞬間冷凍されていた子供の私の世界を見つめ、湧き上がるさまざまな想いをマンガでの表現という形で昇華させる。 サトゥフにとって「人生の総決算」のような時間だったのではないだろうか。 ひょうひょうとした中にこの作品がちらりとのぞかせるきっぱりとした強さは、しんどい仕事の果てに作者がたどり着いた「迷いのなさ」から来ているのかもしれない。 巻が進むにつれて成長し学校に通うようになるリアド君は「ピュアなスポンジ」から脱して、自分なりに物事を判断し、主張をはじめる。 ぐっと広くなる彼の世界には、フランス人も大好きな永井豪のロボットアニメやシュワちゃんの出世作も登場。 最終的にはブルターニュの団地でのティーンエイジャーの日々まで描くらしい(ケッタイな名前の内向的な男子として過ごしたフランスでの日々は、別の意味でいろいろ大変だったようだ)。 ますます面白くなるこのメモワール、新しい巻が発売されるのが待ち遠しい。 最後に、第1巻に登場したリアド君の天国を紹介したい。 「神様」「天国」という言葉の意味すらおぼつかない3才のリアド君が、偶然が重なった結果思い描いたしろものなのだが、これがぶっとんでいる。

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大人は楽しく今がすべてでない 新学期の君に贈る「君たちは今が世界」

世界が君の小さな

監督・脚本 スティーブン・チョボスキー 脚本 トッド・リーバーマン デビット・ホバーマン キャスト ジュリア・ロバーツ ジェイコブ・トレンブレン オーウェン・ウィルソン イザベラ・ビドビッチetc 宇宙飛行士のヘルメットでいつも顔を隠し、学校へ行かないでずっと自宅学習を続けてきたオギーだが、両親は息子を外の世界へ送り出そうと決意する。 だが、5年生で入学した学校で、オギーはいじめや裏切りなど初めての困難と出会う。 幾度もくじけそうになりながら、家族の愛を勇気に変えて立ち向かうオギー。 やがて、頭の回転が速くユーモアに溢れたオギーの太陽のように輝く魅力に気付く生徒たちが現れ始める。 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより ワンダー 君は太陽(2017 を見た感想としては、辛いところを長引かせないテンポの良さで観ていて気持ちのいい映画でした。 家族との話がメインの映画かなと思って観たのですが、思ったよりも学校での話がメインで不安を抱えながらも学校で頑張る姿には応援したくなります。 家族には弱みを見せるけど、学校では泣かない主人公。 本当に観てよかった映画です。 結末もシンプルでスッキリできるのがいいですね。 歌や音楽など挿入歌も素晴らしく泣けます。 他にはチューバッカが出てくるなどスターウォーズネタもあって笑いました。 では、ワンダー 君は太陽(2017 をレビューしていきたいと思います。 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより 自分がこの映画を観て感じたテーマはこれです。 行動すれば少しづつ変わっていく この映画では、主人公のオギーはいじめにあっていても、お気に入りの宇宙飛行士のヘルメットがなくなっても決して学校に行くことはやめませんでした。 家族には泣いて怒ったりもしますが、毎日学校に行きます。 日本でもいじめのニュースがよく流れている通り、多くの人が学校や職場の人間関係で苦しんでいますよね。 生活をする上で、多くの部分を占めるコミュニティでは簡単には解決しないですね。 応援してくれる家族のために通ったのか、心配をかけたくないから通ったのか、本心はわかりません。 それでも毎日毎日、希望が見えなくてもオギーは学校に通い続けました。 学校に行くのが正解とか引きこもりが正解とかそういう話ではなく、行動し続けることが正解なんだと自分は思います。 オギーは学校で行動し続けましたが、もちろん、学校以外の場所でも良いと思います。 一つ言えるのは、行動するしかないということ。 家の中で寝ているだけでも、ただ学校に通うだけでも友達はできなかったと思います。 