小早川 秋声。 従軍画家 小早川秋声

小早川秋聲

小早川 秋声

作品点数約40点。 観覧無料です。 日本画家では唯一の従軍画家として戦地に赴いた小早川は従軍中の兵士達の日常に寄り添った静的な戦争を描きました。 小早川の兵士達に対する目線は慈しみと尊敬に満ち、激しい描写よりもかえって観る者の心の深い部分に直接訴えかけます。 ある種「無常のもの」として人の生死を捉え、戦争の残酷さや悲惨さを静かに見つめ、自身の息子達と同年代の兵士達をいとおしみ共に悲しんだ記憶が、作品として残っているかのようです。 その背景には、彼が自らに課した厳しい従軍業だけでなく、宗徒として東本願寺で過ごしたことから醸成された宗教観も影響したものかも知れません。 本展では、代表作「國之楯」を中心として、そこに至るまでの瑞々しい好奇心に溢れた作品の数々と、その後の変わりゆく世相の風を受けながらも尽きせぬバイタリティで残した宗教画などの作品群を通じ、日本画家・小早川秋聲の画業をたどります。 ぜひご期待ください。 関東圏で初めてとなる小早川秋聲の展覧会 今回の展覧会が、関東圏で開催される小早川秋聲の初の企画展となります。 画壇に属さず、画商を通さなかったために、その画業に関する資料は少なく、展示会などでまとまって作品が見ることができる機会も少ない作家でした。 本展では戦争画だけではなく、小早川自身の数々の洋行の経験が活かされた風景画なども多く展示しながら、日本画家としての小早川秋聲の魅力をお伝えします。 「國之楯」の展示 陸軍からの依頼で制作された作品ながら、完成後同省から受け取りを拒否されたというエピソードを持つ小早川の代表作を展示いたします。 この作品のように直接的に兵士の死を悼む作品を描くことは、当時の他の従軍画家達が華々しく活躍する兵士の姿を描いてきたことと非常に対照的です。 後世の私達の胸にも生々しく迫る力を持つ本作は、小早川秋聲を象徴するような作品でもあります。 故・高畑勲監督をして「いまもなお、生き残った者としての私たちを、そしてその子孫としての私たちを震撼させ続けている 高畑勲『一枚の絵から 日本編』株式会社岩波書店2009年11月27日初版より引用 」と言わしめた本作。 ぜひこの機会に実物をご覧ください。 小早川秋聲画集を特別価格で販売 小早川秋聲没後25年の機会に編纂された画集『秋聲之譜』 企画:日南町美術館 発行:有限会社米子プリント社 を会期中に限り特別価格で販売いたします。 通常定価3,500円のところ、期間中は2,000円にて販売。 貴重な作品の数々が展示ケースなしでご覧いただけます 作品をガラスケース越しではなく直接ご覧いただくことができますので、作品が持つ迫力を存分に楽しんでいただけます。 直接見ることでしか感じることのできない独特の質感やその佇まいをぜひお楽しみください。 トークイベント開催 小早川秋聲研究者の松竹京子先生と現代美術資料センターを主宰する笹木繁男先生をお招きし、トークイベントを開催します。 モデレーターは泉屋博古館 分館長 野地耕一郎先生です。 知られざる小早川秋聲の魅力を存分に語っていただきます。 参加ご希望の方は、お電話又はメールにて加島美術までご連絡ください。

