フォルテ ピアノ の 18。 スクエアピアノ・フォルテピアノ

スクエアピアノ・フォルテピアノ

フォルテ ピアノ の 18

0 9. 0 7. 0 5. 0 4. 0 4. 5 4. 0 3. 5 2. 5 2. 0 1. また、部屋ごとに人数制限をさせて頂いております。 各部屋の設備(全て部屋の利用料に含まれています) GAスタジオ (18畳)• グランドピアノ YAMAHA C3LA アーティスティックエディション• ドラムセット(YAMAHA Birch Custom Absolute• Gアンプ(Roland JAZZ CHORUS-120• Gアンプ(Fender STAGE1000• Bアンプ(Mark bass LittleMark250• ミキサー• 収音マイク (録音用天井マイク)• MDレコーダー• CDプレーヤー• カセットデッキ• マイクスタンド• スピーカー• 譜面台• 折り畳み椅子• エアコン• GBスタジオ (9畳)• グランドピアノ YAMAHA C3X GWスタジオ (7畳)• グランドピアノ(2台) YAMAHA C3 GXスタジオ (5畳)• グランドピアノ YAMAHA C6 GZスタジオ (4畳)• グランドピアノ YAMAHA C3 UHスタジオ (4. 5畳)• アップライトピアノ YAMAHA UKスタジオ (4. 0畳) UQスタジオ (3. 5畳) URスタジオ (2. 5畳) USスタジオ (2. 0畳)• ポータブル再生機器の入力端子 (ボリューム付き) UTスタジオ (1. 詳しくはお問い合わせ下さい。 マイクについて マイクはGAスタジオは5本、GBスタジオは3本、GW~GZ・UH~URスタジオは1本まで無料でお貸出ししております。 マイクを追加でご利用される場合は有料になります。 (本数に限りがございます。 ) また、ミキサーにより最大つなげるマイクの本数に限りがあります。 録音について 当スタジオは録音スタジオではございません。 録音を専門としているレコーディングスタジオのような専門スタッフはおりませんので、機材の操作はお客様ご自身でお願いしております。 各スタジオ内に説明書をご用意しています。 操作方法がお分かりにならない場合はスタッフにお声掛け下さい。 オーディション、コンクール提出等の目的で録音される場合、音質等にご不安があるお客様はご予約時にスタッフにご相談下さい。

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フォルテ ピアノ の 18

用語 ピアノという楽器の名称は、イタリア語の gravicembalo col piano e forte(優しく、また大きく鳴るチェンバロ)、もしくはその類似表現の省略形に由来している。 したがって、現代のピアノ(モダンピアノ)のより正式な名称も「ピアノフォルテ」あるいは「フォルテピアノ」であるが、19世紀前半以前の様式のピアノを、モダンピアノと区別して特定する必要がある時に、古風な「フォルテピアノ」という用語が慣例的に用いられている。 英語圏、イタリア語圏、日本語圏などでは「フォルテピアノ」が用いられるほか、フランス語圏では「フォルテピアノ」および「ピアノフォルテ」、ドイツ語圏では「ハンマークラヴィーア」および「ハンマーフリューゲル」が用いられる。 また、ロシア語やポーランド語などスラヴ語圏では現代ピアノのことを「フォルテピアノ」と表記するため注意が必要である。 ポーランド語の場合「歴史的フォルテピアノ」といった表現がされる。 構造 フォルテピアノは革で覆われたハンマーをもち、に近い細い弦が張られている。 ケースはモダンピアノよりかなり軽く、金属のフレームや支柱はモダンピアノに近づいた後期の物を除いては使用されていない。 アクション、ハンマーはともに軽く、モダンピアノよりも軽いタッチで持ち上がり、優れた楽器では反応が極めてよい。 音域は、発明当初はおよそ4であり、徐々に拡大した。 (1756—1791)の作曲したピアノ曲は、約5オクターヴの楽器のために書かれている。 (1770—1827)のピアノ曲は、当時の音域の漸増を反映しており、最末期のピアノ曲は約6オクターヴの楽器のために書かれている。 モダンピアノと似たペダル機構はフォルテピアノの発明当初より存在したが、足ペダルではなくハンドレバーや膝レバーを備えた楽器もある。 