理科の授業では手も挙げ、困っているジャックには答案を見せてあげたり。 こういった行動がジャックやサマーと友達になるきっかけを作りました。 オギーが普通の少年でも見た目ではわからない。 もし、周りを恨み続けるだけのオギーだったらジャックやサマーは友達になろうとしなかったと思います。 結局、何かのきっかけは自分の行動が作るのだと思います。 友達を作るために 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより 主人公のオギーはスターウォーズが好きで、お父さんとチャンバラもする普通の男の子です。 一つだけ違うのが、遺伝子の疾患でみんなとは違う顔をしていること。 「人は見た目が9割」とか言われたりするように、容姿は人の印象を左右することが大きいです。 少し違うだけ。 たったそれだけでオギーは周りから変な目を向けられてしまいます。 全く話してくれない人を知るために、友達を作るためにオギーは何をしたのか? オギーがしたことはよく人を見ることです。 オギーがジャックと友達になった時も周りをよく見ていたことがきっかけですね。 ジャックが困っているのを見つけたからこそ行動できました。 他人から注がれる嫌な視線から目をそらす中でも、人の靴を見てどんな人かを想像していました。 良い人か、悪い人かなんて見ただけじゃわかりませんよね。 でもきっかけにはなる。 相手をよく見て、行動することでオギーは友達を作ることができました。 よく見ているだけでも、行動するだけでも決して道は開かれなかったと自分は思います。 周囲の変化 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより オギーが太陽なら周りは惑星。 誰かのために行動すれば、自分は犠牲になってしまいます。 ヴィアはおばあちゃんがいなくなってからはオギーのために楽しいことも辛いことも両親に話せずにいました。 それでもオギーが泣いているときには慰めたり励まし続ける。 そんな心優しく、ひたむきに頑張るヴィアにも幸せが訪れます。 ジャスティンという友人に恵まれました。 ジャスティンとの出会いもヴィアの性格が出ていました。 多分、自分がうまくいっていない時にジャスティンと出会ったらうざいだけだと思います(笑)でもヴィアはジャスティンの話をしっかり聞いた。 これが全てですね。 出会いを引き寄せるのも日々の行動が大切だと思いました。 人に優しくしていれば思わぬところで出会いを引き寄せてくれる。 運命の出会いも偶然だからこそ、準備はしておかないといけないですね。 自分の気分で出会いを逃してしまうことがないように、人には常に優しくありたいと思います。 人生のヒント 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより この映画を通して学べる人生のヒントは… 一歩を踏み出す大切さ。 きっかけはなんでも良いのだと思います。 オギーが学校に通うきっかけはお母さんでした。 そのきっかけに一歩踏み出すことができれば世界は少しずつ変わっていきます。 もちろん、良い方に転ぶか、悪い方に転ぶのかは全くわかりません。 オギーは最後にお母さんに感謝していましたが、最初は怒っていましたね。 最後まで続けても、初めの方で辞めも違う結果にそりゃ誰も失敗なんてしたくないですよね。 もちろん自分も失敗したくありません。 でも思わぬ落とし穴があったり、ちょっとした出来事で上手く行ったり、失敗したり。 相談する相手は自分が大切にしている人だったら年齢は関係ないと思います。 子供に聞いても、お年寄りに聞いても自分を本当に心配してくれている人だったら最良の選択肢を用意してくれるはずです。 このブロブが誰かのきっかけになったら嬉しいですね。 最後に 映画『ワンダー 君は太陽』公式サイトより 以上、ワンダー 君は太陽 2017 をレビューしてきました。 容姿は人の第一印象を決めてしまう重要な要素ではあるけれど、それが全てではない。 行動には人の印象をはねのけていく力がある。 