終末 期 ケア 専門 士。 【気になる!?新資格】終末期ケア専門士をチェック(2020年)

【終末期ケア専門士】多死社会を支えるスペシャリストを目指す認定資格がスタート! (2020年4月22日)

終末 期 ケア 専門 士

〜業界初のオンライン型協会。 地域や職種を越えて終末期ケアを学ぶ、つながる〜 医療・介護専門職向け資格試験 日本の終末期ケアの担い手として 一般社団法人 日本終末期ケア協会は、【終末期ケア専門士】を新設し、現在、受験申し込みを受付中(9月30日まで)。 当試験は、今後訪れる多死社会において重要な役割を担う医療・介護に携わる専門職を対象とした認定資格である。 医師、看護師だけでなく、介護士、介護福祉士、理学療法士、栄養士など様々な職種の方が受験することが可能。 また、業界には数少ないCBT試験(パソコン試験)を導入しており、全国270カ所の会場にて試験を実施、試験期間は1週間を設けている。 試験も7日間から好きな日を選べる 受験日時・会場は3日前まで変更可能 災害(台風・地震など)で受験が出来なかった場合には、後日、振替受験も可能 【公式テキスト】が主な出題範囲。 履歴書や名刺などにも明記できるため、転職などの際に役立つ! 終末期ケア専門士がSNSでつながることができる。 『こんな講義が聞きたい!』、『こんなイベントをしてほしい!』という専門士の声が反映される。 まさに、専門士で作り上げるオンライン型協会。 勉強はもちろん、専門士同士の交流につながるイベントも開催。 ステップアップ方式の資格制度を採用。 アドバンスインストラクターになれば、協会からの業務依頼、講師、執筆などの仕事を受けることもでき、社会に直接働きかける重要な役割を担う。 もちろん、受注した仕事による報酬を得ることができる。 医療・介護の分野にとどまらないいろんなジャンルの勉強もできる!心理学・経営学・倫理学・行動経済学・歴史学・デザイン学など。 広い視野での学びを共有し、終末期ケアをもっと『自由』に。 それは、専門的知識だけではなく、「正解を見つけること」が正しいケアであるとは限らないこと、専門職であっても力の及ばない場面もあることを熟知し、ご本人やご家族、チームの仲間の揺れに寄り添うことができる「豊かさ」です。 この「豊かさ」は、「自己を内省する力」と共に身に付いていくものだと思います。 これからは、一般の方々も多くの看取りと向き合う時代となっていきます。 その昔、日本人の生活の中に、人の老いや死が身近であったように、生活の中に自然の一部として看取りが受け入れられる社会になることを願い、そんな社会を作る道標にこの『終末期ケア専門士』がなっていくと確信しております。 ケアをする方々が中心となり、自由に学び、地域や職種、業種を越えてつながり、一人一人の個性に合った【ケアの引き出し】を見つけられる場所となれるよう、今後とも尽力して参ります。 jp 「終末期」をもっと詳しく.

