東京 フィルハーモニー 交響楽 団。 東京フィルハーモニー交響楽団チケット一覧│チケット流通センター

指揮者|東京フィルハーモニー交響楽団 Tokyo Philharmonic Orchestra 公式サイト

東京 フィルハーモニー 交響楽 団

財団概要 名称 公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団 所在地 〒163-1408 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー8F Tel:03-5353-9521 Fax:03-5353-9523 役員 理事長• 三木谷 浩史 副理事長• 黒柳 徹子 専務理事• 石丸 恭一 常務理事• 工藤 真実 理事• 浮舟 邦彦• 大賀 昭雄• 大塚 雄二郎• 小山田 隆• 篠澤 恭助• 田沼 千秋• 寺田 琢• 遠山 敦子• 野本 弘文• 韓 昌祐• 平井 康文• 宮内 義彦 監事• 岩崎 守康• 山野 政彦 評議員• 伊東 信一郎• 海老澤 敏• 佐治 信忠• 鈴木 勲• 鈴木 啓介• 瀬谷 博道• 日枝 久• 南 直哉 事業運営 公益財団法人 東京フィルハーモニー交響楽団は「国と特に密接な関係がある」公益法人に該当いたしません。 平成30年度• 平成29年度• 平成28年度• 平成27年度• 平成26年度• 平成25年度• 平成24年度• 平成23年度• 平成22年度• 平成21年度•

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東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会や歴史、収入(年収)や主要メンバー(楽団員)についてご紹介

東京 フィルハーモニー 交響楽 団

「一緒に音楽をやろう!」1972年、指揮者・小澤征爾のもと楽員による自主運営のオーケストラとして創立。 97年、墨田区に移転。 同年オープンのすみだトリフォニーホールを活動の本拠地とし、日常の練習と公演を行うという日本初の本格的フランチャイズを導入。 その後開催されたロストロポーヴィチによる「ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル」や井上道義指揮の「マーラー・ツィクルス~交響曲全曲演奏会~」などで高い評価を得る。 定期演奏会、特別演奏会のほか、地元の学校体育館や小中学校の音楽授業、各種施設を訪れるなど、地域に根ざした演奏活動も精力的に行っているのが特徴的。 99年、小澤征爾が桂冠名誉指揮者に就任。 2003年から13年までクリスティアン・アルミンクが音楽監督を務め、06年『火刑台上のジャンヌ・ダルク』で第3回三菱信託音楽賞奨励賞、09年『七つの封印を有する書』で第18回三菱UFJ信託音楽賞受賞(以上アルミンク指揮)。 またハイドン没後200年にあたる同09年の2月、フランス・ブリュッヘン・プロデュースによる『ハイドン・プロジェクト』を開催、絶賛を博し第22回ミュージック・ペンクラブ音楽賞を受賞。 11年2月には続編となる『ベートーヴェン・プロジェクト』で再び高い評価を獲得した。 また、11年と12年に中国ツアー、14年には韓国ツアーを行い現地で高い評価を得る。 それに先立ち15年4月からはアーティスティック・アドヴァイザーを務めた。 上岡敏之音楽監督との録音は、就任前の『マーラー:交響曲第1番「巨人」』、音楽監督就任公演である『R. シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」/交響詩「英雄の生涯」』が、オクタヴィアよりリリースされている。 このほか、04年夏からは音楽家・久石譲と新プロジェクト「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」を立ち上げたほか、楽員の自主的な発案「室内楽シリーズ」を始めいずれも高い評価と人気を得ている。 また、久石譲とのコラボレーションとして映画『千と千尋の神隠し』(02年公開)『ハウルの動く城』(04年公開)、『崖の上のポニョ』(08年公開)の管弦楽を担当した。 後に、ロータリー国際奨学生としてハンブルク音楽大学に留学し、クラウスペーター・ザイベルに指揮を師事。 キール市立劇場ソロ・コレペティトール及びカペルマイスターとして歌劇場でのキャリアを開始。 ヘッセン州立歌劇場音楽総監督、北西ドイツ・フィル首席指揮者、ザールランド州立歌劇場音楽総監督、ヴッパータール市立歌劇場インテンダント兼音楽総監督等を歴任。 手兵ヴッパータール響とは二度の日本ツアーも大成功させた。 2016年9月より新日本フィルの第4代音楽監督に就任。 また、コペンハーゲン・フィル首席指揮者、ザールブリュッケン音楽大学指揮科正教授も務める。 2007年第15回渡邉暁雄音楽基金 音楽賞・特別賞、2014年第13回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞。 就任以来、新日本フィルとのCDをオクタヴィア・レコードより継続的にリリース。 2018年8月、5枚目となる最新盤「チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』ほか」をリリースし、好評を博している。 1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。 幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。 