ひむか の 風 に さそ われ て ブログ。 西行法師の生涯

ジーレ:ケイショーの『30人1首』人麻呂から俵万智まで

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本年度の「本屋大賞」を百田(ひゃくた)尚樹さんの最新作「海賊とよばれた男」が受賞したことを知ったのは百田さんの長編小説「錨(いかり)を上げよ」(2010年11月講談社発行)の上巻をちょうど読み終えた3日前の4月9日でした。 「錨を上げよ」の題名に惹(ひ)かれて二部構成の本(上下巻計約1200頁)を手に取った時は百科事典のような分厚(ぶあつ)さに圧倒されました。 同じモチーフ(創作の動機となる思想)で2作目を書かない主義の百田さんの作品ですから、内容はまったく見当がつきません。 当ブログは読んだ順に「」(2010年)、「」(2006年)、「 」(2008年)、そして「」(2010年)を紹介しています。 表紙には水面に漂(ただよう)う丸太が一本描(えが)いてあることから海の物語かもしれないと考えながら表紙を捲(めく)った上巻の目次には第一章から第三章まで章題が並んでいました。 今回の記事はこれまで以上に長くなりましたから、下巻(第4章以降)だけをお読みいただいても本書の魅力が伝わると思います。 主人公の作田又三(さくたまたぞう)が昭和30年に大阪市東淀川区(淀川の北部エリア)で生まれ、後に同志社大学法学部を中退して放送作家になる経歴は作者自身とほぼ同じだが、本書は決して自叙伝(じじょでん)小説ではない。 当時の時代模様(もよう)や大阪の街の様子、家族や親族のこと、そして時代がかった主人公の名前の由来などが作者らしい精緻(せいち)な文体で詳(くわ)しく紹介さる。 (私のように近い世代には懐かしい記述である) 小学校時代の又三は、一年生の時から勉強に興味がなく、教師を苛立(いらだ)たせるやんちゃ(いたずら好き)で喧嘩(けんか)に明け暮(く)れる日々、近所に住むユニークな大人との係(かか)わり、出来の良い2人の弟たち、竜之介(りゅうのすけ)・剣之助(けんのすけ)との対比が描かれる。 中学に入ってもこの状況はエスカレートするばかりで不良少年のレッテルを貼(は)られた。 中学を卒業すると同時に就職する生徒がいる中、主人公は創立間もない府立南方(みなみがた)商業高校に最低点でやっと合格する。 文部省のモデル校(実はモルモット校)にはなぜか体育科があり、商業科生徒と体育科生徒の間の対立が詳しく描かれる。 生徒会と応援団を牛耳(ぎゅうじ)る体育科生徒との確執(かくしつ)、ゴルフ場でのアルバイトで手に入れた中古の単車(オートバイ)を乗り回した時の警察官や暴走族とのトラブル、夏休みに行った長野県へのツーリング(遠出)では予想もしない単車盗難や様々なトラブルに巻き込まれて東京まで逃げるはめに。 東京に着いて間もなく所持金を盗まれて困っている時に声を掛けてきたヤクザ(借金取立屋)にその手伝いをさせられる。 一般人相手の取立てだけでは工場のスト破りの助っ人にも駆りだされたが、労働者たちの反撃に遭(あ)って命からがら大阪まで逃げ戻る。 第二章 出航 単調な高校生活に戻った主人公は学生運動家になった中学時代の同級生と再会して彼が属する勉強会に参加するようになる。 メンバーのほとんどは大阪の名門公立高校の一つである高津高校の生徒たちで、主人公はメンバーの一人である女子高校生西村芙美(ふみ)に恋をする。 リーダーの森山との対抗心から自校の制服撤廃(てっぱい)を校長に直談判(じかだんぱん)することを思いついた主人公が向った校長室からはあっけなく追い払われたため、生徒会に働きかけて全校生徒にアンケートを行わせ、百パーセントの支持を得た署名入り嘆願書(たんがんしょ)を学校側に提出するがこれも簡単に却下(きゃっか)されてしまう。 職員室に乗り込んだ主人公は学年主任の言葉で頭にきて椅子(いす)を蹴っ飛ばしたため 1週間の停学(これで2度目)を喰(く)らってしまう。 その上、西村芙美に冷たく振られてしまう。 悪友に誘われて窃盗(せっとう)に手を貸すが警察にあっけなく捕まってしまう。 主人公は初犯であったため少年法の中の「不処分」で済んだが30日の停学になったため落第が決定した。 新学年に剣道部に入部した主人公は夏休みに入ったあたりから大学へ行きたい気持ちが芽生(めば)える。 弟の竜之助が有名校である北野高校へ通い出して京大理学部を目標に受験準備を始めたことに刺激されたのだ。 しかし剣道部員が他校生徒と喧嘩して対外試合自粛(じしゅく)が校長から命じられたため校長に抗議(こうぎ)するが受け入れられず、校長の机をひっくり返してまたもや 1週間の停学に。 停学が解けて学校に戻ると普通科が主導する生徒会が様々な改革を学校側に受け入れさせていたが、制服問題だけは3年生の心情的な反対にあって進まないため、生徒会長池原法子(のりこ)が主人公に3年生を説得して欲しいと頼んできた。 主人公は3年生が次回は賛成すると読んで何もしないが2回目のアンケート調査ではその通りの結果が出て、主人公は池原法子と仲良くなるが・・。 二学期に入って主人公が就職活動に巻き込まれている間に池原法子との関係は壊(くず)れてしまう。 一度目の就職試験では面接者と口論して不採用、12月にやっと学校が薦(すす)めてくれた中堅スーパーマーケットへの就職が決まった。 第三章 挫折(ざせつ) 就職したスーパーではしつこい性格の店長と衝突した。 5月の終わり頃にアルバイトとして来た大阪音楽大学1年生の武藤伊都子(いつこ)の可愛さに惹(ひ)かれた主人公はレストランでの食事に誘(さそ)うが、それが店長の耳に入って大目玉を食らう。 しつこく言い寄られたと伊都子が訴えたからである。 