第五人格 認知ポイント 目安。 統合失調症と障害年金

男女関係 ジェンダー 第五話 性的エナジーのコントロール|Dr.「こころから研究所」Co

第五人格 認知ポイント 目安

前回、性的エナジーの正体として、『自己愛』に結び付くとお話しました。 そして本日は引き続き、その正体の本質は慈しみ愛する『自愛』であることを確認し、どうすれば適正な性的エナジーのコントロールを獲得出来るのかをお話して参りましょう。 はじめに、病的な状態『自己愛性パーソナリティー障害』を参考に、『自愛』の本質について理解を深めていきましょう。 『自己愛性パーソナリティー障害』 診断基準 誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。 以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。 1.自分が重要であるという誇大な感覚 (例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する) 2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。 4.過剰な賛美を求める。 5.特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する) 6.対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。 7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。 8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。 9.尊大で傲慢な行動、または態度。 以上がアメリカ精神医学会の『自己愛性パーソナリティー障害』の診断基準です。 上記項目のうち5つ、あるいはそれ以上で自己愛性人格障害と診断されるわけですが、このような思いは程度の差はあれど、誰でも多少思うのではないでしょうか。 ようは、特権や特別な意識が過剰となると病的と言えそうです。 では、この過剰となる最もわかりやすい意識とは何か。 ここで、『自己愛性パーソナリティー障害』の病態をご説明しておきましょう。 この病理を一言でいえば、 『特権』と 『差別』の不適切な意識です。 これを適切な表現に言い換えると 『主権』と 『分別』になります。 『特権』を意識する人は、ある特定の人間と特別な関係を結びたがります。 そうではなく個々の一人ひとりに『主権』があり、それは『差別』ではなく、他をわきまえた『分別』になるはずです。 『特権』や『差別』意識は、いわば極端な男性性と女性性の ネガティブマインドといってよいでしょう。 愛とは、基本的に繋がっていたいという気持ちの現れでもありますが、実はこの繋がり感覚は、いつでも信頼という真心という ポジティブマインドを必要としています。 しかし、多感な時期に『愛の減少感』を味わうと、繋がりを必要以上に求めるようになります。 男性であれば、規則の最上位である権力などの 特権階級との繋がりを渇望するようになりますし、女性であればコミュニティーにおける特別な繋がりを意識しそれ以外の人間を 差別したりします。 本来このようなネガティブマインドは修正されるべきですが、そのような時こそ、愛の力が必要となります。 不信と不義を許す寛大な心は美徳の最上位に挙げられており、怒りや憤り、裏切りや屈辱を受けたとき、繋がりの修復を可能にするのも愛の効果です。 『自己愛性パーソナリティー障害』の病理は、愛の減少感に対する不安や恐れ、怒りや屈辱などの感情を許す実体験や経験が浅く、本来の愛の繋がり感覚や、その繋がりを修復したり回復する術を学べなかったことが挙げられます。 では、この過剰で行き過ぎた病理を適正な方向に修正するにはどうしたらよいのでしょうか。 西洋精神医学では、様々な統計的メタ解析を行い、個々の病理的な解釈はあるのですが、ここでご紹介する立体モデルのように全体を見通す解釈はあまり得意ではないようです。 そこで、再び東洋の智慧を拝借することに致しましょう。 男性原理と女性原理は、精神と肉体、理性と感情、方便と般若で対をなし、それぞれはマインドを形成する最上位を為します。 精神、理性はもとより、方便は、「嘘も方便」という使われ方をしますが、この意は、嘘をついてもその人が傷つかないようにする配慮と、その嘘があとでばれたとしてもその人が傷つかないような思慮ができることを言います。 