1959年秋、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。 当時ボストン響の音楽監督であり同コンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッドに招かれ、クーセヴィツキー賞を獲得。 カラヤン、バーンスタインに師事した後、シカゴ響のラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント響、サンフランシスコ響の音楽監督を歴任し、1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任(タングルウッド音楽祭芸術監督は1970年より)、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたってその任を務め、世界最高のオーケストラの一つとの評価を確立した。 さらに2002年秋から2010年春までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。 ヨーロッパでの評価と人気は絶大なものがあり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ・オペラ座など世界的オーケストラ・歌劇場で定期的に出演。 中国とは1978年に中国政府の公式招待による訪中以来、度々意義深い音楽・文化交流を果たしている。 日本においては、1972年に齋藤秀雄、山本直純、旧・日本フィルを脱退した楽団員らとともに新日本フィルハーモニー交響楽団を創設、数多くの名演を残したほか故・ロストロポーヴィチやポリーニ、アルゲリッチ、ノーマンといった世界的アーティスト達との出会いをつくった。 1985年から始めたコンサート・オペラ形式での上演は現音楽監督アルミンク指揮によるコンサート・オペラの原型となっている。 また1990年から定期的な本格オペラ公演<小澤オペラ・シリ-ズ>を全10回開催。 また1998年長野五輪のために世界の国歌を録音した(PHCP-11033)。 海外公演では香港公演(1973)、ニューヨーク国連本部での「国連デー」の演奏と続くアメリカ・欧州公演(1974)、欧州公演(1985)、故ロストロポーヴィチとの日露親善・ロシア公演(1998)、日中友好30周年記念・中国公演(2002)を実現。 1999年より同桂冠名誉指揮者に就任、以後も定期的に共演を続けている。 1990年に設立された水戸室内管弦楽団の活動に参加、2013年4月より水戸芸術館館長兼 同管弦楽団総監督を務める。 また、2000年からは若い音楽家の教育を目的に、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトを開始。 主な受賞歴として2007年ウィーン国立歌劇場名誉会員への選出、2008年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章オフィシエの授与、フランス芸術アカデミー外国人会員(正会員)への選出、日本での文化勲章受章など。 2011年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。 国立音楽大学在学中よりミニマルミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として出発。 1984年の映画「風の谷のナウシカ」以降、「となりのトトロ」など宮崎駿監督の9作品の音楽を担当するほか、北野武監督「HANA-BI」、滝田洋二郎監督「おくりびと」、李日相監督「悪人」など数々の日本映画音楽を手掛けた。 2001年には自らも映画監督としてデビューを果たした「Quartet カルテット」を製作。 音楽・共同脚本をも手掛けた本作品は、日本初の本格的な音楽映画として、モントリオール映画祭のワールドシネマ部門正式招待作品に選ばれた。 ピアノソロや室内楽、オーケストラなど演奏活動も国内外問わず精力的に行っており、2004年にはカンヌ国際映画祭オープニングセレモニーでバスター・キートンの無声映画「The General」のフィルムコンサートを行った。 同年7月、新日本フィルハーモニー交響楽団と「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」(W. )を結成し、初代音楽監督に就任。 2008年8月、「久石譲in武道館-宮崎アニメと共に歩んだ25年間-」では管弦楽と混声合唱・児童合唱、吹奏楽、マーチングバンドを含む総勢1200名の大規模編成を指揮・ピアノ共演し大いなる成功に導いた。 2010年アジア・オーケストラツアーでは10都市16公演を敢行。 1981年「MKWAJU」から2010年「Melodyphony」まで多数のソロアルバムをリリース、作曲だけでなく指揮・演奏・プロデュースをも手掛け、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立する。 2009年から指揮者としても本格的な活動を開始。 「久石譲クラシックス・シリーズ」では、積極的にクラシック音楽を取り上げ、ライヴ盤「JOE HISAISHI CLASSICS」としてアルバム化。 近年、本名の「藤澤守」名義による新作も発表するなど、その活動は留まることを知らない。 国内ではこれまでに数度にわたる日本アカデミー賞最優秀音楽賞をはじめ数々の賞を受賞。 海外でも音楽監督を務めた韓国映画「トンマッコルヘようこそ」や中国映画「おばさんのポストモダン生活」で各国の最優秀音楽賞を受賞。 2009年紫綬褒章を受賞。 今月の公演.

