もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を。 『もう二度と食べることのない果実の味を』第20話

雛倉さりえさん 『もう二度と食べることのない果実の味を』

もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を

上から下へ落ちていく物語 きらら……最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』は、中学生の男子と女子の初体験を、官能的に描いた恋愛小説です。 大人びた濃密な物語に引きこまれました。 雛倉……ありがとうございます。 『きらら』の編集者の方から、真面目な学生同士が墜ちていく話を書いてくださいとご依頼をいただいて、本作を構想しました。 前作『ジゼルの叫び』は天才バレエダンサーの物語でした。 バレエは上昇運動なので、イメージとしてひたすら「上」をめざす小説になりました。 なので次の作品は、「下」へと落ちていく話にしようと思いました。 ご依頼いただいた内容とも、合致するように感じられました。 きらら……上から下への、転換ですね。 雛倉……そうですね。 落下のイメージは、物語の舞台にも関わっています。 主人公たちが住んでいる、海と山に挟まれた街は、国内のある有名な温泉街をモデルにしています。 バブル期は温泉ブームで沸いていましたが、だんだん衰退して、経済力も人口も減っていきました。 ゆるやかに転落していく様子は、少女の退廃的に墜ちていく恋愛と相似関係にあります。 上から下の世界へ落下する構造を、さまざまな部分で意識しながら執筆を進めました。 きらら……舞台となっている街には、開湯伝説が残っています。 赤い雌と白い雄の2頭の龍が交合して、温泉が湧き出ていると伝えられています。 雛倉……本作を書く前に、中沢新一さんのノンフィクション『アースダイバー』を参考にしました。 そのなかに、伊豆山の下に龍がいる、という神話に言及した記述があります。 地下の深くで、龍が鼻とか口とか耳とか体じゅうのあらゆる穴から、お湯をとうとうと流しながら交合しているという。 その情景が、すごく面白いと感じました。 個人的に、龍というか爬虫類が好きというのもあって、今回は物語に取り入れました。 あと廃墟とか、水槽とか、前作までに私が好んで書いたモチーフも出てきます。 私自身の趣味が、いろいろと詰まった作品になりました。 相手を好きになった理由はわからない きらら……主人公の冴は中学3年生。 学年で成績2番の優等生です。 けれど心に、大きなコンプレックスを抱えています。 雛倉……小説の人物を考えるとき、まず最初にコンプレックスを決めます。 冴は、にきびにしようと考えました。 きらら……増え続ける顔のニキビに悩む描写が、たびたび出てきますね。 雛倉……にきびは、埋まっていたものが噴き出てくる症状です。 内面の抑圧がくすぶっている状態と重なっているようにも思えました。 芯を取ってもすぐにあふれ、増殖するにきびは、ある意味で官能的だと感じます。 温泉の湯が湧き出したり、果実の果汁がはじけたり、膜を破って体液が出てきたり……抑えられていたものから、何かがこぼれて噴き上がる瞬間は、とてもエロティックだという感覚があります。 きらら……意識せず、はじけ出るものですね。 雛倉……そうですね。 冴はずっと、欲望を抑えこんでいます。 それが無自覚に、外に飛び出そうとしている様子を、にきびはそのまま表しています。 また2頭の龍の交合から湯が地表にあふれるというイメージと対比させると面白いのでは、という狙いもありました。 きらら……冴のコンプレックスは、9つ歳の離れた姉の瑞枝にも向けられています。 勉強の成績も周囲からの愛情の量も、姉にはまるで敵わず、深く嫌っています。 雛倉……瑞枝は教科書製作の会社に勤めています。 冴は、姉の上へいこうと勉強を頑張っていますが、教科書をつくるという仕事はその源泉にある営みです。 もちろん歳も追い越せない。 絶対的な存在として、姉は冴の心にのしかかっています。 そんな冴の前に、さらに成績で勝てない存在として同級生の土屋が現れます。 きらら……土屋は成績が学年1位の秀才です。 理科準備室で、冴とひょんなことからキスを交わし、やがてふたりは惹かれ合います。 雛倉……冴がどうして土屋を好きになったのか。 