五味 康祐。 研究

薄桜記

五味 康祐

五味康祐のことは、何回かこのブログでも触れたことがある。 もし、興味がおありなら、下の方のTags:の 五味康祐をクリックして頂きたい。 半世紀も前に、みっちはオーディオに夢中になり、五味氏の著作もあらかた読んでいる。 その著作のあちこちに現れる、五味氏のオーディオ装置は、それはもう憧れの的であった。 金銭的には、到底購えるようなしろものではなかったから、ただもう著作を読んで、その音を想像するばかりであった。 彼のオーディオ装置、レコードなどの遺品は、今は練馬区文化振興協会が管理している。 今回(11月2日今日です)みっちが出かけた標題のレコードコンサートも、ここの主催である。 五味康祐氏は1980年に、自分自身が観相したとおりに、58歳で亡くなった。 その後、奥様が亡くなり、2005年には一人娘の由玞子様が急死され、法定相続人が絶えたのである。 色々いきさつがあったようだが、2007年以降は、同協会が管理するようになった。 当時の装置の状態は、相当ひどいものだったようである。 まずはその装置を見渡そう。 スピーカーは、もちろんタンノイ・オートグラフ(1964年製)、チーク仕上げである。 日本に入った第一号であろう。 複雑なバックロードホーンの筐体に収められている、15インチ・コアキシアル・ユニットはレッド(時期により色々なバージョンがある)である。 コーンエッジも含めて、完全オリジナル(新品の時から交換していない)だそうだ。 プリとメイン・アンプは、マッキントッシュC-22とMC-275、もちろん管球式である。 真空管自体は、2007年に協会が引き取って整備した時に、新品に換えてある。 電源は米国仕様なので、巨大な昇圧トランスを介している。 レコード・プレイヤーは、EMT930ST、カートリッジはもちろんEMT TSD-15だ。 楕円針の方だそうである。 930STはイコライザー内蔵なので、出力はC-22プリアンプのLineに入る。 C-22のフォノ・イコライザーはしたがって使われていない。 カートリッジも2007年当時に換えてから、5年ほどずっと使われてきた。 今回、なんとこのコンサートの2日前に新品に換えたばかりだそうである。 やっと、音がなじんできたようだ、という話であった。 そうそう、装置類は原則として、五味氏が使っていたそのままの状態であり、改良・改造は一切されていない。 ただ930STだけは、五味氏の使っていなかった防振台の上に乗せられている。 みっちの記憶では、確かこのEMT純正の防振台(この台だけで、いい値段したはず-汗)はかなり後になって、発売されたもので、五味氏は買う暇がなかったのではないか。 聴かせてもらったのは、五味康祐のレコード・コレクションの中から4枚、ハイドンの交響曲2枚と、モーツァルトの弦楽四重奏曲、それにト短調交響曲である。 このト短調交響曲のレコードには、カラヤンがVPOを指揮したRCA Victor LDS2347盤が選ばれていた。 (1959年録音) レコードコンサートのパンフレットには、五味康祐『西方の音』11カラヤンの章からの引用もあって、なかなか手が込んでいる。 (嬉) ところで、この『西方の音』の同章には、カラヤンの若い頃は良かったという流れで、「フィガロの結婚」の話が出てくる。 みっちの持っている本を、埃を払いながら引っ張り出してみると(汗)、 『念のために、古い「フィガロ」を私はきき直してみた。 その清新で優美な奏法にうっとりした。 気になって調べてみたら、これが録音されたのは、1949年-約20年前である。 』 とある。 1949年という記述は、もう一個所出てくる。 ところがである、カラヤンの「フィガロの結婚」の録音は、1950年のウィーン・フィルとの盤しか見つからないのだ。 しかも、これがカラヤン初めてのオペラ全曲レコーディングとなっている。 五味氏が間違えたのであろうか。 どうもよく分からない。 話が逸れた。 それで、肝心の音はどうだったんだい。 うん、それは。 で、どうだったの? う、うん。 本当はあまり書きたくないのだけれど、音は正直あまり褒められたものではなかったです。 (汗) 皆さん、大変な努力をしてレストアされているのが分かる。 半世紀以上経った機械が、まあ正常に動作しているだけでも凄い。 それはそうなんだが。 まあ、今日聴いた中では、弦楽四重奏がまだましでした。 オーケストラの方は相当きつい。 とにかく、みっちは、この音を一度聴いておきたかったということなのです。 以上 冒頭の写真は、EMT930STプレーヤーとTSD-15カートリッジ。 ああっ、美しいですぅ。 (汗) かかっているレコードは、ブーレーズ/NYPの「トリスタンとイゾルデ」序曲である。 2枚目は、タンノイ・オートグラフの銘板である。 マイナスのネジで留められているのに注意。 追記: カメラのことを書くのを忘れておった。 (笑) 別に、ブログに掲載する写真程度なら、iPhoneのカメラでも良いのだが、今回の対象は五味康祐氏がこよなく愛したオーディオ機器群である。 そこで、みっちもその情熱に敬意を表して、わが旗艦、ニコンD800Eを持って行った。 8G、なかなか良いレンズだと思います。 はじめまして yoshiatakaさんの「ヴェーグのモーツァルト」からやってきました。 私も五味康佑氏のエッセイに魅了された一人です STERO SOUND誌を読んでは世界の名器にあこがれ、五味氏の「オーディオ巡礼」を読んでは、その別次元のオーディオを羨ましく思っていました。 そして五味氏が亡くなってからも一度でいいからオートグラフの音を聴いてみたいものだと思いをはせておりました。 数年前、その再生音を聞けるチャンスがあったのですが抽選に外れてしまいました。 その時、幸運にも2009年の試聴会に参加できたブロ友さんの記事がこちらです と貼ったのですがURLを貼るとコメントが拒否されるよう記事の案内ができません (残念ながら数年前に急逝されました) どんな優れた音もメンテなくしてはその音質を保つことは至難のことでしょうね。 デジタルは勿論、アナログの世界は尚更でしょう とりとめもないコメントで申し訳ありません 今後とも宜しくお願いします パスピエさん、どうもコメントありがとうございます。 はい、このレコード・コンサートは、今は石神井公園に場所を移して継続しているようです。 「石神井公園ふるさと文化館」のページから入れます。 相変わらず抽選ですが。 みっちは1970年代のオーディオ全盛期に、五味康祐さんのオーディオに関する書物をほとんど読みつくし、文字どおり心酔しておりました。 強烈な影響を受けました。 (笑) 遺品の個々の装置自体は、他でも目にするものなのですが、例えば無骨な昇圧トランス(117V用)のたたずまいなど、五味さんの愛用された様子が伺え、感慨もひとしおでありました。 とんでもないです。 雑駁なブログですが、お暇がありましたら、またコメントを頂けると幸いです。