給料を使い果たしてしまった上に、度重(たびかさ)なる遅刻により有給休暇が無くなり、給料が遅刻時間に応じて減らされてしまったことで頭にきた主人公は、周囲の大学生の楽しそうな様子を見て大学へ行きたい気持ちが異常にまで膨(ふく)らんだこともあって、その会社を辞めてしまう。 そして医学部の学生と称して家庭教師のアルバイトをしながら受験勉強に没頭(ぼっとう)する。 家庭教師先の姪(めい)である短大2年生の中田百合子(ゆりこ)と出会った主人公はその奔放(ほんぽう)さに惹(ひ)かれて深い関係になるが、デート代のために新聞配達のアルバイトを加えたため受験勉強に身が入らない。 そして金持ちの気儘(きまま)さを持つ百合子にあっさりと振られてしまう。 土方作業のアルバイトを始めた主人公は目標であった15万円の貯金が出来ると両方のアルバイトを辞(や)めて師走(しわす)の半ば過ぎから本格的に勉強に専念した。 関学(関西学院大学)と同志社大学を滑り止めに受験して同志社から法学部の合格通知が来た。 さらに参考書を徹底的に丸暗記した主人公は同じアパートの大学生たちに公言していた東大の一次試験を受けるがあえなく不合格になる。 しかし、これが幸いして同志社の入学金納付日に間に合った。 有名私立大学でも国立一期校(当時)の合格発表前に納付日を設定していたからだ。 そして大学生としての生活が始まったが・・・。 過激派の活動と学園紛争、下宿での生活、主人公が加入したサークル「ヨーロッパ文学研究会」の裏の顔(左翼思想グループ)とマドンナである英文科4回生(年生の関西風呼称)加納佐和子(かのうさわこ)への憧(あこが)れと深刻なトラブル、そして大学への失望、大学祭での出来事、合コンで知り合った短大生の井本早苗(いもとさなえ)や小野田純果(じゅんか)との短い恋、小学校の同級生池田明子との一夜、そして同じアパートの友人と出掛けた東北旅行、父の急死などが続く。 3回生になった主人公は7月の初めのある日、心の中の留め金(とめがね)が外れて、一切を投げ出して京都発東京行きのハイウェイバスに乗り込んだ。 第四章 漂流 (注;この章から下巻) もう二度と大学へ戻るつもりのない主人公は池袋にある麻雀(まーじゃん)屋で雑用係のアルバイトを見つけ、朝の喫茶店で知り合ったホストクラブに勤める坂本弘のアパートに居候(いそうろう)をする。 様々なアルバイトも長続きはしない。 まるで労働の嫌(いや)さを一つひとつ確認するために仕事を続けているようなものだ。 赤提灯(あかちょうちん)で声を掛けられた右翼団体の男から自分の運送会社に入らないかと誘(さそ)われた主人公がその運送会社へ顔を出すと、早速入隊書に署名と血判(けっぱん)まで押させられた。 月給は15万円と魅力的だが、仕事を終えた後の「教練」は辛(つら)かった。 運送業務のほかに装甲車仕立ての宣伝カーに乗って都内を街宣(がいせん)することもあるのだ。 区会議員の補欠選挙では選挙応援だけでなく対立候補の選挙活動妨害や凶器を用いた乱闘が予定されると聞かされた主人公は給料の前借を頼んで5万だけ貰(もら)うことに成功し、襲撃の前夜にそこから逃げた。 2月の初めには足立区千住のパチンコ屋に住み込みのアルバイトを見つけて採用される。 その主人が『何にも当りの枠(わく)は数が決まっている』と確率で物事を捉(とら)えようとすることは、最初のアルバイト先(麻雀屋)の主人が運命を個人的なものとして捉えようとすることと根本的に違うものだった。 2度目の給料を貰った主人公はパチンコ店を飛び出してしまう。 次いで見つけたのは秋葉原にあるレコード店。 クラッシクレコード売り場のレジ係は退屈(たいくつ)な仕事ではあったが、小さいながらも人生の足場を作りたいと思っていた主人公は音楽に関心が高まり名曲や作曲家についての本を読み、5月に入る頃にはクラシックレコードに詳(くわ)しくなり、少しずつ客の数と売上が増えた。 棚の並べ方やジャンルの区分のやり方も工夫(くふう)した。 すると売上ははっきりと上昇して返品と仕入れも任されるようになり、次いで準社員扱いで主任の肩書きももらい、中古品と称した値引き販売で売上がさらに増えた。 外国レコードの輸入も計画した時にはアルバイトの慶応大学4年生依田聡子(よださとこ)が手伝ってくれたことと円高の進行で輸入の仕事は順調に進んだ。 しかし聡子とのデートと祖母の葬儀(そうぎ)が重なり連続休暇を取ったことから社長と口論になってしまう。 それにもかかわらず聡子は主人公へ何も告げずアメリカに居る婚約者の元(もと)へと去った。 第五章 嵐 レコード店を辞めた主人公はしばらくぶらぶらしていたが、3月に入って近くの大衆食堂でオホーツクのテレビ報道番組を観ている時に不思議な衝撃(しょうげき)が体の中を走るのを感じた。 心の中で誰かが「錨(いかり)を上げよ!」と叫(さけ)んだのだ。 アパートをひき払った主人公は北海道の根室(ねむろ)に向う。 しかし、海に乗り出すチャンスはなかなか見つからない。 そんな時に耳にしたのがウニの密漁船だ。 主人公は痩(や)せ型美人の白武久子が経営する小さな喫茶店「帰郷」を休憩場所として利用していたが、そこで会った密漁人の法月(のりづき)義男からソ連が占有する貝殻島(かいがらじま)という場所と月に30万円を保証するとの言葉を聞いた主人公の気持ちは決まった。 納沙布(のさっぷ)にある法月の家に投宿しながら密漁の際の作業について細かい説明を受け、出漁の準備、船上での仕事を耳にタコが出来るほど聞かされた。 主人公たちはソ連の警備艇が居ないタイミングを見計らって出漁を繰り返した。 突然現れたソ連の警備艇に追い回されることは何度もあったが、用心深い法月の判断と操舵(そうだ)で逃げ切る。 7月に入ってウニ漁が中断された時には10数回の出漁で150万円以上の金が溜(た)まっていた。 そしてウニ漁は9月の終わりに再開して翌年の2月半ばまで続いた。 しかし春になった時に法月が一方的に漁の終了を宣言した。 