モーゼ の 奇跡。 開海「海が割れる日」

(2ページ目)モーゼは本当に“海を割った”!? フィクションではなかった、「モーゼの奇跡」!!

モーゼ の 奇跡

こんにちは。 昨日のお話に続いて自然現象のお話です。 皆さんは海が好きですか? もし海で遊んでいる時に突然「海面が割れて」道があらわれたら驚きますよね? そしてそんな事はあるわけないと思うかもしれません。 あくまで「物語」だけのものだと。。。。 具体的な話にあるのが旧約聖書における偉人「モーセ」の話ですね。 なんとモーゼが海に向かって手を差し出すと海面が割れて道があらわれ、エジプト軍から逃れることができたとあるのです。 「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。 」(出エジプト14:21-22) このお話を昔の誰かが作ったフィクションだろうと一笑するのは簡単です。 ですがこの「海割」が本当にあったかどうかをまずは考察してみましょう。 より転載 ユダヤ教の経典、「旧約聖書」。 そこには、ヘブライ人の歴史が膨大なエピソードとともに綴られている。 考古学的見地からの研究や発掘調査によって、これが単なる神話ではなく、史実に基づいた事柄も含まれていることが次第に明らかになってきた。 旧約聖書によると、彼らはモーゼに率いられてエジプトを脱出、約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)を目指した。 エジプトのファラオは、彼らを引き戻そうと軍隊を差し向けるが、有名な奇跡はここで起きた。 このエピソードが史実であるとは、にわかには信じ難い話だが、今月8日付の「ワシントン・ポスト」紙によると、すでに現代の科学が謎を解き明かしつつあるという。 その上でドレウス氏は、様々なデータを用いて当時の地形状況や気候をコンピュータモデルで再現。 東から強烈な風を吹かせると、嵐のようにラグーンの水面が波立ち、海水が西へと追いやられることを確認した。 時間にして4時間程度だったという。 また19世紀後半、エジプトに軍事介入した英国軍の記録にも、現地で強風が吹きラグーンの水が完全に無くなっていたとの記述が見られるという。 さらに同様の現象は、エリー湖(北米大陸五大湖のひとつ)などでも観測されているとした。 しかし奇跡と思われた現象が、特定の条件下によって発生し得るということを明らかにした。 ・・・・・・・・・・・・転載終了・・・・・・・・・・・・・・ 旧約聖書に出て来るエピソードは、一般的に考えて常識外の話が多いので本当にあったのか? といぶしがってしまう事が多々あります。 「ノアの箱舟」「ソドムとゴモラ」。。。。 普通の人間の考えだと、聞いただけでフィクションとして考えてしまうのもやむを得ません。 ですが多くの旧約聖書のエピソードが実際に起こった出来事として考察・研究されています。 なので「モーゼの海割」を実際にあった事実としてとらえても違和感は無いかと思います。 そして「海割」に関しては実際に起こっています。 例えば有名な海割れは、天童よしみの歌でもおなじみの韓国の珍島(チンド)やソウルから日帰りできる済扶島(チェブド)でも見ることができるんです。 先日のピラミッドの話も日本から身近なお話でしたが海割れも身近な存在ですね。 より転載 <珍島神秘の海割れ> 珍島の一番の見所といっても過言でないのがこの海割れ現象~。 珍島郡古郡面回洞から義新面の芽島里の間の約2.8kmが、干満の差で海底の砂丘が広いところでは約40mの幅で海の上に道のように現れます。 月に一度は必ず開く海ではありますが、せっかくならば「珍島神秘の海割れ祝祭」というお祭りが開かれている期間に訪れたいもの!韓国はもちろん、世界中の人々がこの海割れ現象を一目見ようと集まってきます。 祝祭の時には、珍島固有の民俗芸術やコンサートといった公演が見られる特設ステージや、珍島名物の海産物が食べられる屋台などが会場内に立ち並び、島の人々と観光客が一つになり、大いに村は盛り上がります。 場所は瀬戸内海に浮かぶ「甘崎城」です。 より転載 甘崎城は大三島の沖合に浮かぶ島全体を城郭とした海城で、海の難所とされる花栗瀬戸を押える位置にあります。 村上海賊が去った後も、藤堂氏によって近世城郭として改修された日本唯一の海城となります。 城跡には大小30mに及ぶ直線の石垣遺構が海底にあり、大潮時には石積みも出現。 そして、年に数回の潮の干満の大きい時には海が割れ、岸から島に歩いて渡ることができます。 ちなみに韓国でこういった海割れ現象が見られる場所は合計5か所あります。 普通は1年に数回しか見れませんが、「済扶島」は1日2回 それもほとんど年中見れます。 海の道ができる時間にあわせて行けば、モーゼが神からの奇蹟を感じた素晴らしい光景を目にすることが出来るでしょう。 韓国に旅行の際には是非訪れてみて下さいね。 韓国ソウルのお勧めオプショナルツアーを手軽にオンライン予約 韓国・エジプト・世界中の海外旅行に便利 格安航空券・ホテル予約はアリスツアーのオンライン予約.