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『五味康祐氏のオーディオで聴くレコードコンサート』いにしえの音の思い出を確かめに行くのだ(大汗) : If you must die, die well みっちのブログ

五味 康祐

五味 康祐、柳生一族を中心とした剣豪小説で日本の文学史に名を残した作家ですが、超ど級のオーディオマニアとしても有名な人物であります。 彼の「西方の音」を読んで感激したSutereo Sound 創業者の原田武夫氏が東京に尋ね、巻頭原稿をお願いしたときに「借金をつくるだけだからやめておけ!」といわれたという話が残っています。 そして機器はいわずとしれたタンノイのオートグラフ。 たぶん日本にこれだけタンノイが浸透した理由の一つは、五味氏にあると思います。 彼の書く文章にほだされて買った人がたぶん大量にいると思うのです。 実際は鳴らすのが相当にむずかしいスピーカーですので大変なお思いをした人も多かったと思います。 アンプはステレオサウンドの記事を見る限り、 プリアンプがマランツのモデル7、 パワーアンプがマッキントッシュMC270の模様。 このほかに、 EMTのアナログプレーヤー スチューダーのオープンリールデッキ マランツのチューナーのモデル10と名器そろいです。 ただ彼は、機器ではなく部屋が鳴らすといい、それ以上に音楽的な教養こそが大事だと力説していた。 毎号彼のコラムは、欠かさず読んでいました。