前妻と復縁することになったことで昆布漁業権を回復したからだ。 そこで主人公は密漁を自分でやることにすると、これが面白いように当たった。 海上保安部の陸上部隊に検挙されたが口を割らなかったことで罰金1万円を支払うことで放免(ほうめん)される。 10月だけでも6度出漁して主人公の手元には600万円以上の金が入ったことで仲間を連れて豪遊したが、それでもその年の暮れには700万円を超える金が手元に残された。 翌年には貝殻島より遠い水晶島へも船を繰(く)り出した。 水揚(みずあ)げは多かったがソ連警備艇に追い回されることも増えた。 さらに環境が変わったことでヤクザたちによる密漁船のグループ化が行われて主人公たちもその渦(うず)に巻き込まれた。 第六章 停泊 東京で商社に勤め始めた弟の竜之介に会ってから大阪に戻った主人公は母名義の口座に300万円を移すが、自身の生活は相変わらずの調子で足のリハビリを兼ねて通ったビリヤードや賭博(とばく)ゲーム機に200万近くを費(つい)やし、挙句の果(あげくのは)てに競馬と競輪に凝(こ)ったことで都合(つごう)500万円もの金を無くしてしまった。 そんな生活の中、ビリヤード場で働いていた宇野保子(やすこ)と知り合い、その素朴(そぼく)さと純真さに惹(ひ)かれて半年後に入籍、これまでに無かった平穏(へいおん)で楽しい生活が始まった。 仕事を探していた主人公はフリーのテレビ放送作家をしている昔の友人柿本健男(たけお)に仕事を手伝うように誘われる。 慣(な)れない仕事ではあったが、一所懸命(いっしょけんめい)やったことで次第に仕事が増えて、一流企業の中堅社員並の収入を得るようになる。 妊娠した保子は流産をしたため、ビリヤード場を辞(や)め、気分転換にジャズダンスを習い始める。 主人公に仕事を世話してくれた柿本は段々仕事が無くなり、慰安旅行で出掛けた和歌山・白浜の旅館での宴会時に偽善者のプロデューサーを糾弾(きゅうだん)する騒動(そうどう)を起す。 柿本を大阪まで連れ帰った主人公は深夜の自宅マンションで信じられない光景を目撃する。 第七章 抜錨(ばっぴょう) 妻保子の裏切りに我慢(がまん)が出来ない主人公は保子が泣いて許しを乞(こ)うても決心は揺(ゆる)るぐことはなく離婚する。 放送作家の仕事を一切辞(いっさいや)めた主人公はひょんなことから頼まれ仕事で出掛けたにおいても波乱に満ちた日々を8ヶ月間も過ごす。 (筆者注;また唐突な展開だが主人公に青春を総括させるために設定された場であろう) そして大阪に戻った主人公は、今は売れっ子の放送作家になった柿本健男、平凡なサラリーマンになった元全共闘闘士の飯田勝行、初恋の池田明子と邂逅(かいこう)し、さらに1年後には探し求めていた保子にも会うことができた。 (詳細についてはあえて伏せる) そして、『人生は生きるに値するものだという強い思いに胸を貫かれた。 人生の長い航海は、これから始まるのだ』の短い言葉で気が遠くなるほど長い話は終る。 それは本書が25年ほど前に書かれた処女作をベースに改題されたものだからかもしれません。 本書を読むまではまったく異なる作風だと思っていた百田さんと村上さんの作品に私が感じた類似点(上記)と相違点を少し乱暴ですが整理したいと思います。 まずモチーフ(創作の動機となる思想)に関して、冒頭で述べたように百田さんは常に新しいモチーフで異なるテーマの長編小説を、村上さんはご自身のモチーフを少しずつ発展させながら村上流の長編小説を書き続けているように思われます。 あえて言えば、前者はデジタル的、後者はアナログ的にモチーフを変化させていると言えるかもしれません。 もう一つは読み手と主人公の間に設定される距離です。 主人公に一人称で語らせることが多いのは二人に共通しますが、百田さんは小説で設定された空間へ巧(たく)みに読み手を誘(さそ)い、村上さんは読み手に適度な距離から主人公を俯瞰(ふかん)させることが多いのです。 つまり、村上作品はしばしば現実(リアル)空間と想像(イマジナリー)空間を同時進行的に展開して読み手に時空を超えた2つの世界を同時に見せますが、百田さんはリアリティに富んだ精緻(せいち)な描写(びょうしゃ)で読み手を限りなく主人公の近くまで引き寄せるように思われるのです。 いずれも魅力的な作家ですが、私には百田さんの小説の方が読後の居心地が良い(心が平穏でいられる)のです。 この次は「風の中のマリア」と「モンスター」、そして最新作「海賊とよばれた男」へと読み進みたいと思います。 しかし、今日(12日)午前0時にさんの長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)が発売されたことが朝のテレビニュースで報じられたことで、私には嬉(うれ)しくも悩(なや)ましい選択肢(せんたくし)がまたひとつ加わりました。

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偐万葉・siinomi篇