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指導者のプロフィール

東京 フィルハーモニー 交響楽 団

本拠地の1つである 公益財団法人NHK交響楽団 団体種類 設立 2010年4月1日 所在地 二丁目16番49号 : 起源 新交響楽団(任意団体)(大正15年10月5日-1942年4月26日) 財団法人日本交響楽団(1942年4月27日-1951年7月31日) 財団法人NHK交響楽団に改称(1951年8月1日-2010年3月31日) 主要人物 根本佳則(代表理事理事長) 活動地域 日本全国及び海外 主眼 交響管弦楽により、わが国音楽芸術の向上発展を図り、その社会文化使命を達成すること 29億3,889万6,411円(経常収益・2016年3月期) 基本財産 30,000,000円(2016年3月31日現在) 従業員数 133名(楽員 104名/事務職員 22名/嘱託職員 7名)(2016年3月31日現在) 会員数 定期会員8,470人(年間会員およびシーズン会員合計) 賛助会員 192社288口 公益財団法人NHK交響楽団(エヌエイチケイこうきょうがくだん、: NHK Symphony Orchestra, Tokyo)は、にあるの一つ。 通称「 N響(エヌきょう)」。 所在地は二丁目16番49号。 正会員。 「新交響楽団」が源流 である。 オーケストラの運営 [ ] (2010 平成22 年4月1日より)であり、(NHK)からの出向者が歴代の理事長を務めている。 2016年4月26日現在の理事長は森茂雄。 NHKから受信料を財源に14億円(2013 平成25 年度)の(国内放送費に計上)を受け、楽団側は演奏の放送などで事業に協力している。 その他に民間各社からも支援を受けている。 この助成金は、旧、9条2項1号(1988 昭和63 年改正前)「放送番組編集上必要な劇団、音楽団を維持し、養成し、又は助成すること」を根拠に支出されている。 この考え方は、現放送法20条(業務)2項6号「前項の業務に附帯する業務を行うこと」に引き継がれている。 NHKは別途、など放送用専属を主要放送局ごとに持っており、などのやでNHK交響楽団が演奏することはない。 コンサート [ ] 定期公演 [ ] 月に3つのプログラムが2公演ずつ、6公演開催される。 現在、NHK交響楽団ではこの2公演ずつを「1回」として定期公演の回数に入れている。 Aプログラム・18時〜 15時〜/会場:• Bプログラム・19時〜 19時〜/会場:• Cプログラム・19時〜 土曜15時〜/会場:NHKホール 、、は定期公演が開催されないため、年間27回・54公演が定期公演として開催されている。 Bプログラムは音響の良いサントリーホールで開催されるため人気がある。 そのため、定期会員券も年間会員に限られ、また、座席数もNHKホールに比べて格段に少ないこともあり、1回券として発売される枚数も少ない。 主催公演 [ ]• 「」演奏会 - 末、4公演ほどNHKホールにて開催される。 Music Tomorrow - 作品や委嘱作品と受賞作品でプログラムが組まれる。 N響「夏」 - 7月、ポピュラーなでプログラムが組まれ、NHKホールで開催される。 その他の公演 [ ]• 定期 - オーチャードホール主催(年5回)• - 、主催(年1回)• 定期公演 - 主催(年1回)• 定期公演 - 主催(年1回)• 定期公演 - 主催(年1回)• 定期公演 - 主催(年1回)• (協賛企業)の招聘で地元住民対象のプライヴェートコンサートが希望の丘ハーモニーホールで開催される(一般非公開)。 この他、国内各地で年間のべ100回以上のコンサートや海外公演をしている。 演奏は海外にも配信される。 CD録音は「公共放送のオーケストラ」という性格上あまり積極的ではなかったが、近年はライヴ録音を中心にリリースも目立ってきている。 販売は、スタジオ録音は各レコード会社が発行・発売、ライヴ録音はNHKサービスセンター発行・各レコード会社が発売するという形態をとっている。 定年退職した団員を中心に構成されたもあり、演奏活動を行っている。 