このようなことは基本的に仁愛の精神がなければできません。 この二つの原理は、陰陽の如く関連しあい、補い合っています。 そして両者はバランスを保つことをとても大切なこととして掲げています。 下の図の六角形の中心の枠組みが「自己」であり『マインド』です。 「自己」は内部に自我を含み、それは『利己心』となります。 また、前回お示ししたように、その反対には見えない『理』、公へ開かれた『規律性』の軸が存在しています。 これに男女の原理をマッピングしていきます。 上—下 理性—感情ライン 右上—左下 方便—般若ライン 左上—右下 精神—肉体ライン となります。 上部に男性原理、下部に女性原理が配列されています。 そして、これらがどのように『セックス』『ジェンダー』『セクシュアリティ』と関与するかといえば、 上—下 理性—感情ライン 『ジェンダー』 右上—左下 方便—般若ライン 『セクシュアリティ』 左上—右下 精神—肉体ライン 『セックス』 と関与が深いと思われます。 女性は大切な器として存在し、そこに男性は中身を注入する。 この働きが男女の原理です。 そして、それが男性本来のエージェンシーであり、女性のコミュニオンの適切な形です。 肉体に精神を注入し、感情に理性を注入し、般若に方便を注入することが性全体の役割としてあるのです。 ですから、当たりまえですが性生活とは単に生殖活動で 男性が精子を注入することだけではないのです。 上図では中心の 点に過ぎませんが、まさにこの『中心のライン』が性的エナジーの正体であり、『自愛』とは、このバランスがとれていることを示します。 生殖器の感覚刺激は感覚器の最上位に当てはまります。 これは言うまでもなくご存知でしょう。 性器は、触覚刺激のみを享受する 肉の感覚から、 知の状態、そして最後に、 観想の段階に至り、中心のエナジーが、パワー、そして、フォースをもコントロールする力を有するのです。 この後、視点の上昇が起こり観想の段階に入ります。 それはまた後半でお示ししましょう。 その可能性をこれからお話していこうと思います。 男性はイク時に、女性はオーガズムを感じるときに快感の極地に至ります。 快感覚が強いため心身がその欲求の虜になる時期もあります。 このような快感を求めるあまり、性欲は生理的欲求を軽く飛びこえ欲望へと変化し、コントロールはきわめて困難と言わざるを得ない状況に至ることもあります。 本来、性の快感は(こころ)のエナジーを得るものですが、それを<あたま>が仕切りはじめると気持ちよさの追求が際限なく起きたり、逆に気持ち悪く感じたりすることになります。 心のエナジーを得るための『心地良さ』と、<あたま>に仕切られる『気持ち良さ』には違いがあります。 そもそも、なぜ私たちにこのような性器の快感が与えられているのでしょうか。 これは本来(こころ)のエナジーの開放と交流によるエナジーチャージに役割があると考えています。 解放された障壁のない自由な環境で制限せずに身体表現をすると<あたま>の制御が外され、心はリフレッシュします。 氣功でも自発動(功)といって、体が動きたいように動くという方法で調整すると、効果的に心の解放を後押しできるのです。 ここまで『性的エナジーの正体』ということで、お話ししましたが、性的エナジーの正体とは、本質的に何なの???という疑問にはまだはっきりとお答えしていません。 しかしキーワードはお伝えしました。 それは 『中心』 そして 『自愛』 最後に 『慎み』 という言葉の中に本来の性的エナジーの究極の方向性があります。 それが『性的エナジーの正体』であり、このエナジーをコントロールをすることで、調和的で協調的な巡りが得られるのです。 これは一言でいえば、セックスの『気持ちよさ』より『心地よさ』を身につけていく方法です。 なんだか見ていて滑稽に感じ、妖艶な色気やセクシーさにも、ほとんど意味の無いものが大勢です。 このような動画や画像は基本的に全ては自分自身以外の対象として外に意識が向いており、スティーブン・R・コヴィー著『七つの習慣』のいう「欠乏マインド」状態なのです。 何か面白いことはないか、楽しいことはないか、と外に外に楽しみを向けている状態です。 これに対し「理」の方向性は、内部の自己を見つめ、内観の心境から相手を慮(おもんばか)り、気を配れる状態のことを言います。 「欠乏マインド」では、セックスする相手に対しても、あるいは自慰をするにしても、性的エナジーが満たされることはありません。 これは性的交流では男性において特に顕著な傾向になります。 