みだれ 髪 作者。 【恋の短歌30選】有名な恋の短歌(和歌)一覧 名作短歌の作者・意味とは?

みだれ髪 (美空ひばりの曲)

みだれ 髪 作者

保守的な時代に大胆な恋を歌い上げた、与謝野晶子『みだれ髪』 さて、古典文学を通して恋愛への憧れを抱くようになった晶子は、21歳の時に和歌の師匠・与謝野鉄幹と出会い、恋に落ちます。 鉄幹には既に妻があり、更に晶子と同じ女流歌人で彼に思いを寄せる恋敵もいました。 しかし晶子は、自分の気持ちを諦めませんでした。 彼女は鉄幹に思いを届ける大胆な「恋歌」を、彼の主宰する文芸誌 『明星』に投稿し続け、挙句の果てに大阪の実家を飛び出して彼と結婚。 その時に鉄幹が晶子に勧めたのが、晶子が彼に送った激しい恋の歌をまとめた歌集 『みだれ髪』の出版でした。 画像出典:Wikipedia/みだれ髪 やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君 くろ髪の 千すじの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもいみだるる 人の子の 恋をもとむる 唇に 毒ある蜜を われぬらむ願い このような晶子の大胆で激しく赤裸々な恋の歌の数々は、当時の若者たちの絶大な人気を得ました。 しかし同時に、保守的な評論家たちからは「女性が堂々と恋愛を歌うなんてけしからん!」と激しい批判も浴びました。 『みだれ髪』は、与謝野晶子が亡くなった後も彼女の代表作として生き続けました。 自分の作品が炎上したり、批判を浴びたりすることは、決して嬉しいことではありません。 しかし炎上するほどインパクトを与える作品には、批判する人と同じかそれ以上の数のファンがつくのは、今も昔も変わらないようですね。

次の

【恋の短歌30選】有名な恋の短歌(和歌)一覧 名作短歌の作者・意味とは?

みだれ 髪 作者

内容 [編集 ] 全399首 タテ192mm ヨコ84mm 三色刷 本文136頁 「この書の体裁は悉く藤島武二の衣装に成れり表紙みだれ髪の輪郭は恋愛のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」の文を第3頁に載せている。 次の6章からなる。 第1章「臙脂紫」98首• 第2章「蓮の花船」76首• 第3章「白百合」36首• 第4章「はたち妻」87首• 第5章「舞姫」22首• 第6章「春思」80首 概論 [編集 ] 晶子が雑誌「」などに投稿した作品を、の編集で作られた。 発表当時は晶子は鳳姓で、初版本も「鳳晶子」名義である。 『みだれ髪』発刊直後の1901年(明治34年)、晶子は鉄幹と結婚。 与謝野姓を名乗った。 『みだれ髪』の歌の殆どは、鉄幹への強い恋慕の感情が見られる。 「明星」の編集を行っていた鉄幹は晶子の才能を認め、投稿を勧めていた。 晶子も鉄幹の作品に強く引かれる物を感じていた。 (明治33年)8月、に来た鉄幹は晶子と出会い、意気投合。 既に結婚し子までなした鉄幹だが、晶子の為、妻と離婚している。 今と違って「家」の意識が強い時代である。 当然非難中傷が2人に振りかかる。 「文壇照魔鏡」なる匿名のゴシップ記事が出まわり裁判沙汰となる。 晶子は周囲の冷淡な目を振り払うかのように彼を想う歌を作り、ついに堺の家を飛び出して鉄幹のもとへ走る。 鉄幹も晶子への想いを受けとめ、歌集『みだれ髪』としてまとめあげたのであった。 中には広く知られる歌も多く 「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」 「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」 「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」 「むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子」 「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」 「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願い」 などがある。 上の幾つかの歌からでも判るように、あまりにもストレートな恋愛表現は慎ましやかな女性を善しとする当時の道徳観から見て到底受け入れられないものであった。 はたして『みだれ髪』は、 「此一書は既に猥行醜態を記したる所多し人心に害あり世教に毒あるものと判定するに憚からざるなり。 」(「歌の華」明治34年9月号) の評のように徹底的に非難された。 だが、は純粋に芸術面から高く評価し 「耳を欹しむる歌集なり。 詩に近づきし人の作なり。 情熱ある詩人の著なり。 唯容態のすこしほのみゆるを憾とし、沈静の欠けたるを瑕となせど、詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。 其調の奇峭と其想の奔放に惘れて、漫に罵倒する者文芸の友にあらず。 」 [ 要出典](「明星」明治34年10月号) と保守的な論陣を非難、新しい文学の誕生であると評価した。 こうした騒ぎは大阪の無名の女性歌人を一躍文壇に押し上げ若い読者を魅了し、鉄幹と晶子のゴシップで購買数が落ち込んだ「明星」は逆に売れ出したという。 その他 [編集 ] 2006年にが学生を対象に募集した「みんなで作ろう国語辞典! 」というキャンペーンの応募作に、本作と作者を由来とした髪が乱れることを意味する「与謝野る」というものがあり、応募した東京都の中学3年生の女子(当時)が審査員特別賞を受賞している。 その4年後の2010年4月6日の「」で上記の意味を取り上げ、当時の離党を検討していた「みだれ髪」の作者の孫である与謝野馨衆議院議員の行動に対し、仲間から抜けるという第2の意味が加わるかも知れないと揶揄した。 しかし、上記の意味も当時多少取り上げられた程度で、すぐに廃れた死語に近いものであり、2007年の「」もあって、ネット上では「第2のアサヒるではないか? 」との指摘がなされた。 脚注 [編集 ] [].