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【終末期ケア専門士】多死社会を支えるスペシャリストを目指す認定資格がスタート!(2020年4月22日)|BIGLOBEニュース

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終末期ケアの現状 我が国は、世界でもトップレベルの高齢化社会に踏み込んでおり、4人に1人が高齢者という現状を迎えています。 また、将来の死亡数は、2039年に167万人とピークを迎えることが予測されます(平成28年度版 厚生労働白書)。 今後の日本では世界に類を見ない「多死社会」に突入し、医療現場・介護現場だけではなく、多くの日本人があらゆる形で『人の死』に直面する時代となってきます。 今後の看取りの場所としての将来推計(2030年時点)では• 医療機関:病床数は増加なし• 自宅死亡:1.5倍に増加 2030年には、47万人が看取りの場所を失うことになります。 そんな中わが国では、団塊の世代が75歳以上となる2025年に向けて、地域の特性・実情に応じた地域包括ケアシステムを構築する取り組みが進められています 地域包括ケアシステムの構築と問題点 地域包括ケアシステムの構築により、緩和ケアや看取りの場を、病院から介護・福祉施設、在宅へ受け渡していくことが求められており、今後、介護・福祉施設や在宅での看取りの件数はますます増加していきます。 そのため、今後の日本では、在宅や介護施設で終末期ケアを行っているケア従事者やご家族たちが安心して地域での生活を支援できるように「地域の専門アドバイザー」が必須となってきます。 日本終末期ケア協会の資格制度 このような実情に適切に対応するため、当協会では、終末期ケアに携わっており、学びたいという意志のある方々の学びの場として、 『終末期ケア専門士』 エビデンスに基づいたケアの実践をおこない、患者・利用者様の一番近くで 「支える人」を養成する 『終末期ケア上級専門士』 組織運営・教育などチームマネジメントにおけるスペシャリスト 「育む人」を養成する 『JTCAアドバンスインストラクター』 地域貢献活動で、社会に働きかけるスペシャリスト 「伝える人」を養成する という3つの資格制度を新設しました。 これからは、日本の『終末期』について、業種・地域・立場の垣根を超え、多種多様な視点を持った人々がつながりをもって協働していくことが必要だと私たちは考えます。 その出会いこそ、「看取り」が暮らしに溶け込んだ社会を作る道標になると信じております。

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【気になる!?新資格】終末期ケア専門士をチェック(2020年)

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こんにちは、終末期の藤田です。 先日、新しい職場内で「終末期リハとはなにか?」というお話をさせてもらいました。 現在の職場に転職して2ヶ月もたっていない新人ですが、私の「死の臨床家」としてのキャリアを高く評価していただけたこと、 そして死の分野でリハビリが何ができるのか、興味を持っていただけたことがとてもうれしかったです。 私もこうやって自分のキャリアや役割について職場内で勉強会という形で話すことはありませんでしたので、気合を入れてがんばりました。 以下要約 Q. 終末期リハビリは何なのか? とは「」であり、終末期におけるとは 「その人らしく生きて、その人らしく死ぬ権利の回復」である。 特別な技術が必要なのか? 行うことは既存のの内容と同じ、介入の要素の比率が違うだけ Q. 終末期に携わる上で必要なものは何か? リハビリとして必須な技術はありません、しかし「他人の死」に対してどのように自身の心情が変化するのかを(平たく言うと『何が悲しいのか?』)を知らないとの可能性が増大する。 いつも藤田が言っていることですが、大まかにはこんな内容の話をしました。 新しい職場で終末期リハの役割と価値が広まることを祈りつつ、日々業務を行いたいと思います。 死の臨床に興味のある方は4月29日にを開催いたしますので、ぜひどうぞ。 皆様にお会いできることを楽しみにしています。 しばらくぶりの更新です。 お久しぶりです。 時間を空けている間にいろいろな事があり、大きく体調を崩してしまいました。 ブログを放置する形になってしまい、申し訳ありませんでした。 一番大きなことは、転職です。 現在、病院を離れ、訪問の分野で働いております。 