演奏 [ ] 伝統的に・系音楽を主なレパートリーとし、歴代の名誉指揮者もほとんどがドイツ圏の出身者か地盤とする指揮者であったが、フランス語圏スイス生まれのを常任指揮者(のちに音楽監督)に迎える大転換の後は、色彩感の豊かな柔軟な音色を持つようになった。 としての性格も有することから多様な作品の演奏を求められ、以外にも音楽やを演奏するなど、ジャンルは幅広い。 NHKのテーマ音楽を毎年演奏しているほか、アニメ『』の劇場版(『』)や、『』ののオーケストラ演奏も行い、多数の・アルバムをリリースしている。 特に版『』では、ゲーム中のほぼ全ての楽曲においてNHK交響楽団の演奏によるものが採用されている。 また、の番組『ちょいむず』において「アルゴリズムたいそう」を演奏し、団員による体操も披露された。 アナログ時代のクロージング「」(長尺枠最後)も演奏していた。 3月:が 日本交響楽協会( 協会)を設立。 メンバーはの楽士、の管弦楽部員などを中心とするものであった。 〜5月:協会と在住のロシア人楽士を中心にした「日露交歓交響管弦楽大演奏会」をなどで開催。 :協会第1回予約演奏会。 曲目はの他。 1926年:近衛秀麿以下中心メンバーが協会を離脱、に 新交響楽団( 新響)の結団式。 1926年:新響第1回研究発表演奏会。 1926年:ラジオ放送初出演。 以後約10年は、基本的に「定期公演が近衛、放送出演が(後)」という役割分担がなされるようになる。 : 1:定期公演開始。 曲目はの「」序曲、の「」から舞踊音楽、の「、の「2つの悲しい旋律」。 によるのため、1ヶ月繰り下げての開催。 グリーグは大正天皇追悼の意を込めて演奏。 : 36:の日本初演。 : 55:マーラーの日本初演。 :マーラーの交響曲第4番を世界初録音。 1930年: 76:来演。 1935年5月24日の 156にも出演。 : 92:来演。 1931年7月:コロナ事件。 待遇改善を訴えた楽員17名に対し、近衛・新響が技術の未熟を理由に17名を解雇。 解雇された楽員は、が「コロナ・オーケストラ」として契約。 「コロナ」は、世話人のが当時使っていたの名前であった。 後に「」と改称。 : 113:定期公演の会場が、この回よりからに変更。 : 144:来演。 : 153:来演。 1935年:新響改組。 新響を組合組織に改組したい楽員と、現状維持を考えていた近衛が対立。 結局、近衛とマネージャーが新響を追われるように退団する事となった。 1935年:野外音楽堂で、指揮者なしで改組記念演奏会を開く。 1935年:帰朝演奏会。 以後、貴志は翌1936年4月までに定期出演やとの共演を重ねたが、早世した。 :歓迎演奏会。 新響は近衛の後任を全世界から捜し求め、の影響で立場が宙に浮いていたローゼンストックを新常任指揮者として迎えた。 この時、候補の中には、パウル・ブライザッハらの名もあった。 〜:夫妻来演。 の職を辞してフリーな立場になっていたワインガルトナーは日墺協会との招きで来日。 「新響は今日までに幾多のヨーロッパの交響楽団と立派に競いえるほどの技量を持っている」との感想と、弦セクションの強化・楽器の改善への苦言を残した。 1937年: 177:ローゼンストック、ヴァイオリニストのとの共演を拒否。 :初の海外()公演。 翌1940年6月に2度目の京城公演。 〜: 228〜 231:日本初の「モーツァルト・チクルス」。 曲目は後期三大交響曲(、、、「」全曲など。 : 232:ローゼンストック、リハーサル中に恥をかかされ、以後の演奏会を「病気」と称して休演。 の「」を日本初演する予定であったが、チェリストのロマン・デュクソンがクレームをつけ、恥をかかされたローゼンストックともども練習所を去り、曲目もシューベルトのに差し替えられた。 ローゼンストックのキャンセルで、、が定期公演にデビュー。 「ドン・キホーテ」も山田により、の 236で日本初演された。 1942年:財団法人 日本交響楽団( 日響)と改称。 内閣情報局を主務官庁、新響と日本放送協会を設立者とした。 初代事務長としてN響の歴史を語る際に欠かせない一人、が着任した。 改称後は、日本人作品を毎度の定期公演に必ず1曲入れたり、日本人指揮者の盛り立てなども推進した。 