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開海「海が割れる日」

モーゼ の 奇跡

前 13世紀頃在世のイスラエルの立法者,。 でレビ族の家系に生れ,エジプト下のヘブライ人を率いてに成功した指導者。 イスラエルの子孫の力を恐れたエジプトのパロ 王 は出生した男児の殺害を命じたが,モーセはパロの娘 モーセの命名者 に救われ宮廷で成人した。 しかし彼は苦役に従事する同胞を見,同胞を打ったエジプト人を殺したことからミデヤンに逃れた。 同地の祭司の娘を妻として亡命生活をおくっていたが, ホレブ 山で神が彼に現れ,イスラエル人のエジプト脱出を命じたので再びエジプトに戻った。 兄の助けによって人々の説得に成功した彼は,パロの頑強な反対にあいつつも,出エジプトを決行,奇跡によって紅海の水を分け脱出を成功させた 1~14章。 出エジプトの3日後,モーセはで神と契約を結びをはじめとするさまざまの掟が示された。 酬恩祭として捧げられた雄牛の血は契約の血と呼ばれている。 その後もモーセは約束の地カナンへ向けて長く困難な移動を指揮したが,40年ののちカナンへの途次モアブの地に没した。 120歳と伝えられる 34章。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 紀元前13世紀、古代イスラエル民族とその宗教を基礎づけたと伝えられる指導者。 ヘブライ語でM ehと書き、モーゼまたはモイゼともいう。 [木田献一] 生涯前1280年ごろ、イスラエル民族はモーセに率いられてエジプトから脱出し、シナイ山において神ヤーウェとの契約関係に入り、ヤーウェの民になったという。 それ以前はヘブライ人とよばれる小家畜を飼育する諸部族の集合にすぎなかったが、ヤーウェ宗教の受容によって、一つの民族としての自覚をもつに至ったのである。 シナイ山における契約に際して、モーセは神からイスラエルの民が守るべき「十戒」を授かった。 十戒は、『旧約聖書』の「出エジプト記」20章と「申命記」5章にほぼ同じ形で記録されており、他神や偶像の礼拝を禁じ、殺人、姦通 かんつう や窃盗を禁止するなど、ユダヤ教とキリスト教における宗教と倫理の基礎をなすものとして重視されている。 モーセは、シナイ山で神ヤーウェとイスラエルの間に契約を結ばせたあと、神が先祖アブラハムに与えると約束したカナンの土地を民に得させるため、40年間、荒野を放浪した。 その旅は困難を極め、疲労と飢えに不満が爆発して民はしばしば反抗したが、彼は忍耐強く統率し、約束の地へ導いていった。 モーセは、「そのひととなり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(「民数記」12章)といわれている。 モーセは荒野の旅において、民が神に対して示した不信の責任を負わされ、自らはカナンの地に入ることを許されず(「民数記」14、20章)、ヨルダンの対岸に達しながら、モアブの地からカナンを眺めるのみで死んだ。 彼の墓の所在も知られないままだと記されている(「申命記」34章)。 [木田献一] 伝説と史実モーセに関する記事は「出エジプト記」から「申命記」に及んでおり、古くから「創世記」に始まり「申命記」に終わる「モーセ五書」(『旧約聖書』の最初の五書。 律法=トーラー)は、モーセの著作であると信じられてきた。 しかしモーセについて知りうる確実な歴史的事実はごくわずかである。 「出エジプト記」1~2章にあるモーセの誕生と青年期の記事も、英雄伝説的色彩が濃い。 ただ「出エジプト記」3~6章に、モーセが神の啓示を受け、出エジプトの事業を託されたこと、「ヤーウェ」という神名を初めて知らされたことなどが書かれているが、これは歴史的事実に基づくものであろう。 エジプト脱出や唯一神教の確立などという民族的大事業は、傑出した人物によらなければ成就しえないからである。 「出エジプト記」の19~40章、さらに「レビ記」全体と「民数記」10章までは、イスラエルの民がシナイ山に滞在していた時期についての記事になっている。 ここには十戒のほか多くの律法が記されている。 