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五味康祐のタンノイ オートグラフに会いに行く

五味 康祐

五味康祐が剣豪小説ブームを引き起こしたというのも理解できる。 とはいっても、著者の古風な文体は読むものを選ぶであろう。 そこで、本作。 異色作の「一刀斎は背番号6」が含まれている。 これだけは現代 といっても昭和30年代 を舞台にしているので、文体も現代調。 一刀斎の技? も冴えわたる。 まずはここからはじめてみてはいかがだろうか? 評価:80 こ、これは!!すごい。 書きたい事がありすぎて何から書いていいやら。 まず始めに、あの阿佐田哲也氏がこの五味氏の「喪神」を読んで 「凄い人が現われたと思った」との話を読んで手に取ったのがキッカケでした。 阿佐田哲也とは、少年マガジンで連載中の「哲也」の基になった人であり、 戦後の動乱を博打でしのいで育った人である。 その阿佐田氏が薦めたのだ。 だからこの二人の描く物語・人物・テーマにはどこか共通点がある。 それは「人に勝つこと・人と争うこと」に対する阿佐田氏の見ている点と五味氏の見ている点です。 古くから剣術世界にある話で、 剣の奥義・絶対の境地のヒントが描かれているといわれる 「猫の妙術」とゆう話をご存知だろうか。 (ヤフー等で検索すればすぐ見付かると思います。 短い話ですから) 猫の妙術にもこの五味氏の「喪神」は通じるものがある。 五味氏は「兵法書」を良く読み知っていたと感じます。 彼の作品には武道の目指す所や、勝敗の際どい分かれ目、 そして負けるとはただ死ぬ事である、とゆうテーマの物が描かれてあり、 そこが阿佐田氏の描く話のテーマと共通するのです。 短編ですが、各話によっては序盤が退屈に感じる所もあるでしょう、 しかし五味氏の話の1番面白い所はその話の終わりにあると思ってください。 そしてその話のシメ方に上に書いたテーマが込められているのです。 コレに比べたら司馬遼・池波の剣術話は浅い。 彼等は武士の話を描きながら、 武士の愛読した「猫の妙術」などの兵法書を読んだ事がないのではないか、 そして彼等自身が「修羅場」を潜ったことがないのではないか、と思ってしまう。 それだけ魅力的な題材という事です。 武芸帳を巡り柳生十兵衛が、宮本武蔵が、霞の双生児忍者が正に「鎬を削る」死闘を繰り広げ次々と倒れる剣士達。 魅力的な登場人物が繰り広げる一大ロマン。 果たして武芸帳に隠された謎とは? 私の棺の中に入れて欲しい一冊。 読まないで済ますに勿体ない大傑作です! あなたもぜひ一読を! 果たして誰が柳生武芸帳を手に入れるのか?そこに書かれている秘密とは? 有名無名、実在架空の剣豪たちが多数登場、誰と誰が仲間で誰が敵で、この人はなぜ武芸帳を狙っているのか、今は誰が武芸帳を手にしているのか、気を抜くとわからなくなってしまいそうなくらい次々と差し挟まれていく挿話の数々、命を懸けた真剣勝負の緊迫感、「剣を出世の道具にした」と、よく敵役にされる柳生宗矩の、一流の剣の腕を持ち冷静沈着、胸の奥に恐るべき鬼謀を秘めた本作での人物像などなど、魅力を挙げていったらきりがないくらい。 いやぁ、おもしろかった。 かなり長い話ですが、読み出したらページをめくる手が止まりません。 傑作です。 名短編が揃ってます。 著者が柳生家菩提寺の芳徳寺を訪れた時、住職に見せられた古びた写本『旅不知』。 それは剣法各流派の奥儀・秘太刀に関する究明の書だった。 この『旅不知』をもとに、各流派の奥儀の名前のついた由縁となった話や秘太刀にまつわる話など七作を収めた短編集です。 一刀流、先意流、柳生流など、取り上げられている剣法の流派は、おそらくは実際にある(あるいはあった)ものばかりなのでしょう(天井に逆さにぶら下がったり、畳を蹴返したりと、ちょっと怪しいものもありますが)。 また、一刀流「青眼崩し」、先意流「浦波」、知心流「雪柳」、柳生流「八重垣」等、奥儀名も実際のものだと思います。 