一休 さん しん え もん。 【アニメ】一休さんに出てくる登場人物の一覧

祇をん 新門荘

一休 さん しん え もん

金光: 日本三景の一つ、宮城県松島、平安の昔から歌に詠まれ、人々に愛された風景が、冬の日射しを浴びて、静かに広がっています。 平安時代、慈覚 じかく 大師、圓仁 えんにん によって創建され、後に奥州随一の禅宗寺院に発展した瑞巌寺 ずいがんじ が千年の歴史を伝えて、古い木立の中に建っています。 現在、この寺の第百二十九世住職を務める平野宗浄さんは、昭和三年大阪府堺市のお生まれで、若い時、この瑞巌寺の専門僧堂で修行されました。 後に、京都の 花園大学で教授を務めた後、平成二年に瑞巌寺の住職になりました。 平野さんはまた室町時代の禅僧、一休宗純 そうじゅん の研究家としても知られています。 庫裡の向かいにある宝物館の一室でお話を伺いました。 平野: それはあまりにも出来過ぎではないかと。 ここの点は私の憶測かも知れませんけれども、その日付に関しては、ちょっと粉飾があるんではないかなあという気がします。 それから後小松天皇の皇子であるということも、これは一休さん自体の記録には何もございません。 ただ、一休さんが亡くなった後、つまり俗説として、 一休さんの子供であるというね、これは岐翁 きおう 紹偵 しょうてい (室町時代の僧)という方なんですけれども、これは一休さんの弟子であったことは、一頃弟子であったことは弟子らしいんですが、その人が一休さんの法を嗣 つ いだ法嗣 はっす であるというふうに、自分が言っている。 その人が、一休さんは後小松天皇の皇子だということを言っているというんですね。 平野: そうなんです。 しかも、一休さんは『狂雲集 きょううんしゅう 』という禅詩集を残されていますが、その中で、あるお坊さんが説法の時に、弟子達の出所ですね、身分。 自分は高貴の出であるというような、この人はなかなか優秀だよというようなことで、百姓、町民の出のものは大したことがないんだというようなことを、説法で言っておったと。 それを一休さんが側 はた で聞いておりまして、もう腹が立って腹が立って、もうそこの場所から出てしまったと。 そのことを偈頌 げじゅ でも言っておられましてね。 そういう人間というものは出家したら、平等なんだという、貴族も平民 もないんだということを明言しておられますからね。 だからこういうことを言うというのはやっぱり一休さんの精神に反すると思いますね。 平野: はい。 これは一休さんが一番日本の、つまり祖師の中で尊敬されておられますのが大燈 だいとう 国師でございまして、大燈 だいとう 国師は、つまり大徳寺の開山さんでございますね。 この方が、つまり中国の禅を持ってこられた大応 だいおう 国師のお弟子さんなんですね。 大燈国師は。 この大応国師のお師匠さんが虚堂 きどう 和尚なんです。 そういう繋がりになるんですが、その大燈国師の精神を一休さんは非常に大事にされておりますね。 ちゃらんぽらんみたいなふうに受けることがございますけれども、それは非常に自由な、一休さんは自由な精神をもっておられるけれども、その根本は、そういう伝統の祖師、その中でも大燈国師を本当の心から尊敬しておられたわけです。 平野: はい。 諸君よ。 「この山中」というのは道場のことですね。 昔から山と言いますが。 それから「道の為に」仏道のために、道を求めるというのは、仏道ですね。 道の為にみんな集まってくれよ。 衣食住の為に来て居るんじゃないんだと。 「肩あって着ずということなく、口あって」これはですね。 つまり与えられるものさえ食べ、或いは着ておれば十分だと。 何と言いますか、余分にいいものを着たり、食べたりするなということです。 そして、「ただ須 すべか らく十二時中」一日中ですね。 「無理会 むりえ の処に向って、窮 きわ め来り究 きわ め去るべし」というのは、ちょっと難しいですが、ここは一番大事なところですが、これは理屈で、仏教学などでですね、理屈でわからない、どうしても最終的には、自ら体験しなければならないわけですが、そこのところですね。 