しかしこの大部分は、後代のユダヤ教が、すべての権威ある律法はモーセがシナイ山で神から直接与えられたものとするため、ここに集めたものと考えられる。 その結集と正典化は紀元前400年ごろには、ほぼ完了した。 モーセはイスラエル民族の歴史のなかで、しだいに理想化され、預言者の原型と考えられ、またユダヤ教のすべての権威ある律法を与えた者とされた。 『新約聖書』において、イエス・キリストは新しいモーセであり、山上の垂訓は新しいモーセの律法だと理解されている。 [木田献一] 『浅野順一著『モーセ』(岩波新書)』 【預言者】より … 古代イスラエルの思想史的発展の記録である旧約聖書では,すでに最も古いいわゆる族長アブラハムを預言者と呼んでいる個所があるが 《創世記》20:7 ,狭義の預言者は一定の社会史的条件のもとに登場し,活動したもので,その点で広義の預言者的ということと区別したい。 モーセに預言者的要素が強いことは彼についての旧約聖書の記述にさかのぼり,歴史的に考えてもある程度にこれを認めうる。 モーセ時代に続くいわゆる士師の時代に輩出した〈カリスマ的指導者〉士師に預言者的要素が強いことも当然であるが,そのような預言者的伝統を受けて士師時代の終り,王国時代の初めに活動したサムエルに狭義の預言者の最初の活動を見いだしたい。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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「ノアの方舟」ポーチと「モーゼの奇跡」ポーチ

モーゼ の 奇跡

では モイセイと呼ばれとされる。 モーセは・・およびなど多くの宗教において、最重要なの一人とされる。 伝統的には旧約聖書の(トーラー)の著者であるとされてきた。 『出エジプト記』によれば、モーセはにいる家族の子として生まれたが、がヘブライ人の新生児を殺害することを命じたので、それから逃れるためにに流され、ファラオの娘に拾われて大切に育てられたという。 長じてエジプト人を殺害し、砂漠に隠れていたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けた、とされ、エジプトから民を率いて脱出したモーセは民とともに40年にわたって荒野をさまよい「約束の地」にたどり着いたが、(モーセは神の指示を忠実に守らなかった過去があり、約束の土地を目前にして、ヘブライの民はそこに入ることができてもモーセはそこに入ることが神から許されず)約束の地の手前で世を去ったという。 のから出土した3世紀頃の壁画。 モーセがナイル川から拾われる場面を描いている 『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセは(ここでヘブライ人と同じ意味)のの父アムラムと、アムラムにとってにあたる母ヨケベドとの間に生まれ、兄と姉がいた。 モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した。 出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、のに乗せてナイル川に流された。 たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた。 モーセの姉の機転で、実の母親が乳母として王女に雇われることになった。 成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、ヘブライ人を助けようとしたが、はからずもエジプト人をしてしまう。 これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れての地()に住んだ。 ミディアンではという羊飼いの女性と結婚 し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日「燃える柴」のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在の周辺)へと導く使命を受ける。 神は、みずからを「わたしはある者」と名乗った 、とされる。 