性交というと精力絶倫でパワフルに滋養強壮の赤マムシドリンクを飲んで挑むなどと想像する方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそれでは、性器を 肉の感覚としてしか利用していません。 いわばぜんぜん『性』を楽しんでいないのです。 動物的な行為に興奮する方もいらっしゃるかもしれませんが、刺激的で衝動性の強い動きというものは、性的エナジーの本質から外れていることが多いのです。 自然の成り立ちをみまわしても、そのような衝動性や刺激が多いところには、あまり生き物は生息できませんし育むことも不可能です。 セックスも優しいだけでなく、時には激しくというようなテクニック的なことを言っているのでもありません。 テクニックは時に大切なこともあります。 私たちは[からだ]という形を有していますし、そこには感覚もありますから知っていても無駄ではありません。 その方面では 「アダム徳永」さんの「スローセックス」というジャンルの本もありますので、読んでみてもよいでしょう。 このようなテクニックと、今回お話している性的エナジーのコントロールとは理論と実践の対を為しています。 これについては次回にお話致しましょう。 マインドはこの六角形の外側を結ぶラインと中央から車軸状に伸びる6本のラインで形成された領域を言います。 性的エナジーをコントロールする方法は、実際のところ男性と女性ではかなり異なると考えています。 男性は大概、イク時に快感が最大になり急速に冷めるのですが、女性はそこからが本当の快感に至ることがあるように、男性と女性ではまったく快感の高鳴りが違います。 生物学的に考えれば、男性はエージェントに似た突出した感情の現れに似ていて、女性はコミュニオンの全体を繋げていくような印象があります。 このようなズレが生じる理由として、あくまでも憶測ですが、男性性と女性性の不一致な状況を一致させるために、利己心を抑え、相手に合わせる姿勢を学ぶために必要なのだと考えています。 ですから特に男性は慎みをもって臨むことが求められるのです。 キャロル・ギリガンの提唱した男女のタイプの成熟過程と似ていて、はじめは利己的な 肉の感覚、それから自分を意識した 自認の段階に至ると、相手にも配慮できる 知の状態へと進み、そして最終的にはお互いの(こころ)を認識できる 観想の段階に入ります。 男性は愛を与え、女性は慈悲の赦しを受け入れる。 心が納得して初めて心開く、『得心』という言葉があります。 心が開くためには、その鍵になる経験や体験があるはずです。 それは感動体験であったり、あるいは酷いことや辛いことを克服していく過程で出現することもあるでしょう。 九死に一生を得たり、病気により死を宣告されたりするような、極めて個人的なことから、身近な方の死やそういったことの苦しみや悲しみの境地から立ち直る過程で、ふと気付くこともあるかもしれません。 このような状態をスピリチュアル・エマージェンシーといい日本語では「魂の危機」と言われています。 関連の書籍などを読むと、このような気付きでは、圧倒的に『慈』と『愛』のエネルギー変化が起こり、生命の神秘や命について畏敬の念と感謝の気持ちが湧いてくるようになるといいます。 特にこのような気付きを与えるのは、過去を見据える力や、自分への省察、そして許しへの祈りでしょう。 これも検証が必要ですが、信(まごころ)は愛の証であり、それが人としての精神の根本です。 また、悲しみの経験から他人を慈しむことができ、そのことで人は智慧を授かるのです。 これは、陰陽五行の五常(仁、義、礼、智、信)の マッピングで、左上と左下にはそれぞれ、『信』『智』が配置され整合性も取れています。 『慈愛』とはまさしく、男女の性の結晶であり、それが気力として働くことは間違いないでしょう。 男性は『愛』を与え、女性は『慈』を享受するのです。 この行為には、一言で『慎み』という能力が必要です。 慎みという文字は、立心偏に真と書きます。 (こころ)の領域の『善』と[からだ]の領域の『真』を示しており、この行為を実践するにはその間を取り持つ<あたま>の領域の『美』を必要とします。 それは人間の純真さ、誠実さ、高貴な気高さ、など美的領域の心掛けであり、その行為は結果的に執着をせず節度を保つ所作を生むのです。 性的エナジーは、強大なパワーでもなければ精力絶倫でもありません。 繊細で微細で精妙な性的エナジーは、協調や調和をもたらすのです。 一般に見られる性的描写は、性的パワーであり、パワーを司る<あたま>を介したセックスは気持ち良さを求め、結果的に精力を減退させます。 大部分は電球が光る強烈な輝きを見て性的エナジーと勘違いしているのです。 