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作詞:落合直文、作曲:不詳 その一 阿蘇の山里秋ふけて 眺さびしきゆふまぐれ いづこの寺の鐘ならむ 諸行無常と告げわたる をりしもひとり門 (かど)にいで 父を待つなる少女 (をとめ)あり 年は十四の春あさく 色香ふくめるそのさまは 梅かさくらかわかねども 末たのもしく見えにけり 父は先つ日遊獵 (かり)にいで 今なほおとづれなしとかや 軒に落ちくる木の葉にも 筧 (かけひ)の水のひゞきにも 父やかへるとうたがはれ 夜な夜な眠るひまもなし わきて雨ふるさ夜中は 庭の芭蕉のおとしげく なくなる虫のこゑごゑに いとゞあはれをそへにけり かゝるさびしき夜半なれば ひとりおもひにたへざらむ 菅の小笠 (をがさ)に杖とりて いでゆくさまぞあはれなる 八重の山路をわけゆけば 雨はいよいよふりしきり さらぬもしげき袖の露 あはれいくたびしぼるらむ にはかに空の雲はれて 月のひかりはさしそへど 父をしたひてまよひゆく こゝろの闇にはかひぞなき 遠くかなたをながむれば ともし火ひとつぞほの見ゆる いづこの里かわかねども それをしるべにたどりゆく 松杉あまたたちならび あやしき寺のそのうちに 讀經 (どきやう)のこゑのきこゆるは いかなる人のおこなひか 籬 (まがき)もなかばやれくづれ 庭には人のあともなく 月のかげのみさえさえて 梢 (こずゑ)のあたり風ぞふく 門べにたちておとなへば かすかにいらふ聲すなり 待つまほどなく年わかき 山僧ひとりいでて來ぬ いかにあやしと思ひけむ しばし見てありこなたをば 少女はそれと知るよりも やがてまぢかくすゝみより 妾 (われ)はあやしきものならず 父をたづねてきつるなり ゆくへを君のしりまさば 敎へてよかしそのゆくへ 少女の姿をよく見れば にほへる花のかほばせに やなぎの髮のみだれたる この世のものにもあらぬなり 山僧こゝろやとけぬらむ 少女をおくにさそひゆき ぬしはいづこの誰なるか つばらにかたれ家も名も をりしも風のふきすさび あたりのけしきものすごく 軒の梢にむさゝびの なくなる聲さへきこゆなり 少女はいよいよたへがたく おつる涙をかきはらひ 妾はもとは熊本の ある武士 (ものゝふ)のむすめなり はじめは家も富みさかえ こゝろゆたかにありければ 月と花とに身をよせて たのしく世をばおくりにき 一とせいくさはじまりて 靑き千草も血にまみれ ふきくる風はなまぐさく 砲のひゞきもたえまなし 親は子をよび子は親に わかれわかれてあちこちに にげゆくさまはあはれとも うしともいはむ悲しとも この時母ともろともに 阿蘇のおくまでのがれしが ながめられけり朝夕に なれし故鄕 (ふるさと)その空を 人のことばに父上は 賊にくみしてましますと きくよりいとゞ胸つぶれ 袖のひるまもあらざりき あけくれ父を待つほどに はやくも秋の風たちて 雲井 (くもゐ)の雁はかへれども 音づれだにもなかりけり 母はおもひに堪へかねて やまひの床につきしより 日毎日毎におもりゆき つひにはかなく世を去りぬ 父の生死もわかぬまに 母さへかへらずなりぬれば 夢にゆめみしこゝちして おもへば今なほ身にぞしむ いかにつれなきわが身ぞと 思ひかこちてありつるに 神のたすけか去年 (こぞ)の春 父は家にぞかへり來し 母のうせぬときゝしより たゞになげきてありけるが うき世のならひとなぐさめて この年月はすぐしたり 先つ日遊獵 (かり)にといでしより 待てどくらせどかへらねば またも心にたのみなく かゝる山路にたづねきぬ 妾の氏は本田にて 名は白菊とよびにけり 父は昭利 (あきとし)母は竹 兄は昭英 (あきひで)その兄は おこなひあしく父上の いかりにふれて家出しぬ 風のあしたも雨の夜も しのばぬ時のなきものを いづこの空にまよふらむ 今なほゆくへのわかぬなり これをきくより山僧は にはかに顔のけしきかへ ものをも言はず墨染の そでをしぼりて泣き居たり とにもかくにもこの寺に 一夜あかせとすゝめてし この山僧のこゝろには ふかき思ひのあるならむ 少女はそれと知りたるか はた知らざるかわかざれど さすがに否ともいなみかね その夜はそこにかりねせり ぬる間ほどなく戸をあけて あやしく父ぞ入りきたる まくらべ近くさしよりて 聲もあはれに涙ぐみ われあやまりて谷におち 今は千尋 (ちひろ)のそこにあり 谷は荊棘 (いばら)のおひしげり いでてきぬべき道もなし 明日だに知らぬわが命 せめてはこの世のわかれにと 子を思ふてふ夜の鶴 泣く泣くこゝにたづねきぬ ことばをはらぬそのさきに 裾ひきとめて父上と 呼ばむとすればあともなく 窓のともしびかげくらし 夢かうつゝかあらぬかと 思ひみだれてあるほどに あかつき近くなりぬらむ 木魚のこゑもたゆむなり その二 夜もやうやうにあけはなれ 心もなにかありあけの 月のひかりの影おちて 庭のやり水おとすごし 少女は寺をたちいでて まだものぐらき杉むらを たどりてゆけば遠 (をち)かたに きつねの聲もきこゆなり 道のゆくての枯尾花 おとさやさやにうちなびき ふきくる風の身にしみて さむさもいとゞまさりけり 巖根 (いはね)こゞしき山坂を のぼりつおりつゆくほどに みやまの奥にやなりぬらむ 人かげだにも見えぬなり 梢のあたりきこゆるは いかなる鳥のこゑならむ 木かげをはしるけだものは 熊てふものにやあるならむ こゝは高嶺かしら雲の 袖のあたりをすぎて行く わが身をのせてはしるかと 思へばいとゞおそろしや はるばる四方 (よも)を見わたせば 山また山のはてもなし 父はいづこにおはすらむ かへりみすれどかひぞなき をりしもあとより聲たてゝ 山賊 (やまだち)あまたよせきたり にぐる少女をひきとらへ かたくその手をいましめぬ あなおそろしとさけべども 人なき山のおくなれば 山彦ならで外にまた こたへむものもなかりけり 山のがけぢををれめぐり 谷の下みちゆきかよひ ともなはれつゝゆくほどに あやしき家にぞいたりける やれかゝりたる竹の垣 くづれがちなる苔の壁 あたりは木々にとざされて 夕日のかげもてりやらず 内よりしれものいできたり 少女のすがた見つるより めでたきえものと思ひけむ ほてうち笑ふさまにくし かねてまうけやしたりけむ 酒と肴を取りいでて のみつくらひつするさまは 世にいふ鬼にことならず 頭 (かしら)とおぼしきものひとり 少女のもとにさしよりて 汝のこゝにとらはれて きたるはふかきえにしなり 今よりわれを夫 (せ)とたのみ この世のかぎり仕へてや わが家に久しく秘めおける いとも妙なる小琴 (をごと)あり 幾千代かけてちぎりせむ 