映画って結構自分たちが生きていく上でのヒントがあると思うので、今何かに迷っている方や躓いている方は観てみてはどうでしょうか? もちろん、映画っていろいろな感想があるので、全く別の意見もあると思います。 人の意見を聞いて新しい発見もあるのが素晴らしいと思います。 面白いとかつまらないとかも全部ひっくるめて。 何回見ても面白い発見があるのが映画ですね。 映画友達とかも募集しているのでよかったらぜひ。 1人でみるよりもまた違った映画体験が待っているはず。 映画に興味がある方や映画好きな方いたらぜひフォローお願いします。 相互フォローします。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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小さな世界の歌詞

世界が君の小さな

子供の頃を綴ったメモワールが好きだ。 気に入ったら何度でも読み返す。 例えば I. シンガーのメモワール。 先の大戦でこの世から消し去られたワルシャワのユダヤ人街の暮らしが、貧しいラビの息子であるイチェーレ君の目線でいきいきと語られる。 そんなお気に入りのメモワールの一冊が翻訳された。 リアド・サトゥフの『未来のアラブ人』だ。 フランスでも大ベストセラーとなり、世界中で広く読まれている。 特にフランスでの反響は凄まじく、サトゥフの作品を読んできたBDファンのみならず、およそBDを手に取りそうにない人々までもが買い求め、このメモワールに夢中になった。 どちらかと言えば地味なジャンルであるメモワールがこれほど人々を惹きつけたのか。 まず、独裁者が君臨していた1980年代のリビアとシリアの普通の人達の日常生活という、「誰もが知りたいとは思ってはいたものの知るすべが全くなかったこと」を教えてくれるからだろうか。 作者サトゥフは1978年にシリア人の父とフランス人の母のもとに生まれた。 ソルボンヌで歴史学のドクターの学位を得た父は、オックスフォード大からの誘いを断りアラブの未来のために役に立ちたいとカダフィのリビアで助教授のポストにつき、しばらく後に故郷シリアで教えることを選んだ。 一家は、父とともに独裁国家を渡り歩くことになる。 物心のついたリアド君ー長いブロンドの髪につぶらな瞳、誰もがチューせずにはいられない天使のような子供ーが見た世界は、その見える世界の狭さも手伝って具体的で視覚的だ。 リビアの家には外からかける鍵がない。 人が中にいない住居には、誰でも扉を開けて移り住むことができる。 だからうっかり外出すると新しい住人に乗っ取られてしまう。 食べ物は配給制で、国の都合によりしばらくバナナだけしかもらえないこともある。 テレビから流れるのはカダフィ大佐を讃えるプロパガンダばかりかと思うとそうでもなく、『大草原の小さな家』や懐かしの和製特撮もの『スペクトルマン』が放映されていたりする。 シリアでの住まいとなった父の故郷の村では、リビアよりぐっとイスラムの教えに従ったくらしがある。 宴席では女たちは別室に集められ、男達から料理が「下げられて」くるのを待たなければならない。 村から最も近い都会ホムスでは、独裁政権を象徴するような刑死した罪人たちがぶらぶら揺れる光景と、モダンライフを満喫するリーゼントスタイルの若者の姿が並存している。 世の中のことを何も知らないリアド君は、彼の周りのあれこれをおろしたてのスポンジのようにそっくり吸い込んでしまった。 おかげで好奇心をそそられるトリビアルな細部までしっかり読者に伝えてくれるわけだけれども、とりわけユニークなのは彼の五感の働きぶりだ。 目に見えるものだけでなく質感、匂い、味覚を総動員し彼の前に現れたものを一つ一つ捉え、「リアド(が感じるところ)の世界」を作ってゆく。 早朝に静寂を破って響き渡る得体の知れない音が、「イスラムの朝のお祈り」というものだと学んでゆくように。 夏の間過ごすフランスの空気は、リビアやシリアの空気と違ってspicyだ。 フランスのおばあちゃんは香水の香り、シリアのおばあちゃんは強い汗の匂いがする。 その汗の匂いの中に、リアド君は自分に寄せられる愛しみの感情を感じ取る。 