モーセはイスラエル人から『主はあなたに現れなかった』と言われた場合(つまり、預言者であることに疑義をとなえられた場合)に備え、3つのしるしを与えられた、とされる。 「杖が蛇になる」「手が癩病(レプラ)で雪のように白くなる 」「ナイル川の水が血に変わる」である。 (の絵画) エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会いヘブライ人退去の許しを求め、前述のしるしの1つ「杖が蛇になる 」を使って自分の杖を蛇にして見せたが、ファラオの配下の魔術師たちもその程度はできたのでファラオは驚かず、アロンの杖の蛇が他の蛇を食ってしまったことで一応勝ったものの、ファラオは拒絶し、許可を出さなかった。 そのためモーセは次のしるし「ナイル川の水が血に変わる」を使い、これを始めにがエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含めてすべてのエジプトの初子が無差別に殺害された。 ファラオはここにいたってヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた。 エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉とを入れないパン(=「タネなしパン」)を食べた。 神はこの出来事を記念として行うよう命じた (これが今もユダヤ教徒が祝う「祭」の起源であり、キリスト教ではの予兆とされる)。 ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりしてと騎兵からなる軍勢を差し向けた。 葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。 これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた、とされ、しかし後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ、とされる。 その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続ける。 人々は水や食べ物のことでしばしばモーセに不平をいい、モーセはそのたびに水や食べ物を与えて神の力を示した。 このとき、神から与えられたとされる、荒野で夜毎に現れる、まるで蜜入りのウェファースのような味の白い(謎の)食料を食べて民たちはしのぎ、人々はその(謎の)食料を「」と呼んだ 、とされる。 やがて人々がに近づくと、神が山上に現れ、モーセは山に登ってを受けた 、とされる。 さらに神はヘブライ人と契約を交わした、とも。 『出エジプト記』のモーセに関する記述はこれで終わり、後半部(20章~40章)は守るべき掟と儀式に関する詳細な規定の記述に費やされている。 続く『』『』『』ではさらに詳細な律法の内容が語られ、その合間にモーセの生涯とヘブライ人たちの歩みとについて記している。 モーセは石版の破片を入れた『』を先頭にシナイ山を出発し 、約束の国を目指してカナンを進んだ。 その途上ではモーセとアロンへの反逆が行われたり 、不平を言う民を罰する為に神が炎の蛇を送り、多くの死者が出たため、モーセがを示して民を救った出来事などがあった。 人々はカナンの人々と戦いを繰り返し、アモリ人らを撃ち、全軍を滅ぼした。 さらにミディアン人たちを撃つなど戦いを続けた。 モーセ五書の最終巻にあたる『申命記』ではモーセの最期が描かれている。 メリバの泉で岩を打って水を出し、その後にもう一度水不足が訪れたときに岩に命じるようにとの命令であったのにもう一度岩を打ったため 、約束の国に入ることを許されず、ヨルダン川の手前でピスガの頂に登り、約束された国を目にしながらこの世を去った。 120歳であった。 モーセはモアブの谷に葬られたが、その場所は誰も知らないとされている。 モーセの死後、その従者であったヌンの子が後継者となり、神の民を導いた。 イスラム教の聖典『クルアーン』では、モーセすなわちムーサーは過去の預言者のひとりにして、のに()から使わされたとして登場する。 