仏道の根本、そこのところに向かって、一生懸命に修行しなさいと。 だからつまり無常迅速で、とにかく直ぐ歳いくから、しっかりやりなさいということですね。 次は『遺誡 ゆいかい 』と言われておるものですね。 それはまた原文を読みますと、 平野: だから、先程いろいろ『遺戒』で申しました。 山の中へ入って行ったりですね、修行したり、或いは今度は居酒屋に行ったり、色街に行くのにも、非常にその極端な形式だけのことで批判されるということになるわけですね。 だから悪魔の種族だと言うんですね。 私が死んで後、それらは児孫ということは絶対許さないという厳しいですね。 もしたとい一人でも野外で小さなあばら屋に住んで、我々に「野菜根」というのは、本当の意味は、普通の人が捨てるような、そういうものですね。 それを食べて毎日過ごすような生活をしていても、「己事 こじ を究明 きゅうめい 」ですね、自分の今の一大事に専念する者は、私と毎日顔を会わせていると言うんですね。 そして仏道に報いる人であると。 敢えてなおざりにしてはならないというね、これが大燈さんの精神を一番よく私は表現していると思うんですね。 平野: 遊里に十年も入りびたりながら、遊び尽くすには、まだ未練があるというね、それを振り切って、強いて山や谷間に住むことにしたと。 しかし三万里も見渡せる眺めの良いところにも、雲がそれを邪魔をするし、屋外に吹く風が背の高い松の間を吹き抜けて、その音が気になって仕方がない。 これはね、私、好きなんですよ。 つまり京都でいろいろあっちこっち遊んだり、たまには私も山の中で修行しなければいかんというようなことで行かれます。 そうすると、今度は行った当座は景色がいいなと思っていても、雨が降ったり、雲が邪魔したりするし、しかも静かだと思っておったのに、びゅうびゅう風が吹いて、何かまた、都が恋しくなる。 これ人間らしいですわね。 平野: はい。 大慧 だいえ 禅師という有名な方が、次のように言われている。 圓通禅師という人がですね、雪の降る日に、自分の友達の僧堂へ遊びに行った。 ところが虎丘雪下という。 虎丘というのはお寺の名前で、そこでは丁度、雪の降る日ですが、お休みの日だったんですね。 そこに三種類のグループがおると。 一番上等が、達磨さんが少林におった時に、二祖 にそ 慧可 えか がお弟子になりたいと、雪のもの凄く降る胸まで積もる雪の中にジッと耐えておったと。 それを頭に入れながら、寒い禅堂の中で、坐禅をしておる。 これが一番。 それから上等の仇 きゅう というのは、これは上等の類 たぐい ということなんです。 それから「僧社 そうしゃ に詩を吟ず」は第二番目です。 「僧社 そうしゃ に詩を吟ず剃頭 ていとう の俗 ぞく 」というのは第二番目で、筆を執って、墨を刷って、雪に因んだ詩を作っておる。 そういうグループがある。 これは中クラスです。 それで一番落ちこぼれの人達は、「飢腸 きちょう 」、 平野: これはやっぱりですね。 沢山のお弟子さんがおりますから、病気になる僧はおられまして、一休さんもそんなに健康そうな、八十八まで長生きでしたけど、いろいろ病気になったこともあったそうで、非常に弟子に対する思いやりが、大変なものなんですね。 それでここではですね、ちょっと説明しますと、一休さんのお弟子さんが大変重い病気になったと。 傷風というのは感冒のきついんですね、肺炎ですか。 ひどい風邪なんですね。 昔は質素な食事でしたから、風邪でも引いたら大変なことで、「死脉 しみゃく 頻々 ひんぴん として命終わらんとす」脈が乱れて、命が危ないと。 可哀想だなあということですね。 「如来の新病牛乳を用う」と言いますのは、お釈迦さんでさえも、苦行を捨てて、尼蓮禅河 にれんぜんが へ戻りました後、あれは牛乳で炊いたお粥なんからしいんですがね、ここでは牛乳でいきましょう。 牛乳、これは、実はその苦行の間、禁止されておったんですね。 バラモンでは。