次の

待賢門院堀河 千人万首

みだれ 髪 作者

日本中世稚児愛物語 稚児物語は、美少年たる稚児と僧侶の恋愛を描いたものだが、中世には継子いじめの物語などと並んで、人気を博した物語の一ジャンルであった。 そういうお話はまったくのフィクションだったかというと、そうではまったくなくて、稚児への想いをつづった僧侶の歌が、勅撰集の「恋」の部立てに入首していたりもする。 たとえば後白河院に命により藤原俊成によって選られた『千載和歌集』(1187)の「恋歌」672番歌には、仁昭法師の次の歌がある。 横川の麓なる山寺にこもりける時、いとよろしき童のはべりければよみてつかはし ける 世をいとふはしと思ひし通い路にあやなく人を恋ひわたるかな 比叡山の寺にこもっていたときに「いとよろしき童」に出逢っているのだから、ここに女がいるはずもなく、お相手の童は男子なのであり、この世を厭い捨てるきっかけとなるはずの比叡山の通い路たる橋で出逢った人をどういうわけだか恋しいと思い続けているよ、というのである。 法師がどうどうと稚児へのつきせぬ想いをうたって、それが勅撰和歌集に恋の歌として載るのである。 男同士の恋愛を「男色(なんしょく)」と取り立てるように言うけれども、男女の恋歌と同じように和歌集に載っているわけで、法師と稚児との恋愛はそのように単なる日常であって、驚くべきことでもなんでもなかった。 中世の人々はプラトニックラブなどのような観念も自制心も持ち合わせてはいないので、この場合の「恋」が性的関係を含むのはいうまでもない。 白河天皇の命により、藤原通俊を撰者として編まれた『後拾遺和歌集』(1086)には、良暹法師の、恋人と一夜を過ごしたあとのちょっとどきっとするような歌がある。 朝寝髪みだれて恋ぞしどろなる逢ふよしもがな元結にせん (寝起きの髪が乱れて恋心もしどろに乱れている 逢う方法はないかしらと思いつつ元結を結おう) 髪の乱れを整えながら、千々に乱れた心も整えようといううたである。 ふつう乱れ髪といえば、女の長い黒髪が共寝のあとに乱れるのをいう歌が多く、たとえば同じ『後拾遺和歌集』には和泉式部の次の歌が載る。 黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき (黒髪が乱れるのにもかまわず臥せっていると、この髪をかきやった人がまずは恋しく思い出される) 稚児は、剃髪しておらず髷に結い上げることもせずに、長くのばした髪を一つに結んでいたから、髪が寝乱れてしまうことはよくあっただろう。 「秋の夜の長物語」にも、僧と一夜を過ごしたあとの稚児の描写に「寝乱れ髪のはらはらとかかりたるはづれより、眉の匂ひほけやかに……」などとある。 とすると、先の「逢うよしもがな」の良暹法師の歌は、稚児との共寝の朝を詠んでいるものということになる。 こんなふうに僧侶が美しい稚児を見かけて恋に堕ちるのが現実社会にありふれたことだったとすると、ただ恋愛するだけでは物語にはならない。 とくに、稚児物語は、酒呑童子だとか浦島太郎などの物語と並んで御伽草子の一部に入っていたりもするのだから、長編物語の『源氏物語』みたいに、ゆったりと何事もない日々を描写しているひまはない。 短編のなかでなにか趣向をこらさねばならないという物語的制約がある。 