ムーサーは『クルアーン』においてムハンマドを除く諸預言者の中では 最も偉大 [ ]な預言者であるとみなされており、(イスラム教徒)はムーサーを「神と語る者(カリームッラーフ)」と尊称する。 ムーサーの名は『クルアーン』中において非常に多くの個所で言及され、特に、第28章「物語」は全編がムーサーの物語になっている。 『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトで生まれ育ち、のちに「聖なる谷」で神の声を聞いて預言者となった。 また、彼の兄であるハールーン(アロン)もムーサーを補佐するための預言者とされる。 ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一なる神を信仰するよう求め、神の偉大さを伝えるために杖を蛇に変えるなどのを示すが、ファラオに拒絶されたためにイスラエルの民を連れてエジプトを離れた。 出エジプト物語は『聖書』と基本的に同じであり、シナイ山(アラビア語ではムーサー山と呼ばれる)で、ユダヤ教徒に対して与えられた啓典であるトーラー(律法)を神から授かったという。 クルアーンのムーサーの物語では、ユダヤ教徒たちがムーサーの言うことを聞かず、時にをあがめたことについて非常に詳細に言及されており、このようなクルアーンの、正しい神に選ばれた使徒ムーサーに従わないユダヤ教徒に対する批判的な言及が、歴史的なムスリムによるユダヤ教徒に対する差別心、敵意の原因のひとつとなったと指摘されることも多い。 ムーサーはイスラム教において(ヌーフ)、(イブラーヒーム)(イーサー)、と共に 五大預言者のうちの一人とされる。 また、ムーサーという名はムスリムに好まれる男性名のひとつとなっている。 イスラム伝承ではムーサーはイスラエル民族の救世主としての役割のみならず、さまざまな知的追求も行う人として描かれており、クルアーンにはユダヤ・キリスト教には無い話。 知識を求めるムーサーが、従者を連れ賢者に会いに行き、教えを請う物語などもある。 エジプト脱出から死去までの時間に開きが大きいのも、その間に知的追求への旅など、イスラエル民族に対する救世主的行為以外にも携わっていたからだと考えられている。 トーラーの記者としてのモーセ [ ] 『創世記』からはじまって、『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』までの『』(キリスト教では『旧約聖書』)の最初の五書は、総称して「モーセ五書」と呼ばれてきた。 にイエス・キリストがモーセを聖書記者として言及している聖句があり、に立つの教会ではモーセをモーセ五書の記者として認めている。 これらは聖書自身の記述と古代からの伝承によってモーセの手によるものとされてきたが、らのを支持するものはそれに反対する。 福音派にはこれらの主張を「信仰の敵」と呼ぶものもいる。 「モーセ五書」の別称は「トーラー」であり、日本語訳では「律法」とされることが多い。 トーラーの原義は「指針」ないし「方針」である。 聖典関連以外のモーセ [ ] フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第II巻第X章では、出エジプト記の第2章10節と11節 の間付近に入るエピソードとして「モーセはエジプト軍の指揮官としてエチオピア攻略で活躍し、彼の強さを認めたエチオピアの王女タルビスは和平交渉をして彼の妻となった。 」というものが書かれている。 モーセの実在との物語の信憑性は、考古学的知見、歴史的知見、紅海の海底調査の結果 、文化における関連するなどからおよび、者の間では疑問視する人々が多い。 その他の歴史学者は、モーセに帰せられる伝記の詳細さとエジプトの背景は、の終わりに向かうにおける部族の統合に関わった歴史的、政治的、宗教的指導者が実在したことを暗示していると擁護している。 エジプト側に残るモーセに関する物語と関連するものとして、エジプトの神官による記録のの引用がある。 それによれば、が地を清めるためにと皮膚病患者を隔離した際、 オサルシフォス(Osarseph) というの祭司が皮膚病患者の一団の監督者となった。 皮膚病患者たちはかつてのが首都を置いたに収容され、オサルシフォスはエジプトで禁じられているあらゆることを指示し、エジプトで許されているあらゆることを禁じた。 