性的エナジーはいわば蓄電(チャージ)行為そのものです。 内面にある生命の根源にプラグインして清浄な力を蓄える行為なのです。 ですから目には見えませんし、激しいものでもありません。 今回は、コントロールの具体的内容についての詳細には触れません。 理論的概略のみをお伝えしたいと思います。 この性的エナジーのチャージはその中心の『アファメーション』や『タッチセンス』と関連するものです。 女性では、子宮の位置が人間の重心の位置に近く、中心を担っていることと、この立体モデルの位置的関係は、偶然ではありません。 中心には全ての要素が凝縮されています。 そこから広がり全てが構築されるからです。 女性は視覚的な効果がなくともある程度内面の感覚だけで快感に達することができるため、それほど手技的に複雑ではありませんが、意識の向け方で性的エナジーを蓄え美容効果や生命力を高めることも可能なのです。 男性の精液は精気の証として、精力を温存するために『接せず漏らさず』という言葉があります。 このエナジーコントロールは単なる早漏のコントロール方法などとは異なり、精液を漏らさず射精とは比較にならないほどのエクスタシーや快感を保ちつつ性的エナジーを温存する方法となります。 今までご説明した、性的エナジーの正体として『中心』『自愛』『慎み』がありました。 これら3つがキーワードであり、その感情と意識の移動で性的エナジーをコントロールするわけです。 1)中心にはエネルギーが集約し拡散する大元がある。 2)中心からのみ全方向、全領域に意識を配ることができる。 3)回転する中心は『空』『無常』の根本である。 中心から車軸のように伸びる6本の線がそれぞれ六角形の頂点の6点にたどりつく場所が『チャージポイント』になります。 その中心を形成しているのが、この核である構造の元となる部分です。 中心にはエネルギーが集約し拡散する大元があるのです。 東洋医学の土王説では『土』が中央に位置し、命あるモノを生み出す中心。 公平公正平等の中心、そして大地を支える土台そのものが土でありそれが中心の役割となるのです。 次回は、性的エナジーの方向性についてお話ししたいと思います。 本日も最後までお読みいただき 誠にありがとうございました。

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【知っておきたい】ストレスを軽くする認知症介護、5つの心得と7つの原則|LIFULL介護(旧HOME'S介護)

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Posted by ブクログ 2018年12月08日 新書やビジネス書を読むときは、面白いと思った箇所に 付箋を貼ったりするのだけれど、これほどたくさんの付箋 を貼った新書はこれまでになかったと思う。 気づきを与えて くれた点や、思わず唸って納得したりする点が随所にあって、 得るものが多かった一冊。 この本の内容をタイトルだけで推測するのは早 計。 なぜなら、 扱う範囲は「痴呆老人」にとどまらなくて、「認知能力の低下 に対する怖れ」という事象をキーワードに、現在の日本と 日本人が抱えている問題にまで及んでいるのだから。 アプローチは、医学的見地をベースに、哲学や宗教の考え方 を絶妙にブレンドしたもの。 哲学や宗教の部分は少し難しい けれど、このブレンドのおかげで説得力が増しているのは 間違いない。 第一章 わたしと認知症 第二章 「痴呆」と文化差 第三章 コミュニケーションという方法論 第四章 環境と認識をめぐって 第五章 「私」とは何か 第六章 「私」の人格 第七章 現代の社会と生存戦略 最終章 日本人の「私」 付箋を貼った箇所の中でいちばん印象に残ったのは、第七章 で「ひきこもり」について触れた部分。 元々、日本の育児法は伝統的に他者とのつながりを重視 するものだったけれど、20世紀後半になってこの国は「自立」 した人間を育てるという方針に舵をきった。 そこで何が起きたか というと、疑問を解くため、あるいは判断をするための判断 基準を求める子どもに対して、親や教師は回答を与えずに 「自分で考えなさい」と返すようになった。 まだ自己決定に 必要な能力を育んでいない子どもはそこで悶々として、 自己決定をしなければいけない場面から意識的に遠ざかる ようになってしまった。 これが「ひきこもり」の始まりだ、 というのが筆者の指摘。 そして、こんな事態を防ぐには、「判断基準というものが どこにあるのかを子どもに教え込む作業が、前もって、 または同時進行的に行われなければならない」と説く。 