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一休さん

一休 さん しん え もん

金光: 日本三景の一つ、宮城県松島、平安の昔から歌に詠まれ、人々に愛された風景が、冬の日射しを浴びて、静かに広がっています。 平安時代、慈覚 じかく 大師、圓仁 えんにん によって創建され、後に奥州随一の禅宗寺院に発展した瑞巌寺 ずいがんじ が千年の歴史を伝えて、古い木立の中に建っています。 現在、この寺の第百二十九世住職を務める平野宗浄さんは、昭和三年大阪府堺市のお生まれで、若い時、この瑞巌寺の専門僧堂で修行されました。 後に、京都の 花園大学で教授を務めた後、平成二年に瑞巌寺の住職になりました。 平野さんはまた室町時代の禅僧、一休宗純 そうじゅん の研究家としても知られています。 庫裡の向かいにある宝物館の一室でお話を伺いました。 平野: それはあまりにも出来過ぎではないかと。 ここの点は私の憶測かも知れませんけれども、その日付に関しては、ちょっと粉飾があるんではないかなあという気がします。 それから後小松天皇の皇子であるということも、これは一休さん自体の記録には何もございません。 ただ、一休さんが亡くなった後、つまり俗説として、 一休さんの子供であるというね、これは岐翁 きおう 紹偵 しょうてい (室町時代の僧)という方なんですけれども、これは一休さんの弟子であったことは、一頃弟子であったことは弟子らしいんですが、その人が一休さんの法を嗣 つ いだ法嗣 はっす であるというふうに、自分が言っている。 その人が、一休さんは後小松天皇の皇子だということを言っているというんですね。 平野: そうなんです。 しかも、一休さんは『狂雲集 きょううんしゅう 』という禅詩集を残されていますが、その中で、あるお坊さんが説法の時に、弟子達の出所ですね、身分。 自分は高貴の出であるというような、この人はなかなか優秀だよというようなことで、百姓、町民の出のものは大したことがないんだというようなことを、説法で言っておったと。 それを一休さんが側 はた で聞いておりまして、もう腹が立って腹が立って、もうそこの場所から出てしまったと。 そのことを偈頌 げじゅ でも言っておられましてね。 そういう人間というものは出家したら、平等なんだという、貴族も平民 もないんだということを明言しておられますからね。 だからこういうことを言うというのはやっぱり一休さんの精神に反すると思いますね。 平野: はい。 これは一休さんが一番日本の、つまり祖師の中で尊敬されておられますのが大燈 だいとう 国師でございまして、大燈 だいとう 国師は、つまり大徳寺の開山さんでございますね。 この方が、つまり中国の禅を持ってこられた大応 だいおう 国師のお弟子さんなんですね。 大燈国師は。 この大応国師のお師匠さんが虚堂 きどう 和尚なんです。 そういう繋がりになるんですが、その大燈国師の精神を一休さんは非常に大事にされておりますね。 ちゃらんぽらんみたいなふうに受けることがございますけれども、それは非常に自由な、一休さんは自由な精神をもっておられるけれども、その根本は、そういう伝統の祖師、その中でも大燈国師を本当の心から尊敬しておられたわけです。 平野: はい。 諸君よ。 「この山中」というのは道場のことですね。 昔から山と言いますが。 それから「道の為に」仏道のために、道を求めるというのは、仏道ですね。 道の為にみんな集まってくれよ。 衣食住の為に来て居るんじゃないんだと。 「肩あって着ずということなく、口あって」これはですね。 つまり与えられるものさえ食べ、或いは着ておれば十分だと。 何と言いますか、余分にいいものを着たり、食べたりするなということです。 そして、「ただ須 すべか らく十二時中」一日中ですね。 「無理会 むりえ の処に向って、窮 きわ め来り究 きわ め去るべし」というのは、ちょっと難しいですが、ここは一番大事なところですが、これは理屈で、仏教学などでですね、理屈でわからない、どうしても最終的には、自ら体験しなければならないわけですが、そこのところですね。 