日本のオーケストラの歴史上、日本人のオーケストラ作品が最も多く演奏された時期でもあった。 : 253:ローゼンストック、この日をもって指揮台からしばらく姿を消す。 ユダヤ系ということで改称後も各方面からの攻撃の対象になっていたが、有馬の援護でなんとか凌いでいた。 しかし、この日の演奏を最後に活動を中止。 以後、終戦まで強制疎開地のでの事実上の軟禁生活を過ごす。 : 267:戦前・戦中期最後の定期公演(ベートーヴェンの)。 1944年10月から続いていた「ベートーヴェン・チクルス」の最終日。 夏休み中に終戦を迎えた。 戦後 [ ]• : 268:戦後最初の定期公演(指揮・尾高尚忠。 ベートーヴェン「英雄」他)• : 283:、停電の闇の中でのを弾き続ける。 : 300:の日本初演。 : 304:の日本初演。 1949年: 312:マーラーの日本初演(指揮・山田一男/のちの一雄)。 当時のニュース映画を見ると、児童合唱をの2階席に置いての演奏だった。 :尾高尚忠、出血性灰白質脳炎により急逝。 1951年:NHKの支援を受けて NHK交響楽団( N響)と改称。 尾高の急逝の際、評論家のが「尾高を殺したのはNHKだ。 NHKが経済面のみならず、運営そのものに関わることが多忙の日響を救う唯一の道」というコメントをに残している。 実は「N響」を初めて名乗ったのは1949年7月20日の放送で、当時は放送番組でのみの名称だった。 1951年:常任指揮者着任。 有馬がで作り上げた人脈をフルに生かし、の指揮者だったヴェスを常任に迎えた。 海外志向のあおりで、山田ら日本人指揮者はしばらくの間、定期公演の指揮台から締め出されることになった。 次に日本人指揮者が定期公演の指揮台に立つのは、10年後のの 421である。 1951年:特別演奏会(指揮・近衛秀麿)。 :ウィーンから客員奏者を招く。 ヴァイオリン(コンサートマスター)のパウル・クリング、オーボエの、クラリネットのロルフ・アイヒラー、ハープのヨゼフ・モルナールである。 このうちの一人、ヨゼフ・モルナールは、山畑松江、桑島すみれ、早川りさこ、らを育てた日本のハープ教育の第一人者となる。 N響との契約終了後に一旦帰国したが、再度来日後は日本に定住して後進の指導に努め幾多の弟子を指導、現在では「日本ハープ界の父」と称されている。 またウィーン少年合唱団出身の声楽家(バリトン)でもある。 なお、シェフトラインは帰国後、首席の傍ら古楽器にも手を染め、の片腕として活動、アイヒラーは滞日中にクラリネット教則本を出版し、帰国後は管弦楽団で活動した。 : 347:ベートーヴェンの歌劇「」に、モルナールらが出演。 大賀は当時音楽学部在学中。 モルナールは前述のようにハーピストだったが、時々歌手としても活躍した(大賀もバス歌手だった)。 1953年: 350:来演。 12月の「第九」公演まで滞在。 招聘の候補としては、マルティノンの他に、さらに有馬の個人的願望としての名前もあったが、当時ロジンスキーもフルトヴェングラーも体調が思わしくない時期だったため、マルティノン招聘に至った。 :来演。 当時の日本ではカラヤンのLPが出回りつつあった時期だったが、知名度は低かったといわれる。 も参照。 1954年8月:常任指揮者着任。 ショスタコーヴィチのの演奏を拒否( 362)するなどのエピソードがあった。 :との合同演奏会。 シンフォニー・オブ・ジ・エアーはの後身である。 :自作演奏会。 の依頼で書かれ不採用となったを作曲者自身の指揮で日本初演。 1956年〜:第1回イタリア・オペラ公演• 日本のクラシック音楽史に残る公演。 NHKの放送事業30周年事業として行われた。 の第8回まで続き、出演歌手もそうそうたるメンバーであった。 いわゆるの初来日もこの公演であった。 主な出演歌手:、、、、、、、、、、、、• :常任指揮者着任。 門下で、で長年指揮した、決してスター性はないがウィーンの香りを身につけた職人気質の指揮者であった。 夫人ルティルデ・ベッシュは歌手で、しばしばN響の演奏会にも出演した。 のウィーンでの師でもある。 1957年:との合同演奏会。 :常任指揮者着任。 や当時を知る楽員曰く、「相当なやかまし屋だったローゼンストックの、何十倍も怖い先生」。 