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◆◇ 小早川秋声展を見に行ってきました ◇◆

小早川 秋声

posted by テレビ番組「NHK BSプレミアムー極上美の饗宴」で、戦争画家小早川秋声が描いた戦争画「國之楯」にまつわる秘話を、この終戦日を前に放映された。 戦時の画家は、戦地に従軍画家として送られ、戦争高揚、プロパガンダとして、「聖戦美術展」で、日本国民に公開されたのである。 そういえば、2,3年前、油絵画家のレオナール・フジタ(藤田嗣治)の凱旋展示会が上野で開催されたおりに、他の楽しい作品とはまったく違う迫真迫る戦闘場面の絵に、小生、壮絶に違和感を感じた。 小生の好きなあの小磯良平も、信じられないが、軍隊生活を描写したりしているのだ、小早川秋声は、戦闘場面は少なく、抽象的だが、日本画で戦地の様子を伝えた。 問題の「國之楯」、昭和19年に描いた時は、陸軍省に、「軍神」として命名して、搬入したが、「日章旗で覆われた死体の描写があまりにも、生々しい」と、軍には受け入れを拒否されたのである。 秋声にとっては、バックに描いた桜の花ビラが散るように、「英霊の死」 を悼んだものだったはずで、それが受け入れられず、大変無念だったようだ。 一年後、桜散る部分を黒で、墨絵の垂らしこみ手法で、覆い隠した。 そして、題名を、「大君の御楯」と名前を変えたが、やはり、軍には受け入れられなかったようだ。 昭和43年には、桜そのものも、黒で覆い、あたかも、霊魂が闇に浮いているような図で、「國之楯」として、現存しているのだ。 題名の変遷に小早川秋声の心の動きが見えるのである。 「戦争の色彩」は。 決して、桃や白や黄色のような派手ではない。 灰黒色かセピア色であろうと、この番組に案内役で出演していたジブリ・アニメ監督の高畑勲氏が語っていたのが印象的であった。 小早川秋声 日本画家。 1885-1974年。 鳥取県日野町黒坂の光徳寺住職、小早川鉄の長男。 1914年、第8回文展に「こだました後」が初入選。 以後、文・帝展で活躍。 1931年に勃発した満州事変から終戦までの間、軍嘱託の従軍画家として多くの戦争記録画を描いた。 中でも、日の丸の旗で顔を覆われる戦没軍人を描いた衝撃的な作品「国之楯」は、秋声を戦争画家として強く印象づけた。 一方で、豊かな色彩で異国情緒あふれる風景を描いた明るい作品を描いている。 また、人物の表情やポーズに独特な情感を持たせた宗教的、瞑想的な作品なども得意とし、戦後は画壇に属さず、心静かに、野の一介の画人として生き、主に宗教画を描いた。