今日のむしろの喜びに かなでてわれにきかせてよ 唄ひてわれをなぐさめよ かりにも辭 (いな)まむその時は 劒の山にのぼらせて 針の林をわけさせて からきうきめを見せやらむ 少女はいなとおもへども いなみがたくや思ひけむ なくなく小琴をひきよせて しらべいでしぞあはれなる 風やこずゑをわたるらむ 雁やみそらをゆくならむ 軒端 (のきば)を雨やすぎぬらむ 岸にや波のよせくらむ いとも妙なるしらべには かしこき神もまひやせむ いともめでたき手ぶりには ひそめる龍もをどるべし 嵯峨野のおくにしらべけむ 想夫戀 (さうふれん)にはあらねども 父のゆくへをしのぶなる 心はなにかかはるべき 峯のあらしか松風か たづぬる人の琴の音か ひとり木陰にたゝずみて きゝ居し人やたれならむ たづぬる人のつま音と いよゝ心にさとりけむ しらべの終る折しもあれ 斬りて入りしぞいさましき 刃のひかりにおそれけむ とみのことにやおぢにけむ 斬られて叫ぶものもあり 逐 (お)はれてにぐるものもあり 斬りて入りにしその人の すがたはそれとわかねども 身に纏 (まと)ひしは墨染の ころもの袖と知られたり わなゝく少女の手をばとり 月のかげさす窓にきて なおどろきそおどろきそ われは汝の兄なるを いざこまやかに語りなむ 心をしづめてきゝねかし 父のいかりにふれしより こゝろにおもふことありて 東 (あづま)の都にのぼらむと 筑紫の海をば舟出しぬ あらき波路のかぢまくら かさねかさねて須磨明石 淡路の島をこぎめぐり 武庫 (むこ)の浦にぞはてにける こゝより陸路 (くがぢ)をたどりしに ころはやよひの末なれば 並木のあたり風ふきて 衣のそでに花ぞちる 都につきしその後は たゞ文机 (ふづくえ)によりゐつゝ 朝夕ならひし千々 (ちぢ)のふみ はじめて人の道知りぬ 父のめぐみを知るごとに 母のなさけを知るたびに 悔しきことのみおほかれば 泣きてその日をおくりけり こゝろあらため仕へむと ふる里さしてかへりしに いくさのありしあとなれば そのさびしさぞたゞならぬ 見わたすかぎりは野となりて むかしのかげもあらしふく 尾花が袖もうちやつれ つゆの玉のみちりみだる こやわが家のあとならむ そや父母の遺骸 (から)ならむ 照らす夕日のかげうすく ちまたの柳に鴉なく たのみすくなきわが身ぞと 思ひわぶればわぶるほど うき世のことのいとはれて かの山寺にのがれけり 朝夕讀經をするごとに はてなき事のみかこたれて よみゆく文字の數よりも しげきは袖のなみだなり 昨夜そなたのたづねきて かたる言葉をきゝしとき わがうれしさはそもいかに わがかなしさはまたいかに たゞにわが名を名のらむと おもひしかどもしかすがに 名のりかねたる身のつらさ 名のるよりなほつらかりき あかつきふかくわかれしを 道にてこともやありなむと 汝を追ひきて今こゝに 汝をかくはたすけたり そなたを助けし上からは 心にのこることもなし この後なにのおもありて 父にふたゝびまみえまし 彼の世にありてまたばやと いひもはてぬに腰がたな ぬく手も見せず一すぢに 切らむとすなりわが腹を 少女は見るより聲たてゝ かたくその手をおさへつゝ 泣きつさけびつなぐさむる こゝろの底やいかならむ をりしも空の霜しろく 夜半のあらしの音たえて 雲間きえゆく月かげに かりがね遠くなきわたる その三 四方 (よも)にきこゆる虫の音も あはれよわるときく程に ありあけ月夜かげきえて 峯のよこ雲わかれゆく しづかにそこをたちいでて あたりのさまを眺むれば 軒の松風聲かれて あれたる庭に霜白し 手をばとられつとりつして かたみに山路をすぎゆけば ゆふべの賊のむれならむ あとよりあまた追ひてきつ 山僧それと知りしかば はやくも少女を遁 (のが)しやり おのれはこゝにとゞまりて きりつきられつたゝかひつ しげる林ををれめぐり 谷のかけ橋うちわたり 少女はからくにげしかど あとに心やのこるらむ きられて痛手はおはせぬか 兄上さきくましませと はるかに高嶺をうち眺め しのぶこゝろぞあはれなる 道のかたへにしめゆひし 小祠 (ほこら)はたれをまつるらむ 涙ながらにぬかづきて いのるもあはれその神に そこに柴刈る翁 (おきな)あり なくなる少女を見てしより いかにあはれとおもひけむ こなたに近くよりてきぬ 事のよしをばたづねしに まことかなしきことなれば 翁は少女をなぐさめて わが家にともなひかへりけり 深くとざしゝ柴の門 なかばやれにし竹の垣 片山里のしづけさは ひるなほ夜にことならず 木々の木葉のちりみだれ まがきの菊のいろもなく あらしは時雨をさそひきて 虫のなく音もいとさむし 父のゆくへに兄の身に 朝夕こゝろにかゝれども ふかきなさけにほだされて しばしはそこにとゞまりぬ ひまゆく駒の足はやく 二とせ三とせは夢のまに はかなく過ぎてまた更に のどけき春はめぐりきぬ み山の里のならひにて 髮もすがたもみだせども 色香はいかでかうせやらむ あはれ名におふ菊の花 若菜つみにとうちむれて ちかき野澤にゆく道も ならの林に一もとの 花のまじるがごとくなり 里の長なるなにがしは はやくもそれときゝつらむ 媒介 (なかうど)ひとりたのみきて 長きちぎりをもとめしが 翁はいたくかしこみて こへるまにまにゆるしたり 少女はかくときゝしとき そのおどろきやいかならむ 袖もて顔はおほへども とゞめもかねつその涙 思ひまはせば母上の この世をさらむそのをりに 妾をちかくめしたまひ いひのこされしことぞある ある年秋の末つかた 御墓 (みはか)まうでのかへるさに つゆけき野路をわけくれば 白菊あまたさきみてり にほへる花のその中に あはれなく子の聲すなり かゝるめでたき子だからを いかなる親かすてつらむ 悲しきことにてありけりと ひろひとりしはそなたなり 菊さく野べにてあひたるも ふかきちぎりのあるならむ 千代に八千代に榮えよと