音 モダンピアノと同様、フォルテピアノは奏者のタッチによって音の強弱に変化を付けることが出来る。 しかし音の響きはモダンピアノとかなり異なり、より軽快で、持続は短い。 また音域ごとにかなり異なる音色を持つ場合が多く、おおまかにいって、低音域は優雅で、かすかにうなるような音色なのに対し、高音域ではきらめくような音色、中音域ではより丸い音色である。 これに対し現代のピアノは音域ごとにそれほど大きく違いがないような楽器が多い。 しかし、20世紀の中ごろまでは多くのピアノメーカーが独自のモダンピアノを製作しており、フォルテピアノと同じく音域ごとに異なった響きを想定していたと思われるメーカーも多数あった。 第二次世界大戦の際に多くのピアノ工場が焼失し、音色の画一化が推し進められたと考えられている。 1726年製のピアノ(楽器博物館) 現在「フォルテピアノ」と呼ばれる楽器は、頃ににて製作家のによって考案された。 クリストフォリは1720年代までこの楽器の開発を続けた。 現存する3台のクリストフォリの楽器はこの時期のものである。 現存最古の信頼できるフォルテピアノの記録は、クリストフォリのパトロンであったの1700年の日付をもつ目録にみえる。 目録中の記述は次のように始まっている。 "Un Arpicembalo di Bartolomeo Cristofori di nuova inventione, che fa' il piano, e il forte, a' due registri principali unisoni, con fondo di cipresso senza rosa... " (「1台のアルピチェンバロ、バルトロメオ・クリストフォリによる新規発明、優しく、また大きく響くもの、ユニゾンに調律した2レジスター、ローズ無しのイトスギの…」)。 他の史料としてがの『ハルモニア教程』 Le istitutioni harmoniche の余白に記した記述がある。 メッコリは次のように記している。 「これらの方法によって "Arpicimbalo del piano e forte" を演奏することができる。 (この楽器は)もっとも高貴なるフェルディナンド・トスカーナ大公子殿下のチェンバロ製作家、パドヴァのバルトロメオ・クリストファニ師(原文ママ)によって1700年に発明された」。 クリストフォリの楽器は、優れたアクションで今日高く評価されており、ある面では後の楽器の多くよりも巧妙で優れた機構を持っている。 また、ハンマーの打撃に耐えるためには弦に充分な張力が必要であるが、クリストフォリの楽器は、同時代のチェンバロよりも頑丈な構造を持ち、より太い弦が高い張力で張られている。 弦は全音域で1音に2弦ずつ張られ、後のあらゆるピアノと同様、ハンマーが複数の弦を同時に叩くようになっている。 さらに、クリストフォリの楽器には、現代のピアノのソフトペダルに相当する機構も備わっている。 ソフトペダルはハンマーが叩く弦の数を減らすようにする機構で、クリストフォリの楽器ではハンドストップを使用している。 ただし、モダンピアノのソフトペダルがクリストフォリの発明の直系なのか、独立に発明されたのかは明らかでない。 クリストフォリのハンマーアクション機構 普及の開始 クリストフォリの楽器は、1711年に(スキピオーネ・マッフェイ)によるヴェネツィアの Giornale de'letterati d'Italia 掲載記事によって有名になった。 この記事には、クリストフォリの発明の要である、アクションの図解も掲載されていた。 1719年にはスキピオーネの著書に再録され、更にの『音楽評論』( Critica Musica)にドイツ語の翻訳が収められた(1725年)。 恐らくこのマッテゾンの書を通じて、ドイツ語圏にフォルテピアノが普及していく。 クリストフォリの楽器の普及は、当初はかなりゆっくりであった。 これはチェンバロよりも製作が難しく、極めて高価であったためと推測されている。 しばらくの間、フォルテピアノは王族の楽器であり、クリストフォリ製作やクリストフォリ風の楽器は、ポルトガルやスペインの宮廷で演奏されていた。 の弟子でもあったスペイン王妃は数台のフォルテピアノを所有していたことで知られており、スカルラッティ本人もフォルテピアノを演奏していた可能性がある。 