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小早川秀秋

小早川 秋声

日南町美術館 1995年、美術雑誌『芸術新潮』で戦争画が特集された際に巻頭カラーで「國之楯」が紹介されました。 当時は地元にゆかりのある作家として、小早川秋聲を知っていた人は鳥取県の美術関係者の間でも多くはなかったそうです。 また県下に作品があることもわかっていませんでした。 日南町美術館が入る日南町総合文化センター。 背後に山がそびえる。 「けれども、その後郷土にゆかりのある作家のグループ展を開催しようと考え、調査を進めていくうちに、日野郡でも小早川秋聲の作品をお持ちの方が結構いらっしゃることがわかってきました。 また、そのグループ展で小早川秋聲の作品を展示したところ、ある日、作品の前で和服姿の女性がじっとご覧になっているのに気がつきました。 気になって話しかけたところ、その方が小早川秋聲さんの長女の山内和子さんだったのです。 その後、山内さんにご協力いただいて、2000年の『没後二十五年 小早川秋聲展』が実現しました」(日南町美術館 主任学芸員・浅田裕子さん) 日南町美術館では2000年以降、ほぼ毎年のように小早川秋聲の企画展が開催されてきた。 一方で、同じように山内さんと知り合い独自に小早川秋聲について調べていた研究者の松竹京子さんとも縁がつながり、以来、松竹さんの集められた資料を整理・保管し、新たに発掘された作品を展示するなど、二人三脚で小早川秋聲に関する仕事を行ってきたそうです。 また2000年の展覧会の際には、地元の印刷会社が援助してくれたおかげで、画集の刊行もできました。 大手出版社の手がけた画集がない中、小早川秋聲の世界をふかんすることのできる貴重な資料です。 2017年には小早川秋聲の詳しい年譜も完成。 美術館に来られた方は無償で持ち帰ることができるそうです。 右手に見える作品は「出陣の前」。 出陣前、抹茶をたてて精神を落ち着かせた様子が描かれている。 「小さな町の美術館ですが、いろんな方の応援があって活動が成り立ってきたのだと思います。 何より、松竹先生による膨大な量の調査がまずあって、そのお手伝いをしてきたと感じています」(浅田さん) 美術館で管理している小早川秋聲の作品のほとんどは寄託ですが、その数は400点近くに上ります。 「淨魂(突撃)」(部分)。 小早川秋聲は、戦地の最前線に同行する中で絵を描いた。 全館を使ってさまざまな企画を行わなければいけないため、常設展示はありません。 2019年はもう小早川秋聲の展示はありませんが、2020年にはまた展示を検討しているとのことです。 「国之楯」。 小早川秋聲はこの絵を描くとき長男に日章旗をかぶせてデッサンをしたという。 日南町美術館だけで買える小冊子と画集は小早川秋聲について詳しく知ることのできる貴重な文献。 町に残る小早川秋聲作品1〜日野町公民館 小早川秋聲は日南町の隣りの日野町にある光徳寺の長男として生まれました。 もっとも、生まれた場所は母親の実家の兵庫県三田市で、その後も9年間は母親の実家で育っています。 その後、僧籍に入るため、本山である京都の東本願寺で修業。 光徳寺のある日野町に転居したのは1899(明治32)年、14歳になってから。 けれども1901(明治 34)年、16歳のときには、再び京都にある高倉大学寮(現在の大谷大学)に入っていますし、さらには僧ではなく絵描きになりたいと1905(明治38)年からは京都の画家に師事。 以降はずっと京都を拠点に活動しました。 つまり郷里の日野町にいたのは限られた年月ということになります。 小早川秋聲の実家がある日野郡日野町黒坂地区の日野町公民館に、小早川秋聲の絵が展示されている。 跡を継がなかったため父から勘当の扱いを受け、実家の光徳寺には行きにくかったようですが、兄弟が日野にいたこともあり(注)、ときどきは帰ってきていたとのことです。 また戦中戦後、画家として成功した後には滞在することも度々あったようです。 郷里の日野町はもちろん、山陰地方に愛着があり、よく旅で訪れたとも言われています。 注……小早川秋聲の母は一女五男をもうけた。 また父親の小早川鐵僲(てっせん)は秋聲の母親と離縁した後に再婚したので、異母兄弟まで含めると多くの兄弟がいた。 日野町公民館の2階には小早川秋聲の10代の頃の作品が掛けられている。 こうした滞在の足跡により、小早川秋聲の作品が残っていたようです。 そのひとつが日南町公民館にある「山中鹿之助 三日月を拝するの図」。 現在、本物は日南町美術館に寄託されていますが、複製が掛かっています。 