この作業をきちんと行う重い責任が大人たちにはある。 Posted by ブクログ 2012年12月21日 タイトルの付け方がうまいが、内容も高齢者だけでなく、人間万人に通じる深さを持っている。 知性にもました情動の大切さ、自立の強調の偏狭さの指摘は身につまされた。 一種の文明論である。 痴呆老人やひきこもりだけでなく、乳幼児、知的障がい者からも同じ様な洞察が導かれるのではないかと感じた。 「つながり」から「自立 」へ急激に転換することの危うさ。 ・認知症が延命努力に値しない惨めな状態…日本「迷惑をかけるから」、米「自分の独立性を失うから」 ・認知症ならば延命措置を断る、というのは乱暴。 ・夜中に騒ぐのは、家族との人間関係。 ・一番良い経済環境は、老人か家族が全てを出すのではなく、双方が負担するのが発現率が低い。 ・偽会話=情動の共有 ・理解することではなく、やさしい声音でうなづく。 ・一貫した態度をとる。 ・「我々の味方でない者は敵だ」は、パニックに陥ったときの認知症の老人の反応と同一。 判断能力を超えた不安を感じたから。 ・知力低下が進むほど、その人の人格は若い時分に戻っていく。 ・人間が人格的まとまりを保ちながら生きるために、自信、誇り、自尊心といった、現在の自我を支える心理作用あるいは自我防御機制が働いている。 ・人類史的には人格の単一説は比較的新しい。 ・知覚は期待(記憶も)によって操られている。 ・「わたしは生きている」のではなく、「いのちが私をしている」。 ・うまいつながり…1:周囲が年長者への敬意を常に示す。 2:ゆったりとした時間を共有。 3:彼らの認知機能を試すようなことはしない。 4:好きなあるいはできる仕事をしてもらう。 5:言語ではなく、情動的コミュニケーションを活用する ・どの経験にもなにがしかの学びと苦痛と楽しさの要素が含まれている。 ・ひきこもりから。 見落とされていたのは、現代社会において「自立」することがとても重要であり、そのこと自体に問題などあるわけはないと認識されていて、それを実現させることに疑う余地はないと思われている。 Posted by ブクログ 2010年11月14日 認知症であると診断された肉親などを持つ方々だけでなく、多くの人に読んでもらいたい本だと思いました。 老人だけでなくひろく人間というものに必要なものがなにかを教えてくれます。 この本を読んでいるのといないのとでは、身内に認知症患者やその他引きこもりや統合失調症などの精神疾患患者が出た時のショックの度合い や接し方が絶対に違うと思います。 立ち返ればごく基本的なことですが、その一見誰にでもわかるようなことを手に入れられないときに人は心を病んでしまうものなのだろうなと思います。 もしも親が認知症だと言われたら、もう一度この本を手にとって読み返してみたいと思いました。 Posted by ブクログ 2010年06月04日 この本に救われた。 大好きな祖父がボケ始めたのは、私のせいだ。 14年前、私のつくったストレス状態が、脳梗塞を招いたのだ。 退院した祖父は痴呆症状を徐々に悪化させていった。 しばらく伯母の家にいたのだが、 手に負えなくなり、施設に入ることになった。 会いに行くと、祖父が帰りたいと言って涙を流すので 、 母は祖父に会いたがらない。 私が実家に帰っても、 祖父に会う時間は数日間のうち1時間もなかった。 最期の10年間、一緒にいた時間は半日もない。 そのほとんどが、祖父が死んだ病院に入院してからの時間だ。 祖父は、私のことを覚えていなかった。 他人というより、祖父の姿をした宇宙人のような気がした。 私のことを思い出して欲しいなんて 贅沢なことは思わなかったけど、 一度でいいから通じ合いたいと思っていた。 祖父が亡くなってから、この本を知った。 いわゆる痴呆老人は、なぜ徘徊するのか。 なぜおかしなことを言うのか。 なぜ妄想にとりつかれているのか。 たくさんの「なぜ」が丁寧に紐解かれていった。 これまで読んだ本にはない新しい視点だった。 祖父は宇宙人ではなく、 最後まで祖父だったんだとわかった時、 心がスッと楽になった。 たくさん謝りたいことはあるけど、 祖父なら許してくれるはずだ。 祖父は私のことが好きだったのだし、 最後まで祖父は祖父だったのだから。 Posted by ブクログ 2011年05月21日 [ 内容 ] 「私」とは何か? 「世界」とは何か? 人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。 そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。 