さらにヒクソスを国に引き入れてエジプトを再征服し、13年間彼らと統治した。 最終的にエジプトの地を追い出されるが、オサルシフォスはモーセの名を名乗る。 この物語はとは異なっているが、いくつかの共通点があり、例えば、エジプトに災いをもたらすモーセという名の宗教指導者が存在したこと、エジプト北方に勢力を持った西アジア系移民が存在したこと 、その異分子は オン の宗教指導者と近しい関係を築いていたこと 、皮膚病を利用したこと 、エジプト人と異なる法を敷いたこと、そしてエジプトの地から出たこと、などが挙げられる。 なお、この話自体はヨセフスの時代の頃それなりに広まっていたものであるが、ヨセフス自身を含む大半のユダヤ人からはこれと結びつけることはモーセを侮辱するものだと考えられて おり、前述のヨセフスの引用(『アピオーンへの反論』第2章229節)では引用しつつも書き手のマネト(原文は「マネトーン」)たちにレプラ患者と自分たちの先祖を一緒にするなと反論しており、別の著書の『ユダヤ古代誌』(第III巻11章3-4節)ではレビ記13章の記述から引用(一部改竄 )しつつも「レプラ患者にこんなに厳しく扱うモーセが患者自身であるはずがなかろう」という趣旨の反論をその後にわざわざ書いている。 モーセと芸術作品 [ ] 絵画・彫刻 [ ] キリスト教美術においてはモーセは通常老人の姿に描かれることが多い。 中世ヨーロッパ美術においては、ミケランジェロの彫刻やレンブラントの絵画にみられるごとく、モーセはしばしば角のある姿で描かれるが、この理由には二つの説がある。 一つは、の描写をもとにしたためだというものである(『出エジプト記』 34:29-30, 35)。 元来、にはを表す文字が存在せず、ヘブライ語で「角」を意味する語は「輝く」という意味にも解釈可能であり、現在の『聖書』翻訳では一般に後者の意味で訳出されている。 もう一つの説は、ヴルガータとは関係なく、モーセの顔が光り輝くのを角のような形で表現したというものである。 フランスののは後者の説をとり、最初でそのような表現がなされたものが絵画や彫刻にも影響を与えたと考えている。 一方、日本のは前者の説をとりつつも、12~13世紀のイングランドの学者 ()の著書中に「モーセの角の生えた顔とは、すなわち彼の顔から輝く光が出ていたから 」とあるのを紹介している。 他の中世人の著作を見ると、『雅歌講解』にも件の場面でモーセの顔が光り輝いたということを前提としている記述がある。 異説 [ ] 聖書学者のは著書 において、そもそも出エジプト記の該当箇所は「角のある」と解釈するのが正しいのだと主張している。 「光り輝いている」と訳したヘブライ語はカーランという動詞で、用例が「角のある」という意味であることは確かである。 カーランはケレンという名詞の派生語と思われるが、名詞の用例は たくさんあって、その意味が「角」であることははっきりしており、牛との関連で使われている詩篇の動詞形の意味も「角のある」といったあたりに自ずと定まるからである。 そこで 出エジプト記の方のカーランも、旧約のラテン語訳・ヴルガータではこれと呼応して cornutus(角のある)と訳しているのである。 それに対し、ギリシア語訳・ セプトゥアギンタ(七十人訳)はdedoxastai(光り輝いた、栄光化された)と意訳した。 近代の翻訳も日本語訳を含め、「顔の肌」から角が生えるというのはそれこそ面妖であるので、 みなセプトゥアギンタの方にしたがっているのである。 なお、は「豊穣=富と子孫繁栄の象徴」であり、(の遺跡などから推測されるに、おそらく紀元前1万年の)太古より、の各地に、豊穣神たる「角を生やした(主に牛の)神、」への信仰があり、儀式の際に角の被り物をするなど、カーランを「角のある」と解釈することは、むしろ正統な発想である。 異形なる角は、善(神)であれ悪(悪魔)であれ、人を超えた神聖な存在、権威ある者、であることを示す表現方法なのである。 映画 [ ] モーセと出エジプトをテーマにした映画も多い。 代表的な作品に以下のものがある。 監督による『』(。 モーセ役は。 セシル・B・デミル監督による『』(。 1923年作品のセルフリメイク、特殊効果賞受賞作。 