個人でフォルテピアノを所有した最初期の人物には、のがいるが、ファリネッリの楽器は、バルバラの死後譲り受けたものであった。 特にフォルテピアノのために書かれた最初の楽曲、の「ツィンバロ・ディ・ピアノのためのソナタ」( Sonate da cimbalo di piano, 1732年)が書かれたのもこの時期である。 この作曲は単発的なものであり、ジェームス・パラキラスは、ジュスティーニの王族のパトロンたちはこのような楽曲の出版はジュスティーニにとって名誉となると考えていたと推測している(Parakilas, 1999)。 楽器が高嶺の花であるうちは、フォルテピアノのための楽曲の市場はなかったと考えられる。 フォルテピアノが本格的に人気を得るのは1760年代になってからであったようだ。 この時期から、公衆の前での演奏の記録があり、フォルテピアノのためと記された楽曲の出版も幅広く行われるようになった。 「強い音と弱い音」を交互に出すことを作曲家が楽譜で頻繁に指示することも、目だって増えてくる。 ジルバーマンの楽器 ドイツ語圏でのフォルテピアノの製作を始めたのはであった。 ジルバーマンはドイツので活動しており、1730年頃よりクリストフォリの設計に基づいてピアノの製作を始めた。 クリストフォリが王室の保護を受けていたのと同様、ジルバーマンものの庇護を受け、フリードリヒはジルバーマンの楽器を数多く購入した。 が1736年頃におこなったジルバーマンの楽器の批判は著名であるが、後の1747年にベルリン訪問中に触れたジルバーマンのピアノは、バッハにも評価されたようである。 パラキラスの説によれば、ジルバーマンの楽器の向上は、スキピオーネの記事だけに頼っていたのを、実際にクリストフォリのピアノに接する機会を得たことによるものであった。 スキピオーネの記事の図解は、現存するクリストフォリ・ピアノと一致しないが、これはスキピオーネが間違った(スキピオーネ自身が記憶に基づいて書いたとしている)ものか、クリストフォリがスキピオーネの記事後にアクションを改良したものと考えられる。 ジルバーマンの功績と見なされているものに、ダンパーペダルの原型の発明がある。 ダンパーペダルは、全ての弦から一度にダンパーを取り払う機構で、これにより全弦が自由に振動する。 ジルバーマンが開発したのはハンドストップであり、演奏を中断しないと操作できないものであった。 の時代を通じて、膝レバーやペダルによる操作機構が備えられたが、全てのダンパーをあげるのは主にその音色を特別に利用するためであった。 ウィーンスクール ジルバーマンのあとに続いたピアノ製作家たちはクリストフォリのアクションよりも簡潔な構造のアクションを開発し、遂にはエスケープメント(鍵が押されている間にハンマーが元の位置に戻る機構)すら欠くアクションまで開発した。 このような楽器は批判の対象となったが(モーツァルトが父に宛てた1777年の手紙が特によく知られる)、製作が容易で、に多く用いられた。 シュタイン ジルバーマン後の時期の最も重要な製作家の一人に、その弟子でドイツので活動したがいる。 シュタインのフォルテピアノのアクションは、従来の「突き上げ式」に対し「跳ね上げ式」と呼ばれる。 「突き上げ式」との最大の違いはハンマー構造体そのものが鍵盤上に載っていることで、ハンマーヘッドは奏者側にくる。 奏者が鍵盤を押すとハンマー支点を基準にハンマーヘッドから反対側にあるビークと呼ばれる鳥のくちばし状の突起が鍵盤後方にあるエスケープメント機構にひっかかることによりハンマーが打弦する。 ビークはエスケープメントに軽く接しているだけなので、跳ね上がる角度により簡単に外れる構造になっている。 なお、下記の構造模型にはエスケープメントから外れたハンマーヘッドを一時的に保持するチェック機構があるが、オリジナルのシュタインのピアノにはこの構造はなく、後日により加えられたものと考えられている。 この打鍵方式は、その後ウィーンで19世紀半ばに至るまで広く用いられたところから、今日一般に「ウィーン・アクション」と呼ばれる。 ウィーン・アクションはクリストフォリ・アクションよりも簡単な構造を持ち、奏者のタッチに極めて敏感に反応する。 エドウィン・リピンによれば、ウィーン式のフォルテピアノの打鍵に必要な力は、モダンピアノの半分、押し続けるのに必要な力は四分の一に過ぎないという(Ripin, 1986)。 