理由は色々ありますが、在宅での終末期を知りたいと感じ、飛び出した感じです。 幸いなことに私の経験や理論が生かせる場所で働けることができており、体調も回復したので再び、死について考え、情報発信をしていきたいと思います。 特に明確なテーマは決めておりませんが、現在の状況や、感じることなどを共有できる場にできれば幸いです。 以下概要になります。 ・終末期に興味はあるけれど何をすればよいのかわからない。 ・普段死の臨床に携わっていて疑問に感じることがある。 ・死について他の医療者と意見交換がしづらい ・終末期医療について一緒に考えることができる仲間が欲しい! 講習会を介するとそういった言葉をよく耳にします。 終末期・緩和ケアはできたばかりの発展途上の分野です。 教科書には載っていない、臨床で感じたリアルな感情を共有してみませんか? 日々の臨床で役立つ情報や体験談も交えつつ 死の臨床に携わる者としてもっと前に進むために、意見交換しましょう。 テーマ例 ・死生観とは何か? ・ナラティブとは何か? ・デスカンファレンスはどうあるべきか? ・患者様のリアルな言葉にどのように関わっていくべきか? ・先輩方の臨床体験談。 ・医療者間の信念対立について。 などなど、積極的な意見交換がなされることを期待いたします。 日時:平成30年4月29日 10:00~12:00ごろまで 参加費:3000円 場所:花整体院 埼玉県本町2-39 【講師紹介】 藤田亮 姿勢発達研究会 認定講師 医療選択の会 理事 神経難病からがん分野まで10年以上終末期分野で働き、数百名の患者様の人生の最期に寄り添い、どのような生き方を選ぶのかについて共に考えてきた。 現在は患者様だけではなく医療スタッフがいかにせずに患者様と関わっていけるのか?をテーマに活動中。 意見交換、つながりができれば幸いです。 次回講習会のお知らせになります 次回は 8月6日(日)です 今回は昨年の10月に行い、大好評をいただいた。 ナラティブアプローチと スピリチュアルケアのリピート開催になります。 以下概要になります。 終末期・緩和ケアにおけるスピリチュアルケアを取り入れたアプローチ~ナラティブ超入門~ 終末期リハビリ、何となくのイメージはつくような気がするけれど… 実際何を行えばよいのかわからない!…そう思ってしまいませんか? 最近よく耳にする「ナラティブ」や「スピリチュアルケア」でどのように活かすことができるのか…一緒に考えてみませんか? 【こんな方にオススメ】 ・終末期の患者様を担当するにあたってどうすればよいか分からない ・患者様とのかかわり方に自信が持てない。 ・患者様に寄り添ったリハビリを提供したい。 ・より患者様目線で医療を提供したい。 終末期医療に必要不可欠な「ナラティブ」を中心に、ロールプレイを交えながら「この上なくリアルな」患者様の心情を経験し、何が必要なのか考えてみましょう! 【内容】 ・ナラティブとは何か? ・「狂気」はどのような形で生まれるのか? ・具体的なアプローチ方法 ・実際に聞かれた患者様のリアルな感情 ・ロールプレイ実習等… 翌日の臨床で使える実践的な終末期についてお話しします。 日時: 8月6日 10:00~12:00まで (講義の進行によって1時間程度の時間延長の可能性あり) 開催場所 花整体院 埼玉県本町2-39 駐車場2台まであり(お車でご参加の際は事前にご連絡ください) 参加者人数により場所が変わる可能性がございます。 参加費 3000円 【講師紹介】 藤田亮 埼玉県立がんセンター 姿勢発達研究会 認定講師 医療選択の会 理事 神経難病からがん分野まで10年以上終末期分野で働き、数百名の患者様の人生の最期に寄り添い、どのような生き方を選ぶのかについて共に考えてきた。 現在は患者様だけではなく医療スタッフがいかにせずに患者様と関わっていけるのか?をテーマに活動中。 お問い合わせ、参加希望の方は以下のリンクよりよろしくお願いします。 今回はロールプレイを中心に行いたいと思います。 死の臨床で活躍する皆様と是非積極的な意見交換ができれば幸いです。 次回講習会は6月25日 お会いできるのを楽しみにしております。 以下OT として終末期の分野でリハビリをして10年になりますが、同志にもたくさん出会いました。 それはOTに限らず、(以下PT)の方も多くいらっしゃり、私の講習会にもPTの方も多くいらっしゃいます。 終末期医療におけるPTとOTの違い、時々考えます。 現状PTとOTの仕事の境界が良くも悪くもあいまいな部分は多いですし、先日の講習会では 「OTはPTの下位互換とみなされることがあるのではないか?」