彼を好いてくれるひとは誰もが感じのいい匂いがするのだ。 みんなに可愛がられてきたおかげで、リアド君にとっては全てがポジティブ、身構えたり怯えたりしない。 また自分がフランス人なのかアラブ人なのか?などと考えるまでには育っていない。 そんなリアド君が無邪気に受け止めた光景や子供の遊び、大人達のやりとりにははっとさせられることが少なくない。 この彼の疑いのない視点が最も生きるのが、パパについての描写だ。 パパはリアド君にとってのヒーロー 、なんでも知っていて何でもやってのける。 おいしい木の実の取り方を教えてくれたり、どんな質問にも答えてくれる万能のパパのしたこと言ったことを、リアド君は見たまま聞いたまま読者に教えてくれる。 しかし大人の読者から見たパパは、たいそう複雑な存在だ。 まず、 西洋とアラブの2つの世界に引き裂かれた人である。 大家族の末っ子として唯一人学校通いを許され、読み書きを身につけたばかりか、故郷を出てフランスで学位まで取った。 西洋文化を書物だけでなく生活面からも十分に吸収した身でもある(ムスリムには禁じられているワインの味も含めて)。 その一方で、アラブ人であることを過剰なまで意識し、その裏返しからか黒人やユダヤ人への暴言を平気で口にする。 アラブの人々が旧植民地に住む無学な民というレッテルから解放され誇りをもって生きることができるよう身を捧げたいと理想に燃える一方で、17年間不在にした故郷に馴染むことができず、「よそ者」扱いされる現実を受け止められない。 また折り紙つきのインテリであるはずなのに、子供の頃植え付けられた魔物や悪魔の呪いといった迷信に未だ囚われていたり、他所の子供に気軽に手を挙げるなど村の男達のマナーに従うことをためらわない。 弱気になったときにいつも出る仕草も含めリアド君の無心な眼差しが一挙手一投足をとらえたパパの存在はこのメモワールの核となり、次第に現実に絡め取られ理想から離れてゆくその姿は作品に深みを与えている。 気持ちよく読み進めてしまい忘れがちなのが、作者であるサトゥフの声の不在だ。 激変した2つの国について今を生きる大人の視点からコメントできることは山ほどあるはずだが、注釈すらない。 背景にうとい読者が迷わない程度のフォローはしてくれているが、余計な大人のおしゃべりはゼロ。 サトゥフはほとんど何も参照せず、自分の記憶だけを頼りにこの作品を書き上げたということだが、それにしてもこの寡黙さには驚かされる。 しかし、サトゥフはコマの外で存在感を示している。 自分の見聞きしたことを淡々と語っているようでいて、さりげなく見るべきものに焦点を合わせ、読者の前でどうテンポよく絵的に展開させるかクールにコントロールしている(作者が映像作家としても評価されている人であることもよく判る)。 色使い一つにも、リビア、フランス、シリアでの日々を黄色、ペールブルー、サーモンピンクの異なる色調の背景を使って描きわけ読者の感覚にアピールするなど、緻密に計算している。 とりわけ印象的なのは、主人公をはじめとするメインキャラクターの描き方だ。 サトゥフは大胆に単純化することを選んだ。 太めのはっきりした描線だけで描き、表情のつけ方もシンプル。 リアド君のつぶらな瞳も大抵の場面では黒い点で表現されるだけだ。 ダイナミズムや繊細な線による感情表現をあえて捨てた画は、クールなBDというより『ドラえもん』のような一昔前の日本の小学生向けマンガを思わせる。 そして人物のクローズアップは極力避け、コマの中にほぼ全身が現れるよう画面を構成したー細部をしっかり書き込んだ背景を背にして。 おかげで、リアド君のモノローグで物語が進行する「リアド君を中心とした世界」の中にあっても、読者はリアド君に入り込んで読むことができない。 リアド君もその家族も大きな社会のほんの一部であって、世の動きに翻弄される小さな存在であることを常に意識せざるを得ないのだ。 作品を通して保たれるこのリアド君への「引きの視点」は、リアド君の立ち位置を伝えるのに役立っている。 彼もまた、パパや非イスラムのヨーロッパ人であるママと同じく「よそ者」で、土地の子にはなれない「移動する子供」なのだ。 