Posted by ブクログ 2010年10月28日 痴呆老人の奇異な言動の背景には、痴呆老人独特の世界の解釈方法が存在する。 というのは、痴呆老人はそれまでの人生におけるアイデンティティを発揮できるような環境の構造を、そのまま今の状況にあてはめ、それに沿った行動をとることが多い、ということ。 以上が筆者の痴呆に対する考察だと思われる。 (人間とは、自分の置 かれた環境や状況の中で自我を拡張していきたがる存在という前提があり、それについても詳しく説明されている。 ) 具体的なコミュニケーション方法論は少なく、また痴呆の概念や関する記述は定説ではなくて筆者個人の意見である印象をうけた。 しかしそれでも、痴呆に対して気が楽になる考え方を提示してもらえたと感じている。 あと老いる事に対する文化差の話しが面白かった。 最後の日本社会に関する考察を展開している章は、痴呆とは直接的には関係ない話だし、筆者の憶測にすぎないのであまりいらなかったかな。 あと文章が論理的というより感情的だったのが残念な点。

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第五人格 認知ポイント 目安

「認知症のせいだとわかっていても、つい感情的になってしまう」「そんな自分が情けなく、疲れ果ててしまった」……先の見えない認知症介護。 こんな気持ちになることは決して 不思議なことではありません。 ご本人を大切な家族と思い、過去の光景が胸をよぎるからこそ、苦しくなることが多いもの。 ここでは、認知症の方のご家族がその介護のストレスを少しでも軽くするためのヒントや工夫を挙げていきます。 【目次】 認知症介護をする家族がたどる4つの心理ステップ 認知症介護をする家族が抱える辛さの一つに「先が見えないこと」が挙げられます。 これからどうなるのか、暗がりを手探りで歩いているような気持ちになるご家族も多いことでしょう。 そのような時には、 認知症患者の家族がたどる4つの心理ステップを思い出すとよいでしょう。 ご本人の認知症が診断されてから、その家族が様々な心理状態をたどり、最終的にご本人の認知症を受け入れ平穏さを取り戻すまでを整理したものです。 今どのような状態にあるのか客観的な目安となり、冷静になることができます。 第1段階 戸惑い・否定 ご家族が認知症を発症し、その変化に戸惑いを覚える時期です。 認知症だろうと頭では理解していても、時には診断が出た後も、「まさかそんなはずがない」「他の病気の影響だ」と認知症を否定したり、「いつもこんな感じですぐに治る」と、症状が表れていること自体を否定しようとすることもあります。 「今から予防に取り組めば治る」と様々な情報を収集し努力をされることもあります。 次第に、否定できないほど認知症が進むと、次の段階に移行します。 第2段階 混乱・怒り・拒絶 次々と表れる症状と変化する状況に「いったいこれはなぜなのか」「どのように対応すればいいのか」と混乱する中で介護に取り組み、多くの事柄を処理し続ける一方、否応なく進行する認知症や症状を示すご本人にも怒りを覚えてしまいます。 その結果、「なぜ私がこんな思いをしなければならないのか」と絶望し、ご本人、時には手を差し伸べてくれる人々をも拒絶するようになってしまうことも。 一方、自分ひとりだけが苦しんでいれば丸く収まるのだと孤立して、一見淡々と介護をこなしているようにみえる方もいるので注意が必要です。 このステップは社会的つながりが特に重要になる時期です。 次々と起こる症状を適切に理解し、対応のヒントを与えてくれる人々、負担や疲れを軽減する各種サービス、共感し先の見通しを伝えてくれる仲間や、介護家族会などとつながり、肩の力を抜いてご本人に向き合えるようになると次のステップに移行します。 第3段階 割り切り・諦め 依然負担感はあっても、認知症を格別の悲劇であるととらえることもなく、割り切ることができるようになります。 認知症は進行するもので予防も治療もできないと諦めを感じている一方で、それとどのようにうまく付き合っていけばいいのか、 認知症と、認知症のご本人と共に生きていくことを受けとめはじめる時期です。 「もしこの認知症が起きなかったら私の人生はどうだったか」「他の認知症のご家族はこんなに苦労をしているのか」という思いも時折よぎりつつ、認知症になってもなお愛すべきご家族であることを感じ、現状を肯定していくようになるにつれ、次のステップに移ります。 第4段階 受容 認知症のご本人、介護をした自分自身、そして認知症そのものに対しても受容し、その価値を認めていきます。 