というリアルなご意見もうかがいました。 これは何となく実感のある方もいらっしゃるかもしれませんね。 そしてよく聞かれる言葉として 「終末期は心の分野・心はOTの分野・PTは分野じゃない・終末期分野はOTの仕事」 と言うものもあります。 果たしてそうなのでしょうか? 【終末期分野で患者様が望むものは「心ではなく運動」の要素が強い】 先日とある患者様が逝去されました。 その方に私がしたことは何かと言うと「歩くこと、立つこと」でした。 「これができなくなったら死ぬかな」 とその方は仰っておりました。 事実できなくなった直後に亡くなられました。 さて心を見るOT、その方の心をどのように評価したのか? 私が思ったのは要約すると 「あぁすごく頑張っているなぁ」だけでした。 それを何となくかっこいい言葉でカルテに書いただけです。 この評価…PTにできないことなのでしょうか? 私はPTではないので、心理評価をどのようにとらえているのかわかりません。 この辺については意見交換したいところですね。 もしかしてすごく難しいものと思われているのかなとも思いました。 話を戻すと、終末期医療においても患者様の希望の大半は「動きたい」です。 そこに 「運動することによる個人の尊厳・自己コン」 が伴うのですが、これらは回復期だろうが急性期だろうが同じことですよね。 【PTは達成感のプロ】 PTは日々の臨床においてOT以上に「歩けてうれしい、頑張ってよかった」と言われることが多いと思います。 PTが終末期分野においてOTより長けている部分ははそこです。 要するに PTは知らず知らずのうちに患者様の達成感へのアプローチのプロなわけです。 以前講習会で「達成感が患者様の自己肯定・につながる可能性がある」とお話をさせていただきました。 これはOTが目標とするものと同じです。 つまりやることが違うだけでOTとPTの職業での差はないということになります。 勿論OTでもできます。 ですが、PTは患者様が最も希望する 運動のプロなわけですからその差は雲泥のものでしょう。 ) PTの苦手とされる「心の評価」 誤解を恐れず言えば 「歩くことができた、もしくは歩けなくても一生懸命頑張っていることで生じた患者様の気持ち」が患者様の心の評価と言えるのではないでしょうか? そう思えば、 普段やっていて、感じたものがそのまま患者様の心の評価になるのではないでしょうか? 少なくとも 「自分が患者様を治した」ではなく 「患者様が良くなってくれてうれしい」と思える医療者であれば、だれでもできることなのだと思います。 まとめ: OTの専門分野とみなされがちな終末期分野ですが 患者様が求めるものは「運動」の側面も強い。 そしてPTは運動のプロ。 プロの目線で患者様を評価、治療し、そこで生じる患者様の変化を感じ共有することが心の評価である。 そこで得られる達成感が終末期における患者様の・自己肯定につながる可能性がある。 それがPTの役割。 これは終末期に限らずどの分野にも共通しますね。 この辺は書き始めるときりがないので、とりあえずこれくらいにしております。 私自身終末期医療におけるPTの役割は明確に持っているので、是非実際に現場で悩まれている方とお話ができればと思っております。 次回講習会は6月25日になります。 皆様と終末期医療の分野について意見交換できることを楽しみにしております。 詳細は下記リンクにて。 間もなく6月に入ります。 私の経験ですが、この時期体調を悪くされる方が多い印象です。 患者様もそうですが、医療者も具合が悪くなる時期です、ご自愛ください。 さて、私の方は先日初めて「同年代の方の患者様」と関わる機会を頂きました。 現在臨床10年目、33歳の私ですが、同年代の方の担当は初めての経験でした。 正直「何をすればよいのだろう」と、若干恐怖感を感じながらの介入。 会話の中で自分の身の回りのこと(例えば自分の家族や、趣味、休日の過ごし方、等)を話してよいのか? 治る、治らないの病状について共有をしてよいのか? ご自身の今後について、語り合ってよいものなのか? 等々、今まで自分がやってきたことを躊躇してしまう…そんなバイアスが自分にかかった状態での介入でした。 とはいえ今思い返せばこれは 「年齢で人を分けている」行為、言い換えれば「差別」と捉えることもできる(おじいちゃんはどっちにせよもうすぐ死んじゃうのだから気が楽…ともとれる感情)ですので、自分の中に差別的な感情が伴っているのだと感じます。 ここは反省すべきところなのかもしれません。 その方が先日逝去されました。 色々な(自分勝手な)感情が伴いながらの介入でしたが 結論としては「いつも通りにやった」それだけです。 