動物1頭の値段が約1億円…。 恐ろしい金額だね… 当時、国から予算も支給されていたのだが、この価格は 予算の7倍もあり、到底手の届く金額でなかった。 しかし、どうしてもジラフを手に入れたい園長は、 仰天の行動をとってしまう。 国に 中国の神獣である「麒麟(きりん)」が手に入ったとウソをつき、 強引に説得して買ってしまったのである。 ウソをついてお金をだまし取ったのだから、これはクビになっても仕方あるまい。 ちなみに麒麟とは 中国神話上の霊獣で、龍の頭と牛の尾っぽ、馬の蹄をもつとされている。 キリンビールのラベルにも記載されている空想上の生き物である。 そして ウソがばれて、クビになってしまったのだ。 すぐバレるウソをついてなんになるのかと思ってしまうが、それほどジラフが欲しかったのだろう。 ちなみにこの園長、キリンだけでなく ゾウとかライオンも買い付けている、やり手である。 いわれてみれば納得の理由だな。 今もリアルな状態で残されていて、蹄やしっぽの毛も当時のままだ。 剥製が作られたのは明治時代であるので、ひびが見受けられたり葉っぱが出ているなど 技術にあらが目立つが、そういったところも含めて リアルだといえる。 キリンの姿を見て楽しむというより、 昔の技術を後世に伝えるために残されているという意味合いが強いのだ。 興味を持った方は、ぜひ国立科学博物館に足を運んでみてはいかがだろうか。
次のこの記事の目次• 日本に初めてやってきたキリンとは? 日本に初めてキリンがやってきたのは明治40年のこと。 ゾウ(アジアゾウ)が初めて日本に来たのが戦国時代であることと比べると、かなり最近のことなのです。 アジアゾウは古くから日本とも交流がある東南アジアにも住んでいますが、キリンの生息地であるアフリカと日本が直接交流をする機会はずっとなかったので当然ですね。 1882年=明治16年、 恩賜上野動物園(おんしうえのどうぶつえん)が開園しました。 当時動物園とは、ヨーロッパ列強が国力を示すために、アジアやアフリカから珍しい動物を集めて展示するという意味合いが強く、 そうしたヨーロッパの動物園をお手本に、日本でも同じように動物を集めていました。 明治39年、上野動物園の監督(園長)であった石川千代松に ドイツの動物商人カール・ハーゲンベックから、ジラフ(giraffe)を日本に贈ることが可能である、という情報がもたらされます。 このとき、ハーゲンベックが提示したキリン1頭の価格は、1万7000マルクでした。 これは、ハーゲンベック資料館のクラウス氏によると、「当時の相場からするとかなり高い値段」だということで 日本は動物商にふっかけられたわけです。 しかし、上野動物園はこの金額を払って、ジラフを購入することにします。 後に、これが理由で、石川園長はクビになってしまいます。 2020年3月24日追記 明の時代、中国で、アフリカから持ち帰ったgiraffを、伝説の 瑞獣 ずいじゅう、麒麟とした、という例にならった、という記録があるそうです。 英名のままジラフと呼ぶ意見もあったそうですが、中国の明の時代に鄭和(ていわ)の船団がアフリカからキリンを持ち帰り、「麒麟(きりん)」として永楽帝(えいらくてい)に献上したという記録があったので、以後日本ではこの背の高い動物を「キリン」と呼ぶことになったのです。 — 上野動物園[公式] UenoZooGardens 予算のために、ムリにこじつけた、とばかりは言えないのかも? 初めて日本に来たキリンはどうなった? 中国の霊獣、キリンの来日は新聞によって報じられました。 明治40年3月、船で運ばれてきたキリンが横浜港に到着し、汽車で東京まで運ばれることになっていましたが、 首が長すぎたため、巨大な 大八車で運ばれることになりました。 上野動物園に到着後も、ラクダ小屋の天井を外して柱を継ぎ足してキリン小屋にする、ということが起こりました。 ちなみに、現在では、海外からは飛行機、国内ではトラックで運びますが、トンネルをとおることができないので、基本的に、国内の動物園同士のキリンの移動は3才より下の子どものころに行われます。 もちろん、今は野生個体を捕まえてくるようなことはなく、海外から、というのは海外の動物園で生まれた子ども、という意味です。 そして、明治40年4月、 上野動物園にてキリンが公開されると大きな人気を呼び、 来園者は100万人を突破して公開1年で購入資金を回収することができたそうです。 しかし、 当のキリンは、1年を過ぎたころに死んでしまいました・・・ そりゃあ、どれくらい大きな動物かを知らなかったくらいですから、生態や餌、寒さに弱いことなど知らないことだらけで適切な飼育はできなかったのだと思います。 現在、動物園にいるキリンの寿命はおおよそ20年くらい、とされています。 ただ、大型草食動物全般に言えるのですが、足を痛めたりして立てなくなると、体重によって虚血性障害を起こすため、若くて死亡する例もそこそこあります。 キリンの首の骨の数は? 長いキリンの首には、いったいいくつ骨があるのでしょうか? オスキリンが、首をぶつけ合って戦っている様子を見ると、ヘビのようにたくさん骨があるのかな?と思いますが、 「初耳学」では、高田万由子さんが、 giraffeがキリンになった理由とは?「林先生が驚く初耳学」 まとめ 「キリン」という和名の由来については、 2016年5月13日放送「歴史秘話ヒストリア」(NHKEテレ)で放送されたばかりだったので、林先生は知っているのではないかと思いましたが、キリンの名前の由来は初耳だったよう。 一方、首の骨の数が人間と同じ、とされている(最近はもう1つ多い、という説が有力だそうですが)ことは知っていたそうです。 また、この記事では、「とにかく珍しい動物を集める」という理由で連れてこられたキリンが、来日後1年で死んでしまった、という残念なエピソードをご紹介していますが、 これは 100年前の話であり、現在の動物園は、そのような飼育展示をしているのではありません。 現在、キリンは9つの亜種のうち2種が絶滅危惧種に指定されています。 現在の動物園は、こうした希少動物の種の保全の役割をもっていますし、各園、担当者の方たちが飼育環境や技術の向上に努力されています。
次の動物1頭の値段が約1億円…。 恐ろしい金額だね… 当時、国から予算も支給されていたのだが、この価格は 予算の7倍もあり、到底手の届く金額でなかった。 しかし、どうしてもジラフを手に入れたい園長は、 仰天の行動をとってしまう。 国に 中国の神獣である「麒麟(きりん)」が手に入ったとウソをつき、 強引に説得して買ってしまったのである。 ウソをついてお金をだまし取ったのだから、これはクビになっても仕方あるまい。 ちなみに麒麟とは 中国神話上の霊獣で、龍の頭と牛の尾っぽ、馬の蹄をもつとされている。 キリンビールのラベルにも記載されている空想上の生き物である。 そして ウソがばれて、クビになってしまったのだ。 すぐバレるウソをついてなんになるのかと思ってしまうが、それほどジラフが欲しかったのだろう。 ちなみにこの園長、キリンだけでなく ゾウとかライオンも買い付けている、やり手である。 いわれてみれば納得の理由だな。 今もリアルな状態で残されていて、蹄やしっぽの毛も当時のままだ。 剥製が作られたのは明治時代であるので、ひびが見受けられたり葉っぱが出ているなど 技術にあらが目立つが、そういったところも含めて リアルだといえる。 キリンの姿を見て楽しむというより、 昔の技術を後世に伝えるために残されているという意味合いが強いのだ。 興味を持った方は、ぜひ国立科学博物館に足を運んでみてはいかがだろうか。
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