1957年にカラヤンが「N響との見合いのため」にベルリン・フィルに帯同させ来日。 その後N響を徹底的に鍛え上げた。 1959年:自作演奏会。 詳細は参照。 〜:NHK放送開始35周年記念「世界一周演奏旅行」。 岩城、らが率い、、当時16歳のが帯同。 中村は振り袖でピアノを弾かされることもあり、その際の着付け助手を岩城、外山が務めた。 ゲスト・ソリストに、、が参加した。 若手の楽員が多かったため、当時同じくヨーロッパ演奏旅行を目前にしていた近衛に「あんな若い者だらけでは」と嘆かせたが、N響の成功と裏腹に近衛の旅行は無残な結果となった。 エピソードも多く、でのの突然の来訪などもあった(これがきっかけで、後に「クレンペラーN響来演」という話まで出てきた)。 一方で、公演のうち1回が天候不順でキャンセル。 パリでのコンサートで当初出演予定のがドライブ中に腕を冷やしすぎてキャンセル。 さらに常任のシュヒターも、訪問先からの「日本人指揮者でないと客の入りが悪い」というクレームでとアメリカでの公演以外指揮する機会がなかった。 12月:いわゆる「」。 :の第2ヴァイオリン首席奏者ウィルヘルム・ヒューブナーがゲスト・コンサートマスターとして来日。 ウィーン・フィルに戻った後もヒューブナーは大の親日家として、勉強のためにウィーンに来た日本の音楽家の卵の面倒を見たという。 8月:常任制休止。 :、、が「」に就任。 :ウィーン・フィルのソロ・オーボエ奏者カール・マイヤーホーファーが客演奏者として来日。 :オットマール・スウィトナーが「名誉指揮者」に。 :ホルスト・シュタインが「名誉指揮者」に。 :創立50周年。 :ローゼンストック最後の出演。 :来演。 :設立。 :マタチッチ、ローゼンストック死去。 : 1000:サヴァリッシュ指揮、「」。 が「名誉指揮者」に。 :創立70周年。 、常任指揮者となり常任制復活、就任記念コンサートにてと共演。 :「音楽監督」ポストを創設。 デュトワが着任。 9月よりB定期をにて開催。 これによりドイツ音楽を中心としたレパートリーが一挙に広がり、また度々海外公演を行うようになり国際的知名度が増した。 またデッカ・レーベルによるレコーディングも行われるなど、正確だが演奏が面白くないと言われるN響が大きく変貌を遂げた。 :3月の定期公演を原則的に廃止。 12月、デュトワ指揮、高島勲演出、の歌劇「囚われびと」との「」を上演。 21世紀 [ ]• :創立75周年。 デュトワ指揮で「」、サヴァリッシュ指揮で「」を特別演奏会にて演奏。 :11月、指揮、との合同でのを演奏。 :3月、にて指揮、「」を演奏。 6月、デュトワは音楽監督を退任し、名誉音楽監督に。 1490:音楽監督として最後の演奏は「」(演奏会形式)。 :3月、新国立劇場にて準・メルクル指揮、ワーグナー「」を演奏。 9月、音楽監督に就任、A定期を土・日開催に変更。 10月、 1524:音楽監督就任記念定期において、アシュケナージが指揮棒を左手に刺し、後半の をの「弾き振り」で演奏するというハプニング。 :5月、公演を予定していたが、により中止。 10月、予定を変更してサヴァリッシュが定期公演に客演予定であったが、体調不良によりキャンセル。 :創立80周年。 6月、記念演奏会でアシュケナージがのの弾き振りをする予定であったが、指の不調により指揮のみとなる。 8月、創立以来初となるを「N響ほっとコンサート」にて演奏。 1576:創立80周年記念定期において、死去したに代わりとの2人が指揮。 :4〜6月、サントリーホール改修工事のためB定期を休止、その間公演を開催。 :4月1日をもって公益財団法人に移行。 :3月、5年ぶり7回目となる12日間の北米公演を行った。 指揮は。 2011年:4月10日、での被災者支援チャリティー・コンサートを開き、の指揮での交響曲第9番『合唱付き』を演奏。 :9月、日中国交正常化40周年を記念し、指揮のもと、、、の3都市で中国公演を行った。 :2月、ウォルフガング・サヴァリッシュ死去。 8月、シャルル・デュトワの指揮によりヨーロッパ公演を実施。 24日 () 、25日 、27日 () 、29日メラーノ音楽祭に初出演する。 ザルツブルク音楽祭委嘱作品である作曲『「ソプラノとオーケストラのための「嘆き」』を世界初演する。 :9月、が首席指揮者に就任。 :11月、( ANA の親会社)と海外公演に関する連携協定を締結。 指揮者 [ ] 常任指揮者・名誉指揮者・正指揮者・音楽監督他 [ ] 設立初期、約40年間にわたってが専任、常任、名誉指揮者を務めていた。 常任指揮者制度は1965年で廃止されたが、1996年にシャルル・デュトワが常任指揮者になり復活した。 シャルル・デュトワは、その貢献により名誉音楽監督に就任している。 ウラディーミル・アシュケナージが2007年8月末に音楽監督を退任した後は後任を置かず、アンドレ・プレヴィンが首席客演指揮者として就任している。 指揮者 任期 - - 1929年 - 専任 1936年 - 常任 - 名誉 - 専任 - 専任 1942年 - 1951年 専任 - 1951年 常任 1951年 - 常任 1954年 - 常任 - 常任 1959年 - 常任 - 名誉 - 名誉 1967年 - 名誉 1967年 - 桂冠名誉 1994年 - 正 - 名誉 - 名誉 - 正 - 正 1979年 - 名誉 - 桂冠名誉 2016年 - 正 - 常任 - 音楽監督 - 名誉音楽監督 2003年 - 岩村力 アシスタントコンダクター - 齊藤一郎 アシスタントコンダクター 2000年 - 音楽監督 2004年 - 2007年 桂冠 2007年 - 首席客演 - 名誉客演 2012年 - 正 - 副 2010年 - 2012年 首席 - 主な客演指揮者 [ ] NHK交響楽団は、「日本の音楽そのものの歴史」()と言われるように、世界でもトップクラスの指揮者たちが客演している。 指揮者 主な来演年 特筆事項 招聘。 1996年、2011年 1996年はN響創立70周年記念演奏会で指揮 1998年、2001年、2003年、2005年、2006年、2008年、2009年、2011年、2012年、2013年 1998年、、、2011年、2013年 2002年、2005年 2015年9月に首席指揮者に就任 2001年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2009年、2010年、2013年、2014年 、2011年、2012年、2013年 2001年、2002年、2004年、2008年、2014年 2009年、2013年 2009年、2012年、2013年 2013年は年末の第九演奏会で指揮 2009年 2009年 第九演奏会 2010年、2013年 2012年 2011年 公演の放送 [ ] NHK交響楽団の定期演奏会の模様は、と『』内で放送される。 FM放送では、各公演回それぞれ初日の公演が随時(実際はN響の年間公演日程通り土・金・水で確定されている)生中継されるほか、にも同時配信されている。 FMでの放送時間は、Aプログラムが土曜日18時から20時15分(『N響演奏会』と題された特別枠)、Bプログラム及びCプログラムが金・水曜日19時から21時10分(『』枠)となっている。 この場合、通常ラジオ第1と同時放送となる夜19時の「」は放送休止となる。 Eテレの『クラシック音楽館』は、公演休憩部分を除くノーカット放送となっている。 定期演奏会以外では、年末恒例となっている『ベートーヴェン「第9」演奏会』の模様が、例年まずFMで生放送され、その後Eテレで順次放送される。 またFM放送では、からNHKが保存してきたN響の演奏を放送する番組『N響ザ・レジェンド』が、土曜日の19時20分から21時の枠で放送されている(前述の『N響演奏会』が放送される場合は休止となる)。 参考文献 [ ]• NHK交響楽団『NHK交響楽団40年史』日本放送出版協会、1967年。 NHK交響楽団『NHK交響楽団50年史』日本放送出版協会、1977年。 『新編 日本の交響楽団定期演奏会記録1927-1981』民主音楽協会、1983年。 松本善三『提琴有情 日本のヴァイオリン音楽史』レッスンの友社、1995年。 脚注 [ ] []• 第9回:• 第13回:• 第15回:• 第27回:• 第33回:•

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