「動きたい、リハビリ室でやりたい」その言葉を伺いながら、医療者としてのリスクの共有と、現状機能の共有。 そのうえで何を行っていくかの検討。 ご本人の感情を否定しない。 あくまで希望に添えないのは病院のルールでの制約であり、個人の感情を貶す行為ではないということ。 できる限りの「双方の納得」に留意して介入を進めたつもりではあります。 患者様は一度もぶれることなく、疼痛とを天秤にかけ、その場その場で選択をされていたと思います。 その背景には「他者に迷惑をかけたくない」があったように感じました。 どれだけ具合が悪くても私に対して「わざわざ来てもらってありがとう、ごめんね、手間がかかって」と話されていました。 結局 ぶれているのは私たち医療者だったのだろうと思います。 医療者目線で「やってあげたいことができない辛さ」は常に感じていました。 トイレへの移乗が徐々にできなくなってきたときにスタッフから「何かできないか?」と相談を受けましたが、結論から言えば「何もできておりません」 患者様は私に対してトイレの改善を希望されませんでした。 「リハビリ室に行こう」それだけでした。 そう言う意味では「ご本人の希望に沿った」とはいえるのかもしれませんが、私自身が「できない事を聞かないでほしい」と言う行動をとっていたのかもしれません。 向こうで患者様が私をどう思っているのか、それは永遠に分りません、例によって「自分勝手な解釈はしない」様にしていきたいと思います。 こうやって書いていくと亡くなられる方の「年代」はさほどやることには関係しないのだなぁと感じます。 結局は医療者自身のナラティブのなかで 「かわいそうに感じるか、どっちにしても死ぬ人と感じるか」 とても醜い感情の中で患者様を値踏みしているのかもしれません。 この方に学ばせて頂いた数多くの事柄を感じながら、日々介入をしていきたいと思います。 ひとつだけ自分の都合の良い解釈をさせてもらえるとしたら、亡くなる数時間前、半分鎮静の状態の患者様がここ最近聞かれなかったほどのとても大きな声で 「先生、ありがとう」 と言ってくれたこと。 このやりとりに関しては、自分勝手な解釈を許してもらいたいと思います。 次回は6月です。 この患者様とのエピソードも話していけたらと思います。 是非ご参加よろしくお願いします。 前回、リハビリの優先順位 について私見を述べました。 そこで出た結論としてはやはり 終末期医療における患者様は、残り少ない時間であるにもかかわらず、医療者側の認識によって「やりたいことをはく奪される可能性が高くなる。 」 という結論になってしまいます。 と言う結論になってしまします。 もちろんすべてではないことは承知ですが。 我々ができることはなんだろうと考えた時に、やはり重要になるのは。 医療者と患者様との対話と共有 であると感じます。 (またそれか…と思われたらすいません、しかしこれがスピリチュアルケアにおける全ての根幹になります) 要するに患者様と関わっていく際に「現状の医療について」であったり「リハビリ部門の現状(人員等)」であったりをきちんと伝え、共有していく必要があるのではないか?と言うことです。 具体的に言えば 「終末期リハは残念ながら現状では優先順位が引くいため、回数を減らされることがあるかもしれない」 であったり 「終末期リハ日携わる医療者が全国的に少ないため、患者様の数が増えた時に一人あたりにできる回数が減る可能性がある」 等になります。 勿論ただ言いっぱなしではなく、「できる限りのことはしたい」であったり「これは医療者側の問題であり患者様のせいでも病気のせいでもない」事についても共有していくことが必要です。 「患者様に対して言い訳をするな」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんし、実際私も言われたことがたくさんあります。 しかしそれ以上に「何故やりたい事をさせてもらえないのか?話が違うじゃないか?」と言われることも多いのです。 全ての方に適応できるものではありませんが、「医療者と患者様の壁」についてもう一度考えてみてもいいのかもしれません。 因みにここ最近の患者様との関わりで感じることは 「我々以上に終末期医療について知っている」 と言うことです。 当たり前と言えば当たり前です、自分の最後をどのようにしていきたいか、我々がのほほんと死について考えている間に、常にリアルな場にいる方々です。 介入前に「自分はこうやって死にたい」と話される方も少なくありません。 