私にも、よくわかりません。 同じような抑圧に耐えている似た者同士だからとか、もっともらしい説明はできるかもしれませんが、たぶん特に理由はないのだと思います。 冴が、土屋を好意的に感じているのはたしかだと思います。 だけど恋愛感情だけではない、身体の内奥から突き動かされる何かで、交わっているように感じます。 一般的には、若い方たちの恋愛は爽やかで切なく、華やかなイメージがあるかもしれません。 でも、もっと醜くて汚い、生々しい関係があってもいいはず。 むしろ醜くて汚い恋愛の方が、多いのかもしれない。 その醜さをとことん突きつめたい。 おしゃれじゃない恋愛を書いてみたかった。 恋愛という言葉ではくくれない、生身の男女の関係性に迫りたいと思いました。 近視眼でとらえる細部の描写に惹かれる きらら……男子の肉体の質感や、セックスの恍惚を、近視眼的なほど精密にとらえた描写に息を呑みました。 雛倉さんの描写力は、若手作家のなかで頭抜けています。 雛倉……描写は書くことも読むことも大好きです。 実際に私は近視なので、視界のピントが近いのかもしれません。 微細なものを、好んで描写しています。 本作でいえば、土屋くんの「ごつごつした骨と、筋ばった肌。 のたうつ毛。 どれもわたしの体にはない、異質なものだ」など、接近して見ることで、冴は他者としての男の子を感じ取ります。 きらら……冴と土屋は罪悪感を抱きながらも、繰り返しセックスを重ねます。 その衝動は、性欲だけではないように思われます。 雛倉……10代半ばぐらいの方たちは、進路のことや、抽象的な未来にたいして不安を抱くことも多いかと思います。 その裏返しとして、手でさわれるものにすがりたい、すぐ傍の他者にふれたい、という欲求が切実にでてくる。 目の前にあるもののリアリティを感じたい。 それはつまり、自分の存在を実感したいということなんだと思います。 冴と土屋は、お互いに交わりながら、よるべない自分の行き場所を、探しているのかもしれません。 もがいたからこそ本質に気づいた きらら……冴の心に決着がつく、ラストは余韻ぶかいものでした。 雛倉……もしかしたらありえたかもしれない未来、とはすこしずれたラストになりました。 けれど冴を描くにあたって、この結末しか考えられなかった。 ハッピーエンドかどうかはわかりませんが。 きらら……上へ行こうともがき続けた果ての、少女の選択に胸を打たれます。 雛倉……冴は成績でも精神面でも、ずっと「上」を目指して努力していましたが、頑張るほど、「下」へとずり落ちてしまう。 けれど無駄ではなかった。 彼女なりに苦しんで、もがいたからこそ、本質的なことに気づけたのだと思います。 結局この世界には、「上」も「下」も存在しないのだと思います。 どちらも考えかた次第で、置換可能なものだと思います。 「上」だと思っていた世界は、意外と頭上ではなく、真横だったり、足元にあったりします。 地獄は「下」の世界にあるのではなく、むしろ上下の区別がない世界こそが、朗らかで明るい地獄なのだということが、この小説の芯にあるものなのかもしれません。 きらら……雛倉さんの作家としてのテーマでもあるのでしょうか。 雛倉……上と下というより、ふたつの領域のあいだに横たわる「境界線」は、テーマのひとつだといえるかもしれません。 書くときは何よりも五感を大事にしています。 けれど、自分の生活に近いことは書きにくいです。 デビュー作の『ジェリー・フィッシュ』の頃からそうですね。 書く動機は、「ここではないどこか」へ行くことかもしれません。 できるだけ、自分のいる場所から離れたところを書こうとしています。 実体験や実際の景色だけではなく、言葉そのもので臨んでいきたい。 私は滋賀県の田舎に育ちました。 ふだんから植物や水を眺めることが好きだった半面、賑やかな都会や、海の景色など、遠いところに憧れつづけてきました。 そういう経験も、遠くの方に手を伸ばしたいという思いにつながっているのかもしれません。 昔から、純文学が好きでした。 自分の小説がエンターテイメントか純文学か、どちらをめざすべきかわからず、悩んだこともありました。 でも二者択一にこだわる必要はないのかもしれません。 いまは自分だけに表現できる領域の話を、気張らずに書こうとしています。 『もう二度と食べることのない果実の味を』が、その第一歩となる作品になれば、とても嬉しく思います。