やがてその名をおはせにき 更に告ぐべき事こそあれ 汝はたえて知らざれど 汝の兄ともたのむべく 夫 (せ)といふべき人こそあれ はやく家出をなしてより 今にゆくへはわかねども この世にあらばかへり來む 老いたる父もましませば かへり來らむそのをりは ゆくすゑかけて契りあひ 夫といひ妻とよばれつゝ この世たのしくおくりてよ 母のいまはの言の葉は 今なほ耳にのこりけり いかでか敎へをそむくべき いかでか敎へにそむかれむ さはいへこゝに來てしより 翁のめぐみはいとふかし とやせむかくと人知れず 思ひまどふもあはれなり かれを思ひて泣きしづみ これを思ひてうちなげき 思ふおもひはちゞなれど 死ぬるひとつにさだめてむ をりしも媒介入り來り 少女におくりしそのものは にしきの衣あやの袖 げにもまばゆく見えにけり 少女のこゝろのかなしさを あたりの人は知らざらむ 見つゝ翁のよろこべば 隣の嫗 (おうな)も來て祝ふ 時雨ふりきて照る月の かげもをぐらきさ夜中に いづこをさして行くならむ 少女はしのびて家出しぬ 村里とほくはなれきて 川風さむき小笹原 死ぬるいそぎてゆきゆけば 水音すごくむせぶなり 雲井をかへるかりがねも 小笹をわたる風の音も にぐる少女のこゝろには 追手とのみやきこゆらむ 橋のたもとに身をかくし わが來しかたを眺むれば 遠里 (とほざと)小野のともし火の 影より外 (ほか)に影もなし 下に流るゝ川水の 底のこゝろは知らねども あはれかなしきその音は 少女が死をやさそふらむ 死ぬるいのちはをしまねど かくと知らさむそのをりは さこそなげかめ父上の いかにかこたむわが兄は 父上ゆるさせたまひてよ 兄上うらみなしたまひそ この世をわれはさきだちて 母のみもとに待ちぬべし 南無阿彌陀佛といひすてゝ とばむとすればうしろより まちてと呼びて引きとめし 人はいかなる人ならむ おぼろ月夜のかげくらく さやかにそれとわかねども 春秋かけてしのびてし 兄と少女は知りてけり 夢かうつゝかまぼろしか 思ひみだるゝさ夜中に 里のわらべのふきすさぶ 笛の音とほくきこゆなり とひつとはれつ來しかたを きゝつきかれつゆく末を ひと夜かたりてあかせども なほ言の葉やのこるらむ わがふる里のこひしさに 道をいそぎて歸らむと 野こえ山こえゆきゆけば かすみたなびき花もさく 日數 (ひかず)もいく日 (ひ)ふる雨に ぬれてやつるゝたび衣 家にかへりしそのをりは 五月頃にやありつらむ 山ほとゝぎすなきしきり かどの立花かをるなり しげる夏草ふみわけて 軒端をちかくたちよれば むかししのぶの露ちりて 袖にかゝるもあはれなり 妻戸 (つまど)おしあけ内みれば あやしく父はましましき こなたのおどろきいかならむ かなたの嬉しさまたいかに 父上さきくとおとなへば 子らもさきくとこたふなり 事をこまかにきゝてより 父もあはれと思ひけむ 兄のいましめゆるしやり 妹 (いも)のみさををほめにけり 親子の三人うちつどひ すぎにし事ども語りあひて くむ盃のそのうちに うれしき影もうかぶらむ われあやまちて谷におち のぼらむすべもあらざれば 木の實 (み)を拾ひ水のみて ながき月日をおくりにき ある日のあしたおきいでて 峯のあたりを見あぐれば ながくかゝれる藤かづら 上にましらの啼き叫ぶ 啼くなる聲のなにとなく こゝろありげにきこゆれば 神のたすけと攀ぢのぼり はじめて峯にのぼりえつ うれしとあたりを見わたせば さきのましらはあともなく 木立のしげき山かげに 蟬のこゑのみきこゆなり うき世のならひといひながら うき世の常とはいひながら 人になさけのうせはてゝ 獸にのこるぞあはれなる 父のことばをきゝ居たる 二人のこゝろやいかならむ うれしと兄のたち舞へば たのしと妹もうたふなり 千代に八千代といひいひて ともによろこぶをりしもあれ うしろの山の松が枝に ゆふ日かゝりて鶴ぞなく 《蛇足》 西南の役(明治10年〈1877〉) 直後の九州阿蘇を舞台に、ひとりの少女の数奇な運命を描いた叙事詩で、全552行(552句) から成る、わが国ではあまり例のない長詩です。 なお、上の表示では2句をもって1行とし、読みやすくするために6行ごとに1行空けています。 これは機械的な段落分けであり、意味内容によって分けたものではありません。 明治17年(1884) 1月18・19・21日の『郵便報知新聞』に掲載された 井上哲次郎の長篇漢詩『孝女白菊詩』に感動した落合直文が、かなり自由に七五調の和文叙事詩に訳出したもの。 井上哲次郎は、阿蘇あたりで語り継がれていた伝承からこの詩を発想したといわれますが、確かなことはわかりません。 井上哲次郎(1856-1944) は、号を巽軒 (そんけん) といい、西欧哲学をわが国に紹介した哲学者であるとともに、新体詩運動の先駆者でもありました。 落合直文の『孝女白菊の歌』は、 『東洋学会雑誌』に、 明治21年(1888) 2月と8月、翌22年の2月と5月の号に 4回に分けて掲載されました。 その後、これに加筆訂正したものが明治37年(1904) 刊の『萩之家遺稿』に収録されました。 萩之家は落合直文の号です。 上の詩は加筆訂正後のヴァージョンです。 国立国会図書館「近代デジタルコレクション」収録の『萩之家遺稿』によりました。 『孝女白菊の歌』は、初出以来『少年園』その他の雑誌に転載され、若い人を中心に当時の人びとを感動させました。 フィクションであるにもかかわらず、いくつかの伝承を生みました。 昭和33年(1958) 9月には、熊本県阿蘇郡長陽村(現南阿蘇村) に、松前重義(東海大学の創設者) によって石碑が建てられました。 また最近、その近くに孝女白菊の像(タイトル下の写真) が建てられましたが、熊本地震でこのあたりに山崩れが起きたので、碑や像が無事かどうかはわかりません。 『孝女白菊の歌』に感動したのは日本人だけではありません。 