このことから、ウィーン式のフォルテピアノの演奏には、現代のモダンピアノの名手のような運動能力よりも、微妙なタッチのコントロールが要求される。 シュタインは楽器に使用する木材を極めて過酷な環境にさらす工程をおき、これによって木材に入ったヒビにくさびを打ち込んで埋めた。 このことによりシュタイン・ピアノは長い寿命を得ることができ、このことについてはモーツァルトも言及しているほか、今日残存している楽器も複数ある。 シュタインによるハンマーアクションの構造模型、浜松楽器博物館で撮影。 シュタインのピアノ製作業は娘のとその夫によってウィーンで続けられ、成功を収めた。 シュトライヒャー夫婦はベートーヴェンの友人で、ベートーヴェンもシュトライヒャー・ピアノを所有していた。 シュトライヒャーの工房はその後2世代にわたって続いた。 音域はナネッテ・シュトライヒャーの時代に6オクターヴ FFーf4 、そして6オクターヴ半 CCーg4 へと拡大した。 ヨハン・バプティスト・シュトライヒャー の時代にはさらに音域を拡大し、金属製フレームを導入、イギリス式とヴィーン式アクションを折衷させた独自の「アングロ・ジャーマン・アクション」を開発した。 ウィーン・美術史美術館楽器部門に展示されている1868年製の楽器 が ブラームス・ザールのオープニングで演奏した はアメリカから伝来した交差弦の構造を採用している。 その他の製作家 もう一人の重要なウィーンスクールの製作家はである。 ワルターはモーツァルトの友人で、シュタインの楽器よりもやや力強い音の楽器を製作した。 前述の1777年の手紙に見えるように、モーツァルトはシュタインのピアノを極めて高く評価していたが、本人の所有ピアノはワルターのものであった。 シュタインとワルターの楽器は、今日の新しいフォルテピアノの製作におけるモデル楽器として広く利用されている。 アンドレアス・シュタインやヴァルターより後の6オクターブ半 音域CCーg4 の楽器の時代のまた一人の重要な製作家にがいる。 グラーフはベートーヴェンの最後のピアノの製作家で、ウィーンで最初にピアノの大量生産を大規模な事業として行った人物の一人である。 ヨーゼフ・ブロートマンも知られる。 ブロートマンのピアノはウェーバーなどが使用した。 当時は100件以上のピアノ製作工房がウィーンにはあったとされるが、現在まで続いているのはヨーゼフ・ブロートマンの弟子の の 社のみである。 その他、ミヒャエル・ローゼンベルガーやヨハン・フリッツなども知られる。 また、ウィーン以外のメーカーでもウィーン式アクションの楽器が製作されており、がワルシャワ時代に使用したブッフホルツ ワルシャワの製作家 製フォルテピアノはウィーン式であったと推測されている。 なお、ブッフホルツはイギリス式の楽器も製作していたとされる。 イギリスの製作家 ツンペ ツンペのシングル・スクエア・ピアノのアクション概念図。 1 鍵, 2 ジャック(ワイヤの上に革製の鋲、「老人の頭」), 3 リア・ガイド(クジラのヒゲ製、鍵を安定させる), 4 ハンマー, 5 ジャック(クジラのヒゲ、「モップの柄」と呼ばれる), 6 ダンパー, 7 ダンパー・スプリング(クジラのヒゲ) イギリスのフォルテピアノ製作は、に始まる。 ツンペはドイツから移って、著名なチェンバロ製作家の工房でしばらく働いた後、1760年代の半ばから末にかけて、安価なスクエア・ピアノの生産を始めた。 ツンペのスクエア・ピアノはエスケープメントのない、極めて簡単なアクション(「老人の頭」とも呼ばれる)をもっていた。 フォルテピアノの技術的発展という点ではほとんど功績はないものの、ツンペの楽器は極めて人気が高く、イングランドの外でも模倣され、またフォルテピアノがチェンバロに取って代わるのに大きく貢献した。 このようなスクエア・ピアノはまた、を代表とする1760年代のピアノによる公開演奏に主に用いられた楽器であった。 バッカース、ブロードウッド、ストッダード は、シュディの工房の職人であったととともに、ツンペのアクションよりも改良されたアクションを作り出した。 「イングリッシュ・グランド・アクション」と呼ばれるこのアクションは、エスケープメントとチェック(落ちてきたハンマーヘッドを受け止める部品)をもち、ウィーン・アクションよりも大きく、しっかりとした響きを実現した代わりに、より深いタッチを必要とし、反応が相対的に鈍い。 