モーセ役は。 監督による『』(。 モーセ役の声は。 監督による『』(。 モーセ役は。 ) 比喩・俗用としてのモーセ [ ] 海が割れるエピソードは旧約聖書の中では日本でも比較的有名なエピソードである。 このエピソードから転じて、人だかりなどで混雑している場所においてある人物が現れるとその人のために道を一斉に開けて空間ができる様子などを海が割れている場面に見立てて比喩的にモーセを使うことがある。 また、同じ理由で水に強い磁場をかけると分かれることを「」という。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『出エジプト記』6:19-20。 なお、ここではアロンとモーセが双方アムラムとヨケベドの子とされているが、ミリアムについては触れていない。 ミリアムの名前が初めて出てくるのは15:20で「アロンの姉妹」名義で登場、通常は2章に出てくる「モーセの姉」と同一人物とされる。 また2章でモーセが母の結婚後最初に生まれたような書かれ方をしているのに一貫した話の流れで姉が直後に出てくる(6章は2章と別系統の出典の可能性があるが、ここは並行記事や後世の挿入の可能性が低い。 )ことから、「姉」は「異母姉」ではないか?モーセがそばにいる状況でミリアムが「アロンの姉妹」と呼ばれることからミリアムはモーセよりアロンの方が結び付きが強いのではないか?という説もある。 この「モーセ(モーシェ)の名前の由来はマーシャーから」は『出エジプト記』2:10の本文中に明記されているが、ヘブライ語の読みであるのでエジプト人が付けるのは不自然なためか、ヨセフスやフィロンなどは本文内の説明ではなく「エジプトの言葉で『 水』をモーウ、『水から助けられた人』をエセース(後述の関根正雄の『出エジプト記』では「モ=水」「ユシェ=救われた」)といい、モーセ(原文はギリシャ読みの「モーセース」)は『 水の中から引き揚げられた人』という意味だ。 」という「水」が由来の説明を上げている () ただしこれもギリシャ読み前提なので現在は取られない解釈であり、むしろエジプトの言葉にこだわるなら「~の息子」に当たる言葉が語源の方が自然で、著名人の使用例に「アハモーセ」や「トゥトモーセ」といったファラオがおり、意味としては後者の場合「トゥト(神の名)の息子」という意味になる。 () (注:「トゥトモーセ」は通常日本語では「」と訳される。 2019年2月2日閲覧。 モーセの妻は資料ごとに出自が違っており『出エジプト記』では前述のようにミディアン人のツィポラだが、『民数記』12:1ではアロンとミリアムが「モーセがクシュの女を娶っている」ことを言う場面があり、『士師記』1:16ではイスラエルの民と行動を共にしていた集団に「モーセの舅であるケニ人の子孫」なる記述がある。 ヨセフスは「クシュ人」はツィポラと別のモーセがエジプトにいた時の妻だと解釈()し、士師記に当たる部位の「ケニ人」の下りはミディアン人として書き直している。 このしるしのみモーセがファラオに対し使用する場面がない。 なお、ギリシャ語訳聖書では「レプラ」の記述がなく「雪のように白く」、これを元にしたヨセフスはさらに「石灰岩のように白く」としている。 原語では杖が変わったものは第4章3節では「蛇」だが、この第7章では第4章の物とは別の単語で、直訳すると「大きな爬虫類」という意味になる。 このため「(大きな)蛇」でも一応成り立つが「鰐」とも訳せる。 『申命記』34:9、以下文語訳聖書より引用「ヌンの子ヨシユアは心に智慧の充る者なりモーセその手をこれが上に按たるによりて然るなりイスラエルの子孫は之に聽したがひ主のモーセに命じたまひし如くおこなへり」(申命記34:9)、「主の僕モーセの死し後 主、モーセの從者ヌンの子ヨシユアに語りて言たまはく わが僕モーセは已に死り然ば汝いま此すべての民とともに起てこのヨルダンを濟り我がイスラエルの子孫に與ふる地にゆけ」(ヨシュア記1:1-2)• ただし、『ユダヤ古代誌』ではこの出エジプト記2章11-15節に該当するエピソードがなく、エチオピア遠征のあと妬まれたので逃げたことにされている。 