そんなリアド君の微妙な立場を活かした場面描写が、第1巻の終盤に登場する。 シリアの村での大層ショッキングな出来事で、いつも平常心、『ザ・シンプソンズ』のママ・マージみたいと評されるママが完全に取り乱してしまう場面でもある(個人的に息を呑むほどにつらく、この場面があるから日本では翻訳されないのではないかと勝手に心配してしまったほどだ)。 サトゥフは、シリアの土地の子供でもフランスの子供でもない「よそ者」の子供が、感情を交えることなく一部始終を目撃するという形でそれを描いてみせた。 激怒から訳知り顔の説明まで読者が様々に反応することは百も承知で。 そこにはむき出しの純粋な暴力があり、またそれを受け止めざるをえない人々がいた(壊れたママに寄り添う女達のように)。 僕は見てしまったのだよー大人になったサトゥフの呟きが聞こえてくるようだ。 これに比肩するような出来事を、リアド君はいくつも目撃してゆくことになる。 この作品に取り掛かるまで、サトゥフは中東を巡るもろもろと関わり合いを持たずにきた。 同時多発テロが起きた時は、その数年前に今時の若者の日常をモチーフにした作品をシャルリー・エブドに寄稿していた関係からテロ直後に刊行された追悼号に関わり、パリでのデモにも参加している。 しかし、ひとつの正しいスローガンの下に皆が集うということに違和感を感じずにはおれなかったそうだ(シリアで感じた独裁国家の空気に似たものが見えてしまうのだとか)。 そんなサトゥフに封印してきた中東での子供時代の記憶を引っ張り出させ、多くの人の関心を引き寄せる作品を描く気にさせたのは、2011年のいわゆる「シリアの春」のムーブメントだった。 全てが崩壊する、と直感し、トランス状態でひたすら執筆に没頭したそうだ。 タフな作業であったろうことは想像に難くない。 記憶の断片が意味することも今やよくわかるし、子供だったころとは違うものも見えてくる。 手加減したくなるような情景やエピソードもあっただろう。 だがサトゥフは子供だった自分が五感で感じたもの、匂いや音で捉えたものをそのまま描くことを選んだーポリティカル・コレクトネスや基本ハッピーな異文化交流記に馴染んでいる読者をくらくらさせることになったとしても。 記憶をたどるだけでも大変なのに、それをマンガのスタイルで描くのは相当な葛藤を伴う仕事であったと思う。 例えば、パパがあからさまな差別発言をする場面。 親がそんなことを口にしていたことを公表するだけでもつらいのに、マンガのマナーとして「発言する姿」を絵にしなければならない。 サトゥフは、全く悪びれた風のない若い父の表情をしっかり捉えている。 描きつつ身悶えする姿が見えるようだ。 しかし煩悶しつつも子供時代をマンガにすることに魅了されているサトゥフもこの作品にはいるように思う。 ページをめくる読者と同じくらい新鮮な気持ちで自分の中に瞬間冷凍されていた子供の私の世界を見つめ、湧き上がるさまざまな想いをマンガでの表現という形で昇華させる。 サトゥフにとって「人生の総決算」のような時間だったのではないだろうか。 ひょうひょうとした中にこの作品がちらりとのぞかせるきっぱりとした強さは、しんどい仕事の果てに作者がたどり着いた「迷いのなさ」から来ているのかもしれない。 巻が進むにつれて成長し学校に通うようになるリアド君は「ピュアなスポンジ」から脱して、自分なりに物事を判断し、主張をはじめる。 ぐっと広くなる彼の世界には、フランス人も大好きな永井豪のロボットアニメやシュワちゃんの出世作も登場。 最終的にはブルターニュの団地でのティーンエイジャーの日々まで描くらしい(ケッタイな名前の内向的な男子として過ごしたフランスでの日々は、別の意味でいろいろ大変だったようだ)。 ますます面白くなるこのメモワール、新しい巻が発売されるのが待ち遠しい。 最後に、第1巻に登場したリアド君の天国を紹介したい。 「神様」「天国」という言葉の意味すらおぼつかない3才のリアド君が、偶然が重なった結果思い描いたしろものなのだが、これがぶっとんでいる。

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