「認知症になった母をみて、初めてあるがままの母を知ることができました。 私は、母は認知症になってよかったと思っています」、「認知症介護に関わらなければ出会えなかった人々がいた。 その人々とのつながりは、今度は自分が認知症になったとき、大切なものとなると思います」と語るご家族もいます。 いつか自分もなるかもしれない認知症、あるがままのご本人、共に生きてきた自分自身の全てをかけがえのないものとして受容し、 さらなる未来を考えていく段階 です。 誰しも以上のようなステップをスムーズにたどるわけではありません。 また、これは必ずしも一方通行ではなく、時には前の段階に戻ったり、ずっと同じステップに立ち止まっていることもあります。 それでも、いつか受容できることを思いながら、認知症のご本人と共にゆっくりと生きていく指標の一つとして、胸にとどめておくとよいでしょう。 心の負担を軽くする「5つの心得」 前述した4つのステップは、上がるにつれご家族の心が軽くなっています。 認知症介護を続けるには、 介護者の心の負担を軽くすることは非常に大切なこと。 そのための「5つの心得」を知っておきましょう。 がんばらない 認知症介護にたずさわるご家族は最善の方法を学び、ご本人のために熱心に介護されていることが多いのですが、しばしば介護者ご自身の疲れや苦しみがないがしろになっています。 また、ごく自然な老化に起因することなど、どうしようもないことについてもご自身の介護努力と関連付けて、必要以上にがんばってしまう様子もみられます。 過度ながんばりの裏には、元気なままのご家族であってほしいという愛情と、それが叶わないかもしれない悲しみが横たわっていることでしょう。 その気持ちを見つめ、あるがままを受け入れ、がんばり過ぎなくていいんだと、まずはご本人よりも「ご自身」に優しくすることが第一です。 抱えこまない 「他人に任せることが不安」「認知症を知られることに抵抗がある」など、様々な思いで認知症介護をおひとりで抱え込まれるケースも少なくありません。 医療が進歩した今は介護が長期にわたることも多く、介護は一人きり、一つの家族で抱えこめなくなっているのが社会的な現実。 外部サービスなどに介護の一部を任せることは、むしろ望ましい姿なのです。 認知症が進むにつれて、ご本人もご家族も周囲とのつながりが薄れていく傾向もあります。 初期の頃から同じ悩みを持つ仲間や、家族会などとつながりをもち、抱え込まない意識を持ち続けましょう。 弱音を吐く 「介護は家族への恩返し。 やりがいのあるもののはず」と、明るく元気にふるまい、ご家族の介護の愚痴や弱音を吐くことを許さない方もいます。 でも、きれいごとだけではすまないのが介護。 どろどろとした不満ややりきれない気持ちは、あってあたりまえです。 時には介護家族会に参加したり、信頼できる友人に話を聞いてもらうなどして、弱音や愚痴を少しずつ、でも「きちんとこぼす」ことも、実は認知症介護にはとても大切なのです。 くらべない 認知症の進み方や症状の現われ方は千差万別。 「あの人よりも若いのに」「同じ時期に発症したのに」と他のケースと比べるのはあまり意味がないうえ、不幸の始まりです。 他のケースを参考にするのは悪いことではありませんが、介護に正解はありません。 ご本人の症状や認知症の進行度が、介護者の介護の良し悪しを反映・評価するものでもありません。 介護者ご本人が、ご本人らしくいられる介護が最もステキな介護だといえます。 おわりを考える 認知症は進行していくもの。 どのような症状にも「おわり」があります。 道迷いで目を離せなかった人も、歩くことが難しくなれば症状はなくなります。 妄想や幻覚などの行動・心理症状も、時が来れば、それすらも失われていくのです。 目の前の苦しみがいつおわるのか、本当におわるのかわからない辛さは確かにありますが、「いつかおわるもの」と気を長くもち、そのおわりを迎えるときにご本人もご家族も笑っていられるように「いま」を過ごしましょう。 ハッピーな認知症介護のための「7つの原則」 ご本人にやさしく、介護者も気持ちいい認知症介護を行うために、以下のような「7つの原則」も知っておきましょう。 ゆったり、ゆっくりを心がける 認知症では脳の情報処理速度が低下するため、ご本人は映画を早送りで見ているように全てが慌ただしく感じられます。 それでも理解しようと努力しつづけるので、ご本人は心も脳も疲れ切ってしまいます。 その結果、ますます理解は遅くなり、なおさら混乱や苛立ちを募らせ、負のスパイラルに陥ります。 