仏道の根本、そこのところに向かって、一生懸命に修行しなさいと。 だからつまり無常迅速で、とにかく直ぐ歳いくから、しっかりやりなさいということですね。 次は『遺誡 ゆいかい 』と言われておるものですね。 それはまた原文を読みますと、 平野: だから、先程いろいろ『遺戒』で申しました。 山の中へ入って行ったりですね、修行したり、或いは今度は居酒屋に行ったり、色街に行くのにも、非常にその極端な形式だけのことで批判されるということになるわけですね。 だから悪魔の種族だと言うんですね。 私が死んで後、それらは児孫ということは絶対許さないという厳しいですね。 もしたとい一人でも野外で小さなあばら屋に住んで、我々に「野菜根」というのは、本当の意味は、普通の人が捨てるような、そういうものですね。 それを食べて毎日過ごすような生活をしていても、「己事 こじ を究明 きゅうめい 」ですね、自分の今の一大事に専念する者は、私と毎日顔を会わせていると言うんですね。 そして仏道に報いる人であると。 敢えてなおざりにしてはならないというね、これが大燈さんの精神を一番よく私は表現していると思うんですね。 平野: 遊里に十年も入りびたりながら、遊び尽くすには、まだ未練があるというね、それを振り切って、強いて山や谷間に住むことにしたと。 しかし三万里も見渡せる眺めの良いところにも、雲がそれを邪魔をするし、屋外に吹く風が背の高い松の間を吹き抜けて、その音が気になって仕方がない。 これはね、私、好きなんですよ。 つまり京都でいろいろあっちこっち遊んだり、たまには私も山の中で修行しなければいかんというようなことで行かれます。 そうすると、今度は行った当座は景色がいいなと思っていても、雨が降ったり、雲が邪魔したりするし、しかも静かだと思っておったのに、びゅうびゅう風が吹いて、何かまた、都が恋しくなる。 これ人間らしいですわね。 平野: はい。 大慧 だいえ 禅師という有名な方が、次のように言われている。 圓通禅師という人がですね、雪の降る日に、自分の友達の僧堂へ遊びに行った。 ところが虎丘雪下という。 虎丘というのはお寺の名前で、そこでは丁度、雪の降る日ですが、お休みの日だったんですね。 そこに三種類のグループがおると。 一番上等が、達磨さんが少林におった時に、二祖 にそ 慧可 えか がお弟子になりたいと、雪のもの凄く降る胸まで積もる雪の中にジッと耐えておったと。 それを頭に入れながら、寒い禅堂の中で、坐禅をしておる。 これが一番。 それから上等の仇 きゅう というのは、これは上等の類 たぐい ということなんです。 それから「僧社 そうしゃ に詩を吟ず」は第二番目です。 「僧社 そうしゃ に詩を吟ず剃頭 ていとう の俗 ぞく 」というのは第二番目で、筆を執って、墨を刷って、雪に因んだ詩を作っておる。 そういうグループがある。 これは中クラスです。 それで一番落ちこぼれの人達は、「飢腸 きちょう 」、 平野: これはやっぱりですね。 沢山のお弟子さんがおりますから、病気になる僧はおられまして、一休さんもそんなに健康そうな、八十八まで長生きでしたけど、いろいろ病気になったこともあったそうで、非常に弟子に対する思いやりが、大変なものなんですね。 それでここではですね、ちょっと説明しますと、一休さんのお弟子さんが大変重い病気になったと。 傷風というのは感冒のきついんですね、肺炎ですか。 ひどい風邪なんですね。 昔は質素な食事でしたから、風邪でも引いたら大変なことで、「死脉 しみゃく 頻々 ひんぴん として命終わらんとす」脈が乱れて、命が危ないと。 可哀想だなあということですね。 「如来の新病牛乳を用う」と言いますのは、お釈迦さんでさえも、苦行を捨てて、尼蓮禅河 にれんぜんが へ戻りました後、あれは牛乳で炊いたお粥なんからしいんですがね、ここでは牛乳でいきましょう。 牛乳、これは、実はその苦行の間、禁止されておったんですね。 バラモンでは。