かくいうわけで、稚児物語は悲恋ものが多くなり、いわゆる泣けるお話が稚児物語の王道となっているのである。 たとえば『千載和歌集』596番歌には、こんな悲恋を詠んだ歌がある。 奈良に侍従と申しはべりける童の、泉川にて身を投げてはべりければよめる 僧都範玄 何事のふかき思ひに泉川そこの玉藻としづみはてけむ 奈良に侍従と呼ばれた稚児がいたが泉川に身を投げたという。 それを憂えて、どんな深い想いがあって泉川の底の玉藻となって沈み果ててしまったのか、と詠んだ歌である。 この歌は稚児物語の「弁の草子」にも引用されており男色悲恋ものの妄想力を支える一首であったらしい。 ところで、男女の恋愛の場合、たとえば『源氏物語』の光源氏と空蝉の場合のように、男が女を落とすまでの恋のかけひきが物語的主題となることがあるが、稚児物語の場合は、僧侶が美しすぎる稚児に一目惚れして歌を送ると、わりとすんなりと稚児がその気になり、さっさと相思相愛になってしまうのが定石である。 しかし男色物語が、恋の行方を読みどころにしないとなると、物語を面白くするためには、かなり大がかりなしかけが必要となってくる。 というわけで、「秋の夜の長物語」では敵同士の恋、「鳥部山物語」は京と関東、武蔵国との遠距離恋愛など様々に趣向をこらす。 「松帆の浦」は三角関係のもつれもので、相思相愛だった稚児と法師の間に、太政大臣の子で左大将という政界の大物が横恋慕してきて、法師を淡路の国へ島流しするが、稚児はけなげにも淡路をめざし、法師の死を知るという展開である。 「花みつ」は継母にいびられて自害するという継子いじめもの。 変わっているのは腹違いの弟を殺してくれと法師に頼んで、実は弟に変装して自分を殺させるという芝居じみた展開が用意されているところである。 「あしびき」は、比叡山と奈良の遠距離に、継子いじめが加わって、継母が稚児を殺そうと武士に頼んだことで合戦にまで至るなどの、これまでの男色ものの全部盛りの様相を呈するが、別れ別れになっていた法師と稚児が後年再会し、二人して大往生するというめずらしくハッピーエンドを迎える物語である。 「幻夢物語」は遠距離かつ怪談かつ仇討ちもの。 京の僧侶が日光の稚児と睦みあう。 僧侶は稚児を忘れられず、日光へ戻った稚児を訪ねて日光へ行く。 宿をとったお堂に稚児がやってきて、再会。 笛を託される。 しかし翌日、この稚児は父親の仇を討ったものの、その仇の息子に殺されてしまったことを知る。 京に戻ったのち、この僧侶は、美しい稚児を殺してしまったことを悔いて出家した青年と出逢うという筋書き。 といった具合に、似たり寄ったりになりがちな恋愛話をいかにバラエティに富んだ筋書きでみせるかというのが稚児物語の腕の見せ所であったようである。 ちなみに、稚児というのは「子ども」ではない。 「ちご」ということばにはたしかに「子ども」という意味があるが、この男色物語に出てくる稚児は寺院で奉仕する成人男子である。 この時代の成人は12歳だが、花形は16歳であったようで、稚児物語の主人公はおおかた16歳となっている。 宮廷社会であれば、女房がするような役回りを寺院では稚児が行っているのである。 したがって、女房と同じく、歌を詠むのがうまく、楽器を上手に演奏し、宴席には酌をして楽しませもするのである。 Page 1 of 6• 次回は2月24日(金)更新です。 2017年1月27日更新.

次の