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『もう二度と食べることのない果実の味を』第20話

もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を

17歳で「女による女のためのR-18文学賞」で鮮烈なデビューを飾った作家・雛倉さりえさんの最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』(通称:たべかじ)が4月16日に刊行されました。 CanCam. jpでは大型試し読み連載を配信。 危険な遊びへ身を投じたふたりの運命、そして待ち受ける結末とは……。 『もう二度と食べることのない果実の味を』第15話 ホテルの廃墟を見つけてから、わたしたちの逢瀬は毎日つづいた。 こんな不健全な遊びに耽っている暇はないのに。 勉強しないと、いけないのに。 うしろめたさは、けれど行為がはじまると、たちまちどこかへ消えていった。 からだをつなげることは、まっくらな地下に沈んでゆくことに似ている。 地底の王国。 かたちのないものの国。 わたしたちは手をつないだまま、官能の襞にもぐりこみ、うつくしくかがやく宝石のような快感をいっしょに採掘する。 宝石はしだいに殖えてゆき、やがてまばゆいひかりが視界を白く灼きつぶす。 ひかりのなかに、いろんなものが流れだしていった。 後悔も、焦燥も、過去も未来も、なにもかも。 目鼻口から、湯のように、どうどうと音をたてて落ちてゆく。 セックスが原因で生じた苦しみを、セックスで紛らわせる日々。 矛盾している、と思う。 それでも、いまさら引き返すことはできない。 見通しのきかない、不透明な未来への不安が高まるほど、その裏返しとして、いま目の前にあるものの存在感が肥大してゆく。 たしかなもの、さわることのできるものに対する、過剰な執着。 地中深くでのたうちながら、わたしたちは互いの体に、どんどんのめりこんでいった。 コップのなかの氷が溶けて、からりと崩れた。 わたしは机に赤ペンを置き、大きくのびをした。 夏休みがおわるまで、のこり一週間を切っていた。 受験勉強は、予定より大幅に遅れていた。 暗記するつもりだった英単語のリストはまだ半分も覚えられていないし、苦手な数学の記述も正答率は低いままだ。 時計をみると、午後四時過ぎだった。 出かけるにはすこし早いけれど、どうせ集中できないのなら、ここで坐っていても仕方ない。 階下に降りると、居間の方から両親の低い声がした。 またか、とわたしは息を吐く。 数年前から、父の働いているホテルの経営状態が、すこしずつ悪化しているらしい。 解雇、倒産、リストラ、という不穏な単語がまじった両親の会話を、ときどき耳にするようになった。 階段を降りきると、母がぱっとこちらにふりむいた。 父は、何事もなかったようにダイニングで新聞を広げている。 「あら、冴。 どこか行くの?」 「うん。 図書館」 逃げるように家を出ようとすると、背後から声が飛んだ。 「今夜、花火大会だって。 人通り多くなるから、気をつけてね」 外に出ると、太陽の最後の陽ざしが町をくっきりと照らしていた。 坂道をおりてゆくと、母の言ったとおり、ふだんよりずっと人の往来が激しかった。 地元の住民らしい普段着の家族連れ、浴衣をまとったカップル、派手な声で騒ぐ若者たち。 裏通りに入るとさすがに人気はなかったけれど、大通りのざわめきがかすかにきこえてくる。 しばらく進むと、いつもの廃墟が見えてきた。 空き地の前には、制服姿の土屋くんが立っていた。 腕時計をみると、待ち合わせの午後五時まで、あと数十分ある。 「土屋くん、早いね。 どうしたの?」 「勉強にあんまり集中できなくて」 「わたしも」と草むらに足を向けたとき、道のむこうから二台の自転車が近づいてきた。 警察だった。 わたしはとっさに、踏み出しかけた足を元に戻した。 二人連れの警官はわたしたちを一瞥し、そのまま走り抜けてゆく。 「今日は花火大会だから。 巡回してるんだと思う」 自転車が見えなくなってから、土屋くんがつぶやいた。 「念のため、ここはやめておいた方がいいかもしれない」 「じゃあ、どうするの?」 しばらくもじもじしていた土屋くんが、口をひらいた。 「母さん、今なら仕事でいないけど」 彼は、目を逸らしたまま言った。 「……僕の家、来る?」.