さらに、同じころ慶應義塾で英語を教えていたイギリス人の宣教師、アーサー・ロイドは、フローレンツの訳書から英語に翻訳し、出版しました(左の写真)。 これらは、それぞれの本国でも評判になったようです。 上の詩に入れた20枚の絵は、昭和4年(1929) 3月に大日本雄辯会講談社から発行された『修養全集・第五巻』にあった岡田なみぢの挿絵をスキャンしたもの。 横書き用に原画の左右を入れ替えました。 90年ほど前の印刷なので、画質が粗末ですが、筋が追いやすくなるかと思って入れました。 曲は、落合直文の詩の「その一」が発表されるとすぐつけられたようですが、作曲者は不明です。 楽譜は、原詞の2句分、上の表示では1行分しかありません。 これをずっと繰り返して歌ったようです。 あまりに単調なので、最後の2つの音符を変えて、3行分を1単位として歌うようにアレンジしました。 曲調は、当時の書生節や、歌謡曲に進化する前の演歌に似ています。 (二木紘三) (に現代語の意訳があります)。 孝女白菊の歌がこんなに長いとは知りませんでした。 戦災で家が焼かれたとき本なども全てなくなり、ただ1冊疎開先にあったのは歌詞の本だけでした。 国語辞典ぐらいの大きさで厚みは辞書2冊分ぐらいありました。 最初が歌謡曲の始まりという「みやさん みやさん」でした。 字が読めるようになった2年生ごろからこの歌詞の本をよく読んでいました。 その中に孝女白菊がありました。 何と可哀想な歌だろうと何回も何回も涙を拭きながら読みました。 メロディはラジオで流れた時聴きました。 出だしぐらいしか覚えておりません。 赤茶けた本と涙を拭きながら読んだ小学校時代を思い出しました。 こんなに難しい歌だったのですね。 ここに載ったのも驚きでした。 投稿: ハコベの花 2016年6月 1日 水 17時59分 熊本空港から阿蘇を回り高千穂、西都原、宮崎と旅行して6月1日に帰ってきてこのブログを開いたら孝女白菊がアップされていて、こんな長い歌があったのかと驚きました。 熊本着陸の際は海から市街地を降りてゆきますが、ブルーシートが点々とあって早い復興を願いました。 空港からは阿蘇の北は道が駄目で大観峰を諦め南回りのグリーンロードを使いましたが高千穂に至るまでさしたる被害も見られず走りやすい道でした。 阿蘇五岳を見晴らすところには地元企業が引き受けたグリーンピアがありとてもきれいなホテルでした。 お客はまばらで風評被害が心配です。 この下にある道の駅あそ望の郷に寄りましたが、孝女白菊を説明した小さい看板と像があり何となく眺めていた次第です。 その先が白川の水源で協力金百円、結構な量の湧水でおいしく頂きました。 ここも被害は感じられませんでした。 高千穂の県営国民宿舎も立派なホテルで結構お客さんは来ていました。 東九州自動車道も開通し、宮崎までも楽に行けます。 西都原の古墳も昔より桁違いに整備が進んで必見です。 投稿: しょうちゃん 2016年6月 3日 金 23時11分 もとになった漢詩を書いた井上哲次郎といえば、内村鑑三の第一高等中学校不敬事件の時、激しく内村を攻撃した保守思想の親玉ですが、若い時にこのような漢詩を書いていたとは知りませんでした。 子どもが行方不明の父や母をさがすといえば、『山椒大夫』『刈萱』『傾城阿波の鳴門』『番場の忠太郎』などを思い出すが、これらの話は、主人公が親に会う途中で悲惨なめにあったり、無情な親に知らんふりをされている。 孝女白菊の話では、めでたしめでたしで終わっているが、何か釈然としない。 父が行方不明になったのは、深い谷に落ちて出られなかったという伝奇的な話になっている。 父の失踪の発端が、西南戦争下の熊本で、熊本鎮台攻撃、田原坂の戦いなどをリアルに連想させるだけに、行方不明の理由が数年間深い森をさまよっていたという説明がなんとも・・ また白菊と兄が家に着いたら、あれほどさがしていた父がいた。 勘当されていた兄もあっさり赦され、すべての問題が解決してしまう。 家に帰ったら問題が解決したというラストは、『法華経』の衣裏(えり)の宝珠のたとえを髣髴とさせます。 孝女白菊の場合は、他国放浪の苦難の意味もはっきりせず、とにかくめでたし、めでたし・・ 白菊の中に捨てられた娘が、か弱い身で父や兄を求めて幾山河を越えて行く・・まあそれだけでいいのかも知れませんが、明治17年の詩を味わうのは難しい。 投稿: 紅孔雀 2016年6月 4日 土 20時06分 熊本、阿蘇地方に続いた地震、被災された方々の難儀が心痛です。 孝女白菊の歌初めて中味を知り長さに驚きました。 現代語意訳大変お疲れさまでした。 この詩文に倣って懐かしい戦前の唱歌のいくつかはできたのでは、と錯覚します。 ご解説冒頭に西南の役に触れられています。 父方の曾祖母の弟が、西南戦争に別働隊第三旅団参謀部の幕僚書記として従い、提出した「西南戦闘日注」とは別に、師に宛てた私信を、阪谷朗蘆氏資料目録中に見つけました。 そこで厚かましくも、孝女白菊の歌の時代背景の参考に供すべく、二通(転戦した鹿児島から報告したものか、あるいはその要旨か)の紹介方をお許しください。 明治一〇年五月七日 三月二三日植木口大進撃 熊本城連絡御船進撃ヲ観 鹿児島上陸日夜羽檄ヲ草ス 当城人気悪シ西郷アルヲ知リ朝廷アルヲ知ラズ頑愚甚シ 連夜賊徒襲撃アルモ撃退 必死ノ賊文明ノ軍ニ敵シ得ズ 彼ノ言泰西兵制ノ妙ヲ知ル 明治一〇年六月四日 馬越恭平鹿児島ニ来リ面会 今回ノ戦状ハ新聞記者描出更ニ肇ヲ要セズ 熊本城中ヨリ奥少佐一大隊賊軍突破 川尻ニテ父老迎エ子弟ノ安否ヲ問ウ 死スルヲ聞ケバ御奉公ヲ済セリトコノ一言民権ヲ振起スルニ足ル 兵士ハ土民ヨリナリ士族ノ薩族ヲシテ舌ヲ巻カシム コノ徒民権ヲ首唱スル時ハ天下誰カ従ワザル 士族ノ民権論ハ真誠ノ民権論ニ非ズ (後略) 備考年表 明治10年2月22日 薩摩軍熊本城包囲 3月20日 田原坂の戦い 4月15日 熊本城攻防戦終結 9月24日 城山戦終 この手紙を書いた植松直久氏は明治一五年三七歳で病没。 