これらの製作家の手になる初期のイギリスの初期のは、外見はシュディのチェンバロに似て、どっしりとしており、優雅で、派手さを抑えた化粧張りで飾られている。 同時代のウィーンスクールの楽器(1音2弦)と異なり、イギリスのグランド・フォルテピアノは1音3弦を張っていた。 ブロードウッド ジョン・ブロードウッドは親方の娘(バーバラ・シュディ)と1769年に結婚し、最終的にはシュディの工房を継いで、ブロードウッド社(Broadwood company)と改名した。 ブロードウッド社はフォルテピアノの発展に大きく貢献し、今日も続いている。 ウィーンのベートーヴェンに6オクターブ 音域はウィーンのメーカーとは異なりCCーc4 のフォルテピアノを送り、ベートーヴェンもこの楽器を愛用したようである。 この楽器は現在ボンのベートーヴェンハウスにグラーフの楽器とともに保管されている。 1820年代後半にはいち早く金属製補強フレームを導入した楽器を製作した。 エラールなどフランスのメーカー ストラスブール出身のチェンバロ製作者のセバスティアン・エラールはフォルテピアノの発展に大きく貢献した。 エラールの楽器はイギリス式アクションである。 ヴィーンのハイドンやベートーヴェンも、エラールの楽器をヴィーン式フォルテピアノとともに一時使用していた。 鍵盤が元に戻らなくても再打鍵ができるダブルエスケープメント機構は晩年のーセバスティアン・エラールが開発したものである。 セバスティアンの死後も会社は続き、エラールのフォルテピアノは19世紀中頃にはリストやショパンの時代のパリで活躍した。 20世紀が間近になって他のメーカーが交差弦の一体フレームに置き換わる中、エラールは組み鉄骨フレーム、平行弦の楽器を製作し続けた。 プレイエルも重要なメーカーである。 ショパンが愛用したことで有名で、楽器はイギリス式アクションであるが、イグナツ・プレイエルがもともとヴィーン古典派の作曲家であるからかウィーンの影響もあり、エラールとは設計思想が異なるとされる。 モダンピアノへの変化、20世紀後半の再興 フォルテピアノは大幅な技術革新を続け現代のピアノへと変化していった。 19世紀後半には、復興の先駆者であるが3台のフォルテピアノを製作している。 しかし、彼のフォルテピアノ再興の試みは当時としては異質であり、広い普及にはつながらなかった。 20世紀も後半になって、古楽復興運動の中でチェンバロの再興にやや後れて、フォルテピアノの本格的な再興も始まった。 今日も盛んに古いフォルテピアノの修復や、古い楽器をモデルとした新しい楽器の製作が行われている。 現代の代表的な製作家には、、 、 などがあげられる。 また、チェンバロ同様、専門家によるキットからの製作も行われている。 フォルテピアノの再興により、18世紀から19世紀初期の音楽を当時の様式の楽器で演奏する活動も盛んとなり、音楽の解釈にも影響を与えている。 多くの現代のチェンバロ奏者やピアノ奏者がフォルテピアノの演奏も行っている。 特に著名な演奏家として、、、、、、、、らがいる。 参考文献• Good, Edwin M. 1982 Giraffes, black dragons, and other pianos : a technological history from Cristofori to the modern concert grand, Stanford, Calif. : Stanford University Press. Marshall, Robert 2003 18th Century Piano Music, Routledge. Parakilas, James 1999 Piano roles : three hundred years of life with the piano. New Haven, CT: Yale University Press. Pollens, Stewart 1995 The Early Pianoforte. Cambridge: Cambridge University Press. Ripin, Edwin M. 1986. 『チェンバロ フォルテピアノ』(2000年8月31日、).