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『もう二度と食べることのない果実の味を』第20話

もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を

上から下へ落ちていく物語 きらら……最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』は、中学生の男子と女子の初体験を、官能的に描いた恋愛小説です。 大人びた濃密な物語に引きこまれました。 雛倉……ありがとうございます。 『きらら』の編集者の方から、真面目な学生同士が墜ちていく話を書いてくださいとご依頼をいただいて、本作を構想しました。 前作『ジゼルの叫び』は天才バレエダンサーの物語でした。 バレエは上昇運動なので、イメージとしてひたすら「上」をめざす小説になりました。 なので次の作品は、「下」へと落ちていく話にしようと思いました。 ご依頼いただいた内容とも、合致するように感じられました。 きらら……上から下への、転換ですね。 雛倉……そうですね。 落下のイメージは、物語の舞台にも関わっています。 主人公たちが住んでいる、海と山に挟まれた街は、国内のある有名な温泉街をモデルにしています。 バブル期は温泉ブームで沸いていましたが、だんだん衰退して、経済力も人口も減っていきました。 ゆるやかに転落していく様子は、少女の退廃的に墜ちていく恋愛と相似関係にあります。 上から下の世界へ落下する構造を、さまざまな部分で意識しながら執筆を進めました。 きらら……舞台となっている街には、開湯伝説が残っています。 赤い雌と白い雄の2頭の龍が交合して、温泉が湧き出ていると伝えられています。 雛倉……本作を書く前に、中沢新一さんのノンフィクション『アースダイバー』を参考にしました。 そのなかに、伊豆山の下に龍がいる、という神話に言及した記述があります。 地下の深くで、龍が鼻とか口とか耳とか体じゅうのあらゆる穴から、お湯をとうとうと流しながら交合しているという。 その情景が、すごく面白いと感じました。 個人的に、龍というか爬虫類が好きというのもあって、今回は物語に取り入れました。 あと廃墟とか、水槽とか、前作までに私が好んで書いたモチーフも出てきます。 私自身の趣味が、いろいろと詰まった作品になりました。 相手を好きになった理由はわからない きらら……主人公の冴は中学3年生。 学年で成績2番の優等生です。 けれど心に、大きなコンプレックスを抱えています。 雛倉……小説の人物を考えるとき、まず最初にコンプレックスを決めます。 冴は、にきびにしようと考えました。 きらら……増え続ける顔のニキビに悩む描写が、たびたび出てきますね。 雛倉……にきびは、埋まっていたものが噴き出てくる症状です。 内面の抑圧がくすぶっている状態と重なっているようにも思えました。 芯を取ってもすぐにあふれ、増殖するにきびは、ある意味で官能的だと感じます。 温泉の湯が湧き出したり、果実の果汁がはじけたり、膜を破って体液が出てきたり……抑えられていたものから、何かがこぼれて噴き上がる瞬間は、とてもエロティックだという感覚があります。 きらら……意識せず、はじけ出るものですね。 雛倉……そうですね。 冴はずっと、欲望を抑えこんでいます。 それが無自覚に、外に飛び出そうとしている様子を、にきびはそのまま表しています。 また2頭の龍の交合から湯が地表にあふれるというイメージと対比させると面白いのでは、という狙いもありました。 きらら……冴のコンプレックスは、9つ歳の離れた姉の瑞枝にも向けられています。 勉強の成績も周囲からの愛情の量も、姉にはまるで敵わず、深く嫌っています。 雛倉……瑞枝は教科書製作の会社に勤めています。 冴は、姉の上へいこうと勉強を頑張っていますが、教科書をつくるという仕事はその源泉にある営みです。 もちろん歳も追い越せない。 絶対的な存在として、姉は冴の心にのしかかっています。 そんな冴の前に、さらに成績で勝てない存在として同級生の土屋が現れます。 きらら……土屋は成績が学年1位の秀才です。 理科準備室で、冴とひょんなことからキスを交わし、やがてふたりは惹かれ合います。 雛倉……冴がどうして土屋を好きになったのか。 私にも、よくわかりません。 