介護者が会話も動作も 「ゆったり、ゆっくり」を心がけると、時にご本人が驚くほど穏やかになることも多いのです。 五感を活かしてコミュニケーションする 私たちは言葉だけでなく、常に五感による情報を受け取り、それを活用しています。 耳が聞こえなければ目をこらし、目が見えなければ耳をすますように、認知症の人の低下した情報処理機能を補うのが、 五感の情報です。 認知症の人は常に五感を使って心のアンテナを精いっぱい拡げています。 下の例のように、介護者が五感を活かしたコミュニケーションを意識すると、ぐっと意思疎通が楽になります。 五感を活かしたコミュニケーション例 ・声に感情や表情をつけ、質・大きさを工夫する ・顔をしっかり合わせ豊かな表情で対応する ・身振り・手振りを交える ・(ご本人に抵抗がなければ)ご本人にやさしく触れる、さする 3. 共感し、感情を合わせる 人には「情動調律」と呼ばれる、相手の感情を読み取りそれに自分の感情を合わせる能力があり、認知症になっても失われにくいものです。 むしろ、周囲の状況をくみ取ってかかわることが難しくなった認知症の人にとって、 感情によるコミュニケーションはより一層重要なものになっています。 ご本人が不安な時、介護者が優しい感情を見せていればご本人は次第に安心され、怒っている時、共感しながらも穏やかに接すると介護者につられ穏やかになっていきます。 表情や感情の共有を意識すると、安心感を与え、介護がスムーズになります。 認識や心の世界を理解する努力を 客観的な現実ではない認識や考えは、時に妄想と呼ばれ、ご本人を突拍子もない行動に至らせることもあります。 しかし、それはご本人にとってはまぎれもない現実。 頭ごなしに否定せず、いったん受け止め、下記の例のように ご本人がそう認識するに至る要因を探ることが大切です。 いつも下記の例のようにうまくいくとは限りませんが、介護者が心の世界を尊重し、理解しようとする態度はご本人にも伝わり、信頼や安心を生み出します。 休業のお知らせに来たようです」と声がけすると落ち着かれた) 5. わかりやすく調整する 認知症のご本人は、目や耳に異常はなくても、それを受け止める脳が機能低下を起こしているため、認識能力が低下しとてもあいまいに周囲の世界を認識しています。 薄暗い中に小さな明かりだけが灯っているように感じられたり、耳栓をしているように相手の言葉がぼんやりと聞こえて感じられれば、誰でも周囲を正確に理解できません。 さらに注意力や集中力も低下しています。 わかりやすい言葉で声をかけ、集中できる環境を整え、慣れ親しんだものは変えないなどのような工夫をすると、安心感をもって過ごしていただくことができます。 かけがえのない、有能な存在であることを感じてもらう 認知症の当人は何もわからないから楽だろうという誤解をされている人もいますが、実際のご本人はできないこと、わからないことが増え、自分が自分でなくなっていくかのような強い不安や絶望を感じています。 役割や仕事などを通して、自分も役に立つ存在であること、他人のために何かできる力があること、この世にふたりといないかけがえのない存在であると感じることは、そうした不安や絶望の軽減にとても大切です。 昔の歌、写真などを通し、ご本人を力づけましょう。 外部とのつながりをもつ 認知症が進みコミュニケーションが難しくなると、行動範囲が狭まり、社会的つながりが次第に失われていきます。 ちょっとした世間話、かわす挨拶、なじみの顔と出会うなど若い世代には些細に思えるつながりも、認知症のご本人には残り少ない宝ものです。 また、私たちは、自宅でリラックスするのとは別のよそゆきの顔も大切にしています。 認知症の方にも外に出てもらい、よそゆきの顔を使っていただくことは、ご本人の社会性を保つ大切な機会です。 もちろんご家族が孤立しないことにも役立ちますが、加えて、周囲の人々も認知症の方とのかかわり方を学べるという社会的意義もあります。 認知症のご本人やご家族が社会とかかわることは、社会がよりよく変わっていくための大切な基礎ともなるのです。 いくつも心得や原則を書きましたが、一番大切なことはたった一つ。 認知症のご本人を支える「あなた自身」が笑顔でいられることです。 ご家族や周囲の笑顔はご本人の笑顔を呼び、笑顔は不安を和らげ、症状の進行を遅らせ、生活の質を大きく高めてくれます。 ご本人だけではなく、介護者である家族ご自身が様々な支援を受けて、がんばらない。 無理をしない。 それが認知症介護の一番の秘訣なのです。 イラスト:安里 南美.

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