それに対して中途半端な気遣いで「騙された」と思わせてしまうのであれば、もういっそ「現状の医療の問題点、終末期患者様に対する優先度、差別的な目線」に対して共有し、その中でどのように最期の時間を過ごすのか。 スタートラインをよりリアルな場所に置き換える作業も必要になってくるかもしれません。 終末期患者様に対しての医療の優先順位について、それ以外にも方法は沢山あると思います できれば急性期・回復期リハと同様「身体・心理・スピリチュアルすべて同列に適切な評価の中で必要な介入量・頻度を設定し、共有する」 事が理想ではありますが、今日明日では変わるものではないですので、現状を伝えていくことも必要なのではないかと思いました。 まずは「きちんと見せたくないものも含めて患者様と話し合おう」ということを提案させていただきます。 すこしでも死について、終末期リハにご興味のある方がいらっしゃいましたら、ぜひ意見交換しましょう。 次回は6月最終日曜日です。 日々の介入の中で患者さんの数が増えてくると、患者様への介入時間や頻度を減らさざるを得ない場面によく遭遇します。 そうなると優先的に減らされてしまうのが我々終末期医療の分野なのではないでしょうか? 「優先順位をつけなければならない」という言葉を聞かされますが、リハビリにおいての「優先順位」とはなんなのでしょうか? 少なくともその「優先」中に「死に向かう方々」は入っていないのだろうと思います。 われわれの終末期医療の分野には「ケア」であったり「喪の作業」等があり、それはマニュアルにも記載されている事です。 残念ながら医療全体に終末期リハの概念は浸透していません、これは医療者間の認識の問題であったり、コストの問題であったり、単純に「感情的に気に食わない」であったりします。 そしてそれが常識であると言うことも多く実感する機会がありました。 その背景には「死」がつきまとうこと、そして「やることが単純であること」があげられるのかもしれません。 まず、「死」は敗北であるという認識はやはり根強いです。 リハビリの特性上「治したい」という考え方になることは非常に多く、言い方が難しいですが治ることは「勝ち」であり、その逆は「敗北」私にはいまいちピンとこない事柄ですが、できれば「敗北」がわかっていることはしたくないでしょう。 人の命に勝ち負けなんかないと思うんですけども、それはそれぞれの考え方を肯定する必要があるのかなと思いますし、そう言った考え方に癒されている方も多いようです。 そして「やることが単純」とみなされること 病状が悪化するとマッサージやタッチングでの介入が主となります。 実践されている方は分思いますが、この時間ってとても神経を使います。 終末期医療における一番重要な時間なのだろうと思っています。 現に先日逝去された患者様に対して、この時間を用いてご家族と共に最後のを行いました。 亡くなられた後御挨拶に行くと「あの時間、一緒に散歩できてよかったです」と仰っていただきました。 (患者様がはどう思われたかはわかりませんが。 ) それくらい「最期の時間」は我々の領域の仕上げの時間、自宅退院される患者さんであればADLの共有くらい大切なものです。 残念ながらこれに関しても「学校でやるわけではない」のでそれぞれが臨床の中で知るものです。 そこにフォーカスを当てていない場合、当然「意味のない消化試合」と捉えてしまうでしょう。 もしくはそう捉えないと医療者自身の無力感の実感に繋がってしまうのかもしれません。 それ以外にも理由を挙げればきりがないですが とにかく現代において 「終末期リハは一般的な(?)との乖離が大きく、優先度が低いもの」とみなされていると捉えて良いのかもしれません。 治療により元気になり自宅に帰って生活をすることと、ご自身の時間が保証され、遺された者の痛みを少しでも和らげ、亡くなられて自宅に帰ること。 どちらも同じだと思うのは私だけでしょうか? 残念ですが、 終末期医療における患者様は、残り少ない時間であるにもかかわらず、医療者側の認識によって「やりたいことをはく奪される可能性が高くなる。 」 という結論になってしまいます。 非常に悔しい話ですし、我々がやっていることに対しての侮辱だなとも感情的には感じてしまいます。 もちろん色々な要因が絡んでいて「仕方がない」ということも承知の上で。 そのような中で我々終末期医療に携わるの人間に何ができるのか? 次回は私の私見について述べたいと思います。 こういった疑問を持つ医療者の方がいらっしゃいましたら、ぜひ意見交換しましょう。 次回は6月です。

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