同じような抑圧に耐えている似た者同士だからとか、もっともらしい説明はできるかもしれませんが、たぶん特に理由はないのだと思います。 冴が、土屋を好意的に感じているのはたしかだと思います。 だけど恋愛感情だけではない、身体の内奥から突き動かされる何かで、交わっているように感じます。 一般的には、若い方たちの恋愛は爽やかで切なく、華やかなイメージがあるかもしれません。 でも、もっと醜くて汚い、生々しい関係があってもいいはず。 むしろ醜くて汚い恋愛の方が、多いのかもしれない。 その醜さをとことん突きつめたい。 おしゃれじゃない恋愛を書いてみたかった。 恋愛という言葉ではくくれない、生身の男女の関係性に迫りたいと思いました。 近視眼でとらえる細部の描写に惹かれる きらら……男子の肉体の質感や、セックスの恍惚を、近視眼的なほど精密にとらえた描写に息を呑みました。 雛倉さんの描写力は、若手作家のなかで頭抜けています。 雛倉……描写は書くことも読むことも大好きです。 実際に私は近視なので、視界のピントが近いのかもしれません。 微細なものを、好んで描写しています。 本作でいえば、土屋くんの「ごつごつした骨と、筋ばった肌。 のたうつ毛。 どれもわたしの体にはない、異質なものだ」など、接近して見ることで、冴は他者としての男の子を感じ取ります。 きらら……冴と土屋は罪悪感を抱きながらも、繰り返しセックスを重ねます。 その衝動は、性欲だけではないように思われます。 雛倉……10代半ばぐらいの方たちは、進路のことや、抽象的な未来にたいして不安を抱くことも多いかと思います。 その裏返しとして、手でさわれるものにすがりたい、すぐ傍の他者にふれたい、という欲求が切実にでてくる。 目の前にあるもののリアリティを感じたい。 それはつまり、自分の存在を実感したいということなんだと思います。 冴と土屋は、お互いに交わりながら、よるべない自分の行き場所を、探しているのかもしれません。 もがいたからこそ本質に気づいた きらら……冴の心に決着がつく、ラストは余韻ぶかいものでした。 雛倉……もしかしたらありえたかもしれない未来、とはすこしずれたラストになりました。 けれど冴を描くにあたって、この結末しか考えられなかった。 ハッピーエンドかどうかはわかりませんが。 きらら……上へ行こうともがき続けた果ての、少女の選択に胸を打たれます。 雛倉……冴は成績でも精神面でも、ずっと「上」を目指して努力していましたが、頑張るほど、「下」へとずり落ちてしまう。 けれど無駄ではなかった。 彼女なりに苦しんで、もがいたからこそ、本質的なことに気づけたのだと思います。 結局この世界には、「上」も「下」も存在しないのだと思います。 どちらも考えかた次第で、置換可能なものだと思います。 「上」だと思っていた世界は、意外と頭上ではなく、真横だったり、足元にあったりします。 地獄は「下」の世界にあるのではなく、むしろ上下の区別がない世界こそが、朗らかで明るい地獄なのだということが、この小説の芯にあるものなのかもしれません。 きらら……雛倉さんの作家としてのテーマでもあるのでしょうか。 雛倉……上と下というより、ふたつの領域のあいだに横たわる「境界線」は、テーマのひとつだといえるかもしれません。 書くときは何よりも五感を大事にしています。 けれど、自分の生活に近いことは書きにくいです。 デビュー作の『ジェリー・フィッシュ』の頃からそうですね。 書く動機は、「ここではないどこか」へ行くことかもしれません。 できるだけ、自分のいる場所から離れたところを書こうとしています。 実体験や実際の景色だけではなく、言葉そのもので臨んでいきたい。 私は滋賀県の田舎に育ちました。 ふだんから植物や水を眺めることが好きだった半面、賑やかな都会や、海の景色など、遠いところに憧れつづけてきました。 そういう経験も、遠くの方に手を伸ばしたいという思いにつながっているのかもしれません。 昔から、純文学が好きでした。 自分の小説がエンターテイメントか純文学か、どちらをめざすべきかわからず、悩んだこともありました。 でも二者択一にこだわる必要はないのかもしれません。 いまは自分だけに表現できる領域の話を、気張らずに書こうとしています。 『もう二度と食べることのない果実の味を』が、その第一歩となる作品になれば、とても嬉しく思います。

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