学閥箕作家から嫁いだ兼夫人とともに故山に眠っています。 氏を慕った甥の龍太郎氏は慶應に学ぶも自由民権運動の壮士となり、明治二〇年帝都追放されました。 が、その後も民権運動に挺身し、晩年は村政に尽くしました。 場違いな情報の感がありますがご寛容ください。 投稿: 樹美 2016年6月 6日 月 14時07分 大変いい内容で感動しました。 「孝女白菊の歌」の現代語訳はめったになく、参考になります。 ニ、三の気づいたことですが、ご確認の上、ご検討ください。 「孝女白菊 画像」で検索し、画像の中で、赤で確か松前の妻が「孝女白菊の碑」と書いたものです。 少女の石碑は、つい最近のものです。 「孝女白菊」が多くの方に読み続けられますように。 また熊本の活性化になればと思います。 投稿: 大原敏行 2016年6月12日 日 17時02分 「これは明治17年 1884 、『郵便報知新聞』に掲載された井上哲次郎の長篇漢詩『孝女白菊詩』に感動した落合直文が、かなり自由に七五調の和文叙事詩に訳出したもの」との二木先生の解説があります。 このような長編叙事詩は日本では珍しいと思いますが、私は、古代インドから広く伝わる「ラーマーヤナ」に関係するのではないかと思っています。 これは、今から2000年ほど前に古代インドの大長編叙事詩で、ヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩の1つです。 サンスクリットで書かれ、全7巻、総行数は聖書にも並ぶ48,000行に及ぶそうです。 成立は紀元3世紀頃で、詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされます。 いわゆる口承によってインド各地に広まり、この叙事詩を節に載せて24時間歌い続けるとか、48時間歌い続けるということを、現在のインドの大学教授から聞きました。 日本では「ご詠歌」が似ているように思います。 私は、母から物悲しい調べのご詠歌を子供の頃よく聞きました。 内容はいわゆる道歌だったと思います。 英語や中国語と違い、どれも「主語+述語 目的語 +動詞」が共通です。 この「孝女白菊の歌」は、北インドの一大叙事詩を詠う文化が日本に伝わったような気がしてなりません。 投稿: 吟二 2016年7月10日 日 21時01分.

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神社: 写真ブログ〜京都鴨川の鳥たちと神社・寺

ひむか の 風 に さそ われ て ブログ

タマムシは、ピカピカの 金属 きんぞく 光沢 こうたくが 美 うつくしい、インスタ 映 ばえする 昆虫 こんちゅうだ。 その 輝 かがやく 体 からだの 色 いろは、 光 ひかりの 反射 はんしゃ(はねかえること)によってうまれ、 構造色 こうぞうしょくと 呼 よばれている。 見 みる 角度 かくどによって 違 ちがう 色 いろに 見 みえるのは、このためなんだ。 森 もりで 出逢 であえると、テンションがアガる 虫 むしの 代表種 だいひょうしゅ。 観察会 かんさつかいでも 人気者 にんきものである。 成虫 せいちゅうはエノキやケヤキなどの 葉 はを 食 たべるので、 高 たかい 所 ところを 飛 とんでいることが 多 おおいようだ。 しかし、 森 もりで 切 きられた 材木 ざいもく 置 おき 場 ばに 集 あつまる 姿 すがたも、よく 見 みかける。 切 きり 口 くちからの 香 かおりに 誘 さそわれて 集 あつまってくるのだろう。 捕 つかまえるならこういった 場所 ばしょがオススメだが、 管理 かんりしている 人 ひとに 許可 きょかを 得 えてからにしよう。 分類 ぶんるい:コウチュウ 目 もく タマムシ 科 か 学名 がくめい:Chrysochroa fulgidissima 漢字名 かんじめい: 玉虫 たまむし 別名 べつめい:ヤマトタマムシ・ 吉丁虫 きっちょうむし 大 おおきさ:25~40 mm ミリメートル 成虫 せいちゅうの 見 みられる 時期 じき:6~9 月 がつ 見 みられる 場所 ばしょ:ケヤキやエノキが 生 はえている 林 はやし 分布 ぶんぷ: 本州 ほんしゅう・ 四国 しこく・ 九州 きゅうしゅう・ 沖縄 おきなわ レッドリスト: 準絶滅危惧 じゅんぜつめつきぐ( 東京都 とうきょうと・ 宮城県 みやぎけん・ 茨城県 いばらきけん・ 群馬県 ぐんまけんなど)・ 要注意種 ようちゅういしゅ( 神奈川県 かながわけん) タマムシの 光 ひかり 輝 かがやく 姿 すがたは、 昔 むかしから 人々 ひとびとを 魅了 みりょうし、 色々 いろいろな 装飾品 そうしょくひんに 使 つかわれたようだ。 なかでも 法隆寺 ほうりゅうじ( 奈良県 ならけん)にある 国宝 こくほう「 玉虫厨子 たまむしのずし」は、 教科書 きょうかしょにも 登場 とうじょうするので、みんなも 知 しっているかもしれない。 虫 むしが 宝物 たからものになるなんて、 驚 おどろきだね! クリックリなお 目々 めめも 愛 あいらしい。 いくつかの 都道府県 とどうふけんのレッドリスト( 絶滅 ぜつめつのおそれのある 野生生物 やせいせいぶつのリスト)では、 要注意種 ようちゅういしゅや 準絶滅危惧種 じゅんぜつめつきぐしゅとされている。 いつまでもその 美 うつくしい 姿 すがたが見られるように、たくさん 捕 とりすぎないようにしよう。 タマムシのぬりえ.

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