ヨセフスの著書の『』では、ユダヤ戦争勃発の直前にカエサリアで起きたギリシャ系とユダヤ系の住民同士の大規模な喧嘩の発端が「ギリシャ系住民が間接的にこの件でシナゴーグの近くでモーセを侮辱することをしたので血の気の多いユダヤ系住民がキレて乱闘が起きた」という趣旨の説明がある。 引用元の『レビ記』13章では「レプラ(ヘブライ語では「」)患者は宿営の外に隔離される(第13章46節)」だが、『ユダヤ古代誌』でも「町から追放されて他人との交渉は許されず一個の死体のように扱われる」とより厳しい記述になっている。 邦訳ティルベリのゲルウァシウス『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』 訳、、2008年7月10日初版、ISBN:978-4-06-159884-3 では「つまり、讃嘆すべき光がその顔から 角状に 発して、かれを見つめる者の目を眩ませる」 p241 出典 [ ]• 『出エジプト記』1:22• 『出エジプト記』2章1-10• 『出エジプト記』2:11~3:21• 『出エジプト記』12:29• 『出エジプト記』12章• 『出エジプト記』14章• 『出エジプト記』16章~17章• 『出エジプト記』20章• 『出エジプト記』24章• 『民数記』10:33• モーセ以外全員処刑宣言()• 40年間荒野をさまよう事に()• 『民数記』16章• 『民数記』21:4-9• 『民数記』21:21-35• 『民数記』31:1-24• 『申命記』32:51• 『申命記』34章• 『申命記』34:6• 『聖書の概説』羊群社• ケアンズ『基督教全史』• -サルヴァスタイル美術館• サンライズミニストリー 2012年7月4日. 2017年9月27日閲覧。 7:30以降• Press. princeton. edu 2011年11月6日. 2012年4月3日閲覧。 The Quest for the Historical Israel: Debating Archeology and the History of Early Israel, 2007, Society of Biblical Literature, Atlanta,. John Van Seters, "The life of Moses",• Jan Assmann, Moses the Egyptian: The Memory of Egypt in Western Monotheism, Harvard University Press, 2009 pp. 31-34. 創世記46章33-34節• 創世記41章45節• 出エジプト記4章6-8節• エミール・マール『ロマネスクの図像学 上』田中仁彦・池田健二・磯見辰典・成瀬駒男・細田直孝共訳、、1996年11月20日初版、ISBN:4-336-03891-0、p220-221• 尾形希和子『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』、2013年12月10日、ISBN:978-4-06-258568-2、p118~119• 『キリスト教神秘主義著作集2 ベルナール』訳、、2005年12月16日、p62• 関根正雄『旧約聖書 出エジプト記』株式会社岩波書店、1969年。 「ユダヤ古代誌1(旧約時代篇[I][II][III][IV]巻)」、株式会社筑摩書房、1999年、。 著、、『モーセと一神教』、ちくま学芸文庫、2003年9月、• 浅野典夫『ものがたり宗教史』、2009年8月。 『書き換えられた聖書 新しいモーセ像を求めて』京都大学学術出版会、2010年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 アラビア語で預言者モーゼという意味の地名であり、同名のムスリムによる祭祀と巡礼の名前。 聖金曜日の前の金曜日から1週間に渡って執り行われる。 モーゼとイエスとムハンマドがここに葬られたという伝承がある。 現西エルサレム。 :モーセを由来とする人名(英語圏、ラテン語圏)• :モーセを由来とする人名(ヘブライ語圏、ユダヤ系)• :モーセを由来とする人名(アラブ圏、イスラム圏).

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