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フォルテピアノの2018(フォルトゥナータ)評価【キャロットクラブ募集番号28】

フォルテ ピアノ の 18

会員限定のイベント「」が、2016年3月25日(金)に静岡県で開催されました。 グランドピアノ工場の見学、200年以上前に作られたフォルテピアノの聴き比べ、さらにレクチャーコンサートの鑑賞という、普段経験することのできない贅沢な内容はこのツアーならでは。 遠くは山口県、茨城県から参加された方もいらっしゃいました。 集合場所は掛川駅。 バスに乗ってヤマハ掛川工場に向けて出発しました。 工場のエントランスにあるハーモニープラザ(ショールーム)では、ヤマハ創業者・山葉寅楠が制作した109歳を迎えるオルガンの音色を味わい、いよいよグランドピアノの製造工場へ。 広い工場内で職人がそれぞれの工程ごとに黙々と作業をしている様子は、工場というよりもアトリエの集合体のよう。 約230本の弦を1本ずつフレームに張る作業や、鍵盤の高さや弾いた時の深さを調整する作業など、ほとんどの工程が熟練の手作業で進められる様子がよくわかります。 弦を巻きつけるチューニングピンを打ち込む工程では、見本用のピンを触らせてもらい、実際に目にし、触れる楽しさも満喫できました。 工場見学の最後には、ピアノの音色やタッチなどを確認する選定室で、弾き比べを体験しました。 同じ品番の3台のピアノが並べられており、それぞれ微妙に音色が異なることを実感。 自然の素材が随所に使われているからこそ生まれる豊かな個性に、皆さん熱心に耳を傾けていました。 その後ハーモニープラザに戻り、しばし展示品を見学。 スヴャトスラフ・リヒテルが弾いたピアノが展示されているリヒテルルームでは試弾することもでき、最年少参加者である10歳の女の子は「音がよく響く感じがします」と時間が許せばもっと弾きたい様子だったのが印象的でした。 この後、オークラアクトシティホテル浜松に移動してランチブッフェを楽しみ、浜松市楽器博物館へ。 こちらの目玉は、イタリアのクリストーフォリ(復元品)、オーストリアのワルター、イギリスのブロードウッドなど、名工の手による18〜19世紀のフォルテピアノの聴き比べです。 ピアニストの小倉貴久子さんが、1台ずつ歴史と特徴を解説しながら、その当時の曲を演奏するという貴重なひとときとなりました。 時代とともに変化する音色の違いを体感し、それぞれ意匠を凝らした作りの見事さにも魅了されて、ピアノへの興味は深まるばかりです。 定年後にピアノを習い始めたという79歳の男性は、「この年ですから技術を習得するというより、楽譜のことや歴史を知ることも楽しいんです」と、聴き比べを堪能されていました。 フォルテピアノの聴き比べの後は浜松市楽器博物館内の展示を自由に見学し、レクチャーコンサートの会場となるヤマハミュージックリテイリング浜松店「かじまちホール」へ。 演奏用のドレスに着替えた小倉貴久子さんが登場し、クープラン、モーツァルト、ショパン、ラヴェルといった、古典から近現代までの4期それぞれの名曲を、解説を交えながら現代のフルコンサートグランドピアノ一台で演奏しました。 また、最近モーツァルトの自筆譜が発見されたことで、「トルコ行進曲」の譜面の一部が実は少し違っていたというエピソードとともに、その自筆譜に沿った演奏が披露され、このツアーならではの楽しみを味わうことができました。 ピアノの製造工程を知り、18〜19世紀のフォルテピアノから現在のピアノまで、演奏を聴き比べながらその歴史をたっぷりと感じることができた、まさに「ピアノづくしの旅」となりました。

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