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祇をん 新門荘

一休 さん しん え もん

1975年10月15日から1982年6月28日まで、NETテレビ、本放送中の1977年よりテレビ朝日系列で全296話が放送されたテレビアニメ作品。 制作は現・東映アニメーションですが、もともとは1クールの予定だったこの一休さんのアニメ。 東映および東映アニメーションのシリーズでない単体のアニメ作品としては、2007年にONE PIECEに破られるまで最長の話数だったみたいです。 一休さんはとんちが得意 このアニメは一休さんがとんちを使ってとんち勝負をしたり、いろいろな問題や事件を解決していきます。 一休さんがとんちを働かせるときは、坐禅 ざぜん スタイルで目を閉じ、両手の人差し指を舐め、その指で側頭部に2回ほど円を描いてからとんちをします。 その時に閃くまでは、ポクポク…と木魚みたいな音がしていて、閃く時にはチーンと鈴 りん の音で閃き、一休は「これだ!」と目を開ける。 また、何も浮かばない時にはとんちを働かせるのをやめて「だめだ……」と溜息をつく場合もある。 一休さんのとんち話 一休さんのとんち話は、誰もが知っているかと思いますが、有名なところをいくつか紹介します• 屏風 びょうぶ の虎退治… 足利義満が一休に出した問題の一つ 「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」に対し、 一休さんは「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。 このはし渡るべからず… 桔梗屋が一休に出した問題の一つ 店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると「このはしわたるべからず」と書いてあることに対し、 一休さんは「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った。 水アメの毒… 和尚さんが水あめを食べられまいと嘘をつく一話 「一休よ。 これはな、大人が食べると薬じゃが、子どもが食べるとたちまち死んでしまうと言う、恐ろしい毒の水アメじゃ。 決して食べてはいかんぞ」と嘘をつきました。 一休さんは和尚さんの留守中に水あめを食べ、わざと大切な茶碗を割り「和尚さんの大切な茶碗を、割ってしまいました。 おわびに毒の水アメをなめて死のうと思いましたが、全部なめても死ねません。 和尚さんは「こりゃ、してやられたわ」と、それからはみんなで分けることにした。 刀のごちそう… 足利義満が一休に出した問題の一つ• ふたをとらず… お金持ちの加平さんが一休に出した問題• にせ本尊… 本尊に化けたキツネを一休たちが懲らしめる話 一休さんに出てくる登場人物 安国寺 このアニメに登場する安国寺の建物のモデルとなったのは、京都府綾部市の安国寺で、貧乏寺の設定になっています。 実際に一休さんが修行をしていた安国寺は、貧乏寺ではなく ちゃんとした大きなお寺だったみたいですが、焼失してしまったらしく現在はありません。 一休 このアニメの主人公で実在した人物一休宗純をモデル• 幼名は千菊丸 せんぎくまる• 安国寺では一番の後輩で正義感が強く心優しい、聡明な小坊主• 後小松天皇(ごこまつてんのう)の庶子(しょし)• 苦手なもの:クモ、雷、露姫(やんちゃ姫)、どちて坊やなど 外観和尚(がいかんおしょう) 貧乏寺である安国寺の住職• いつも厳しい和尚さんだが一休達を温かく見守っている• 将軍さまが一休をへこましたいがために度々難題を持ちかけてくるのを「義満公にも困ったものじゃ」とぼやく場面も• 将軍さまや桔梗屋、いろいろな人の相談に乗ったりする さよちゃん 一休の友達• 安国寺境内の裏手に祖父の吾作と一緒に暮らしている• 両親は戦に巻き込まれて死別している• 懐に母の形見の櫛をいつも持ち歩いている 