『旅不知』からの抜粋の一文を各作の冒頭に附し、これら各流派の兵法談が語られていくのですが、解説によると、もととなった『旅不知』が、どうやら著者の創作らしいとのこと。 著者の流麗な筆致に魅せられ、他の作家も『旅不知』をもとにした小説を書いていないか、『旅不知』が現代語訳付きで一冊にまとまっていないか探してみようと思いながら読んでいたので、これには見事にやられました。 時代小説が好きな人ならきっと気に入ることでしょう。 ぜひご一読を。 芥川賞全集は、選評が全部載ってるところがしびれる!! 結構、現在と同じように選評してるんだなぁ・・・って感じ。 今や重鎮となったあんな人やこんな人の力作がバッサバッサ 斬られていく・・「まだまだだね、フンッッ」って当時の重鎮 達の厳しくも温かい(??)意見の連続。 最高です!! あの東京知事の作品を佐藤春夫が「文芸として低級」なんて言 ったり、中村光夫氏には漢字間違いを指摘され「しっかりして 下さい」なんて言われてます。 しかもこの第5巻はすごいんだ、ラインナップが!!!! 松本清張・安岡章太郎・吉行淳之介・小島信夫・庄野潤三・遠 藤周作・石原慎太郎・開高健・大江健三郎・・・。 おいおい・・・まじですごいよ・・・。 ぜってー買いだわ、これだけは。 当然価値観なり、責任感は変わっとる訳ですけども、代わりに当時の突き進むような向上心はもうない。 この本もずっと田舎に保存してあって、20年以上ぶりに本を開かしてもらいました。 内容ですけども、まあ音楽のことを全然知りはらん方が、関連書籍や伝書を勉強して書いた本ですわな。 芥川賞作家だけあって、文献の勉強も徹底して的を得とるし、作曲家や演奏(レコード)についての記述(文章)が素晴らしい。 ぜひ、この本に書かれとる元の演奏を聴きとうなりました。 フルトヴェングラーならまだ聴くチャンスはありますが、今は入手不可能の室内楽盤もようけ書かれとる。 素人がその方のバックグランドを生かして、趣味に過ぎない異分野を批評するのは大変有益なことがようございます。 地質学では素人学者も多いですし、科学批評も社会との関連性において、素人批評はしばしば正鵠を得て、現在・今後のサイエンスの向うべき方向性の核心を鋭く指摘しはる。 ほいで、本書も近代以降のドイツ、フランス音楽の生まれる背景をうまく書きはっとる(文章力に依るところ大)けども、ちょっと台無しなんが、ラヴェルやドヴォルザークは意味の無い作曲家だとか、素人の無理解ゆえの極論がみられることですわな。 著者曰く「ベートーヴェンの後期の室内楽、ピアノ曲は若い時に初めて聴いて直ぐに理解できない場合が多い」。 ボヘミアの音楽の素朴ながら迸り出る豊穣な音楽性を、この芥川賞作家が理解して居ったようには読めませんわな。 まあ、そうしたところも含めて、共感でける意見も多いです。 柳生宗矩、柳生兵庫介ら剣豪や、将軍家と紀州徳川家の対立、宇都宮の釣天井事件なども絡めて描く、伝奇時代小説です。 著者の長編にはよくあることなのですが、誰と誰が味方で誰と何のために戦っているのかわからなくなるほどの挿話に次ぐ挿話、伏線に次ぐ伏線で、いい塩梅に翻弄されているうちに、かなり長い小説なのですが、アッという間にクライマックスへ。 語られっ放しの挿話や張りっ放しの伏線もけっこうあるのですが、その点を差し引いても十分に楽しめる一作です。 読み応えのある伝奇小説、時代小説の揃っている五味作品、山田風太郎や隆慶一郎の諸作が好きだという人は、ぜひ一度手に取ってみてください。 きっと満足できることと思いますよ。 とにかく読みやすく興味をそそられる。 」 と言い放つ彼の麻雀は繊細・緻密な観察眼のもとで成り立っている。 書には彼の数々の有名な格言も載っているので、 是非みなさんにも一読願いたい。

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