複製であるが見応えのある作品。 本物は日南町美術館に寄託されている。 こちらは1904(明治37)年頃の作と言われ、すなわち秋聲が10代で黒坂に居た頃に描いた絵のようです。 山中鹿之助は出雲の守護・尼子氏に仕えた戦国武将で、尼子氏再興のために「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。 その様子を描いた歴史画ですが、真に迫った祈りの表情と言い、これが10代の頃に描いたとは驚きです。 山中鹿之助の祈りの表情に見入る。 町中に残る小早川秋聲作品2〜日野町立黒坂小学校 公民館から歩いて5分の日野町立黒坂小学校にも小早川秋聲から寄贈されたという作品が2点あります。 これらも今では実物は日南町美術館寄託ですが、複製が校長室に1点と図書室に1点、掛けられています。 日野町立黒坂小学校。 校内に小早川秋聲の絵が掛けてある。 日南町美術館・浅田さんによれば、地元に戻ってきたときに小学校に寄贈したのではないかとのことです。 図書室にある「露営の図」は戦争を題材にした作品です。 小早川秋聲は20歳のときに日露戦争に見習士官として従軍し、22歳のときに自ら志願して陸軍に入隊しています。 対照的に、校長室にあるのは第二次世界大戦後、戦争画の制作をやめた秋聲が、観音像や達磨(だるま)など宗教的なモチーフを主に描くようになった、晩年の作と思われます。 達磨を描いた本作は戦後の作品と考えられる。 なお、銘のところに「山陰客舎」とあり、これは山陰に来たときに描いた絵であることを示している。 図書室に掛けてある複製画「露営の図」は、10代の頃の貴重な作品。 なお、小早川秋聲のすぐ下の弟の小早川好古(こうこ)も日本画家ですが、大正初期の数年、黒坂尋常高等小学校(現在の黒坂小学校)で教諭として働いていた時期があったとのことです。 校舎入り口すぐの場所には、以前2019年1月放送の「日曜美術館」で特集した山岳写真家・田淵行男の山岳と蝶の写真が。 実は田淵行男もここ黒坂の生まれで、黒坂小学校は田淵の母校にあたる。 光徳寺 小早川秋聲の実家である光徳寺は、今も黒坂地区にあります。 前述のとおり秋聲は長男でしたが跡を継がず、絵描きになる道を選んだために父親から勘当され、その後光徳寺には行きにくかったようです。 黒坂の町に帰ってきたときは実家ではなく、近所にあった高野屋旅館を常宿にして絵を描いていたことがわかっています。 真宗大谷派・光徳寺。 明治42年に現在の場所に移転した。 本堂は明治から昭和にかけて活動した宮大工の名工・富次精斎による。 今も光徳寺では小早川の姓を継ぐご住職がお務めをされています。 現在のご住職である小早川昭謙さんに話を伺いました。 「秋聲は跡を継がず、その後疎遠になってしまったので、弟の好古さんの方が寺としては親近感があります。 本堂にあるふすま絵も、好古さんが父・鐵僲の25回忌にあわせて描いてくれたものです」 光徳寺本堂を彩る襖絵は小早川秋聲のすぐ下の弟、小早川好古(こうこ)の手によるもの。 もっとも、小早川秋聲の子どもたちとは親交があった模様です。 「秋聲の長男の隆さんは、日野町の鯉料理が好きだと言って、時々寄られていましたね(笑)。 山内和子さんは、ご自身が藍染めでつくったという観音様の絵を寺に寄贈してくださいました」。 また和子さん・隆さんからそれぞれ1点、小早川秋聲の掛け軸が寄贈され、今は寺で保管されているとのことです。 1948年、小早川鐵僲の25回忌に合わせて小早川好古が奉納した襖絵。 秋聲が光徳寺の跡を継がなかった結果、一番下の妹が継いだ。 その妹を小早川好古が描いた作品。 日野町はもともと鏡山城という城があったため、現在も城下町のたたずまいが残る。 日野町・日南町共に公共交通では便利とは言えず、JR伯備線を使うと1時間に1本程度です。 けれども小早川秋聲の展覧会が開かれている折には、そのためにわざわざ足を運ぶ価値があると思います。 また鳥取県立博物館、公益財団法人渡辺美術館(共に鳥取市)、米子市美術館、山陰歴史館(共に米子市)などでも小早川秋聲作品の収蔵があります。 うまく展示のタイミングが合って一緒に見に行けるようだとなお充実した旅ができるのではないでしょうか。 自然が豊かな日野町や日南町はホタルがきれいに見られる場所としても有名。 ヒメボタルとゲンジボタルの両方が一度に見られるのが珍しく、川の上にゲンジボタル、林の中にヒメボタルという光景に遭遇できる。 9月16日まで。

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