秀念(しゅうねん) 安国寺最年長の兄弟子• 生家は元武士• 兄貴風を吹かすものの調子に乗りやすい• 桔梗屋の弥生に惚れている• 一休を小生意気と辛く当たる時もあったが、ある一件を境に良き兄貴分となる 哲斉(てっさい) 安国寺の小坊主• 出家しているが将軍に敵対する南朝方の新田家ゆかりの人物• 一時僧籍を離れて、俗人にかえり戦いの世界へ戻るが再び寺へ戻ってくる• 生真面目で頑固な性格だったが、やがて皆と打ち解けていく• 趣味:絵を描く事 陳念(ちんねん) 安国寺の小坊主• 太っちょで食いしん坊• おっとりしてマイペース• 「トンカツ食って馬勝った」の名台詞は陳念が発言者 黙念(もくねん) 安国寺の小坊主• 背丈は一休くらい• おっちょこちょい 哲梅(てつばい) 安国寺の小坊主• 地味であまり目立たない• 特徴:そばかす 吾作 さよちゃんの祖父• 貧しい寺男• 大根作りの名人 たま さよちゃんが飼っている猫• 性別は不明確• 回よってメス猫とされたり、オス猫の動作したりと、まちまち てるてる坊主 一休の心の拠り所• 安国寺の渡り廊下前の木にぶら下げられている• 悩んだ一休が母に見立てて相談をしたりする• 表情豊か 幕府 南北朝の合一を果たし、しばしの平穏な室町幕府の時代。 実際は、一休が生まれた時には、すでに将軍職を息子の足利義持(9歳)に譲り、足利義満は出家して金閣寺を隠居所にしていた。 なので、一休の時代なら本当は「将軍さま」ではなく、「前将軍さま」が正しくなる。 このアニメ一休さんでは、足利義満は出家もしていなし将軍として登場している。 足利義満(あしかがよしみつ) 室町幕府の第三代将軍で実在した人物• 南朝側の母を持つ一休の行動を警戒している• いつかは一休をへこましたいと無理難題をふっかけるが、だいたい一杯食わされて地団駄を踏むはめになる• 苦手な露姫が遊びに来たときは、新右衛門や一休に面倒を見させる 蜷川 新右衛門(にながわ しんえもん) 寺社奉行で武芸の達人でもある青年武士• 一休のとんちの鮮やかさと性格にほれ込み、弟子入りを希望するようになる• 事ある毎に無理難題の解決を一休に頼みに来る。 新右衛門…「一休さ~ん、一大事で御座る~! 」と駆け込み, 一休…「どうしました、新右衛門さん」 新右衛門…「どうしたもこうしたもないで御座るよ」と毎度のパターン 桔梗屋 桔梗屋 利兵エが営む米問屋は、もともと戦乱で両親と全ての財産を失い一文無しになってしまったのですが、そこから死に物狂いで働いて一代で身代を築き上げ、豪商の仲間入りを果たしました。 そして、幕府御用達米問屋に選ばれ、また同時に安国寺の和尚さんへのお布施や贈り物も送り続け、将軍家との親交を深めています。 桔梗屋 利兵エ(ききょうや りへい) 幕府御用達の商人• 本職は米問屋らしいが、色々と手広く商売をやっている• お金に目がくらみ、度々悪どい商売をして痛い目に遭う• 一休にとんちでとっちめられているが、懲りない• 困り事は一休に泣きついて相談を持ちかける 桔梗屋 弥生(ききょうや やよい) 桔梗屋利兵エの美人でワガママな一人娘• 父親の商売の手伝いをしている• 父親同様、一休への嫌がらせもするが、困った時は一休さんに泣きつく• 一休とはある種の喧嘩友達のような関係 その他の登場人物 伊予の局(いよのつぼね)-母上様 一休の母で俗名照子• 日野中納言・持明院基親の娘で天皇の女官• 後小松天皇との間に生まれたのが一休• 将軍に敵対していた南朝側・藤原氏系日野家の出身• 将軍によって一休と引き離され小さな家に暮らしている 五条 露(ごじょう つゆ) 五条家の末娘 つゆ姫• 将軍さえも恐れぬ、やんちゃな性格で「やんちゃ姫」と呼ばれる• 一休ですら、つゆ姫の扱いに手を焼いている 末姫(すえひめ) 大大名大内家の娘• 淑やかで美しい姫• 新右衛門とは実は相思相愛だが、女心に疎い新右衛門はその想いに気付いていない•

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